↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/20

第三話 いつも少し離れたところに

 あらぎ島には、ちょっと変わった「アイドル」がいる。


歌わない。

踊らない。

テレビにも出ない。


それなのに、あらぎ島に現れると、なぜかみんなが「あっ、かもしかちゃんや!」と喜ぶ。


その名も――かもしかちゃん。


山からひょっこり姿を見せたり、田んぼの近くを歩いていたり、展望台のあたりにちょこんと座っていたり。


人間のそばにベッタリ寄ってくるわけではない。


むしろ、いつも少し離れたところから人間たちを眺めている。


そんな気まぐれなところも含めて、あらぎ島のみんなに愛されている人気者だった。


けれど。


かもしかちゃんが、あらぎ島へやって来る理由を知っている者は、ほとんどいない。


それは、ずっと昔のことだった。


◆


ある夏の日。


あらぎ島に激しい雨が降った。


朝から降り続いた雨で、川の水は増え、あぜ道にも水が流れていた。


雨が少し弱くなったころ。


レッドは、あらぎ島の様子を見回っていた。


水の流れや田んぼの様子を確認しながら歩いていると、ふと、あぜ道の脇で何かが動いた。


「……ん?」


レッドが足を止める。


そこにいたのは、小さなかもしかだった。


まだ子どもだった。


全身ずぶ濡れで、細い足を震わせている。


周囲を見回しても、母親らしい姿はない。


「……お母ちゃんとはぐれたんか?」


レッドがゆっくり近づく。


小さなかもしかは警戒して、一歩後ろへ下がった。


「大丈夫や。なんもせぇへん」


レッドはそれ以上近づかなかった。


大きな体を地面にどっかり座らせ、小さなかもしかから少し離れた場所で様子を見る。


しばらくすると――


ぐぅ。


小さなお腹が鳴った。


「……腹減っとるんか?」


レッドは立ち上がった。


「ちょっと待っとれ」


それからレッドは、食べられそうなものを探した。


水も用意した。


濡れた体をそのままにしておくのも気になって、タオルを持ってきて、嫌がられないように少しずつ体を拭いてやった。


もちろん、レッドは動物の世話なんてしたことがない。


「これ……食べるんかな?」


小さなかもしかを見る。


「……あかんか?」


別のものを持ってくる。


「じゃあ、こっちは?」


また首をかしげる。


「うーん……難しいなぁ」


力仕事なら誰にも負けないレッドだったが、小さな動物の世話となると、完全に手探りだった。


それでも。


雨が降るたびに、レッドはその小さなかもしかのところへ通った。


母親が近くにいないか探しながら。


お腹が空いていないか確認しながら。


濡れていれば体を拭いてやりながら。


「今日は昨日より元気そうやな」


「もうちょっと食べるか?」


「寒ないか?」


レッドは、まるで大きな弟か妹でも世話するように、その子を気にかけていた。


そして数日後。


ついに、母親らしいかもしかが見つかった。


「おったぞ!」


レッドが声を上げる。


小さなかもしかは、母親の姿を見つけると、一目散に駆けていった。


母親も、その子を迎えるように近づいていく。


レッドは少し離れたところから、その様子を見ていた。


「……よかったなぁ」


それだけ言って、レッドは笑った。


小さなかもしかが一度だけ振り返った。


けれど、レッドはもう背を向けて歩き始めていた。


特別なことをしたつもりはなかった。


助けたというつもりもなかった。


ただ、困っている小さな命がそこにいたから、できることをした。


それだけだった。


◆


それから、何年もの時間が流れた。


あの小さなかもしかも、すっかり大きくなった。


そして、いつの頃からか――


あらぎ島の人気者になっていた。


「かもしかちゃんが来たで!」


「今日もおるやん!」


「あっ、こっち見た!」


人が集まると、少し離れたところから様子を眺める。


カメラを向けられると、たまにじっと立ち止まる。


かと思えば、気が向かない日は、何事もなかったように山へ帰っていく。


そんな自由気ままな姿が、いつしか「あらぎ島のアイドル」と呼ばれるようになった。


もちろん、歌も踊りもしない。


ただ、そこにいる。


それだけで、みんなが笑顔になる。


それが、かもしかちゃんだった。


そして。


そんなかもしかちゃんには、もうひとつの習慣があった。


あらぎ島に来ると、ときどきレッドの姿を探すこと。


◆


ある日の夕方。


あらぎ島の田んぼで、レッドが一人で仕事をしていた。


稲の様子を見たり、あぜ道を整えたり。


汗をかきながら、黙々と田んぼ仕事を続けている。


「よいしょっと……」


大きな体で、せっせと働くレッド。


すると。


少し離れた場所に、かもしかちゃんが現れた。


レッドはまだ気づいていない。


かもしかちゃんは、じっとレッドを見る。


昔と変わらない、大きな赤い恐竜。


力仕事をさせれば、たいていのことは何とかしてしまう。


でも――


昔から、小さな動物には妙にやさしい。


かもしかちゃんは、ゆっくり一歩だけ近づいた。


もう一歩。


でも、それ以上は近づかない。


レッドがふと顔を上げた。


「あれ?」


かもしかちゃんと目が合う。


「……なんや。かもしかちゃんか」


かもしかちゃんは何も答えない。


もちろん、答えるわけもない。


レッドは少しだけ笑った。


「散歩か?」


かもしかちゃんは、ほんの少し顔をそむけた。


「まあ、ゆっくりしてけや」


レッドは、それ以上何も言わなかった。


また田んぼ仕事に戻る。


かもしかちゃんも、その場に残った。


近すぎない。


遠すぎない。


昔、雨の日に出会ったときよりは少し近い。


でも、今でもやっぱり――


いつも少し離れたところにいる。


それが二人には、ちょうどよかった。


レッドは知らない。


あの雨の日のことを、かもしかちゃんがどこまで覚えているのか。


かもしかちゃんも、レッドに何かを伝えようとはしない。


恩返しをしたいわけでもない。


特別な関係になりたいわけでもない。


ただ。


あらぎ島に来たとき、レッドが一人でいると。


なんとなく、近くに行きたくなる。


そしてレッドも。


そんなかもしかちゃんが近くにいることを、いつの間にか当たり前のように思っていた。


「……おるんやったら、そこにおれよ」


レッドがぽつりと言う。


かもしかちゃんは動かない。


夕暮れのあらぎ島。


レッドは田んぼ仕事を続ける。


かもしかちゃんは、その少し後ろで静かに佇んでいる。


二人の間に、会話はない。


でも――


それでよかった。


今日も、かもしかちゃんは。


いつも少し離れたところにいる。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。