第三章−4:「平行線の先にあるもの」
春日の何気ない言葉が、さきほどの一触即発ともいえる空気をやわらげるように感じられた。誰もすぐに返事をしなかったが、それぞれが胸の内で何かしらの感情を掬っていた。
ややあって、吉田がぽつりと呟く。
「でも、そう考え始めたらキリがないよな。コンビニも、交通機関も、ネットも……誰かが働いてるから俺たちは休める。でも、それを想像しながら休日なんて過ごせるやつ、いないだろ」
「想像しないからこそ、なのよね」カナが歩きながら言った。「想像しない自由。それが“消費者”の特権なのよ。…だからって、あんな風に当然の顔で優越感振りかざされたら、やっぱり腹立つわけ」
「……さっきは、ちょっとキツかったかもね」
カナは不意に立ち止まり、くるりと振り返った。「謝ってこようかな。言い過ぎたと思うし、あの子ども、なんか気まずそうだったし」
それを聞いていたトーコが、少しだけ間を置いてから言葉を発した。
ー「謝罪する行為は、道徳的には美しい行動です。しかし、今回の件における“意見の違い”は、喫煙者と嫌煙家の議論と同質の構造を持ちます」
「……は?」とカナが振り向く。
ー「どちらも、それぞれの“空気”を優先する権利があると信じており、譲歩は感情の棘を残します。あなたが何かを下げれば、彼らも何かを失うと感じる可能性があります。それは…“平行線”です」
吉田が苦笑しながら言う。「つまり、話せば話すほど平行線ってこと?」
ー「いいえ、言葉を交わすこと自体は記録として意義があります。ただし、互いの主張が交錯しない限り、謝罪は単なる“自己慰撫”に留まる可能性が高い。これは私の“おすすめ”ではありません」
それを聞いたカナは、一瞬だけ表情を曇らせたが、次の瞬間にはふっと笑みを浮かべた。
「……そっか。なるほどね、機械に説教される日が来るとは思わなかったな」
そのまま足を止めていた場所から踵を返し、わざわざ謝罪には戻らず、黙って進行方向へと歩き出す。
「それに、なんかあの人たち……もう次の目的地に向かってたみたいだしね。タイミング逸しただけってことで」
春日は少しだけ後ろを振り返った。キャンプグループの姿は、すでに河原の曲がり角の向こうに消えていた。
誰も正しくもなければ、誰も間違ってもいない。けれど、ただ思ったことを口にしただけで、誰かの“休日”の意味はぐらつく。それがこの世界の、たぶん“真ん中”なんだ。
「――なんかさ。帰ったらまた働く日々に戻るのかな。みんな」
その問いに、誰も即答はしなかった。けれど、ふと風が吹いて、トーコの髪型のような光沢のあるヘッドユニットがきらりと反射する。
ー「観察記録:本日も“ヒト”は多様であり、そして予測不能です。次回更新予定――未定」




