学生時代
「その猶予を使って生きるためのことを考えるから。」…なんてことを言った次の日、瑞穂は凄く悩んでいた。
(生きるためのことを考えるから…なんて言ってしまったからには、本気で生きることを考えないとな…まず、どうしよう。海軍航空隊に入るっていったって、戦闘機や攻撃機、爆撃機、偵察機、局地戦闘機などなど色々な機種があるからな。僕は戦果あげて、少なくともエースパイロットにはなりたいから。戦闘機か局地戦闘機に限られるよな。でもルーデル閣下みたいに爆撃機でエースになることはできなくもないけど…やっぱり戦闘機系がいいよな……よし!機種は決まった。それではここからが難問だ。戦闘機乗りとして生き残る方法を考えよう。……一撃離脱に頼るしかないわ、それが一番だし、一撃離脱主戦術で300機超えの撃墜戦果もってる人いるし。…でもドックファイトも…いやだめだ!戦争に楽しさを入れるのは間違ってる。でも、日本か。どうせなら一撃離脱が主戦術のドイツやアメリカがよかったけどな。そう考えると、ドックファイトを完全に捨てるのは危ないな。カウンターやオーバーシュートの技術も身に付けないと。…あとは身体能力も上げないとな。視力は遠くの軍艦ながめれば悪くはならないかな?あとは体力と筋力。この時代、フライ・バイ・ワイヤなんていう便利な機構は無いからな。)
えー、要約すると。
エースパイロットになりたい、戦闘機乗りになる、一撃離脱を主戦術とする、しかし他の戦術も身に付けておく、パイロットになるための体力作りをする。
こんなところです。
(ところで思ったのだが、二歳で体力作りって身体大丈夫なのか?…わからないけど怖いから最初はストレッチでいいか。あと、空間認識能力が必要だけど、あれって鍛えられるものなのかな?…そうだ!剣道しよう。)
不確定要素もある程度はあるみたいですね。
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1923年4月、瑞穂は6歳になり小学校に通い始める。この年の小学校って普通の小学校という意味で尋常小学校というらしいです。尋常じゃないですね。
(小学校なんて久しぶりだな。宿題終わらなくて休み時間にやっていた記憶が大半だけど。)
自業自得ですね。
(あとは頭から血が出たこともあったな。こけて、岩に頭をぶつけて。)
自業じと…え!?
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ある程度学校になれてきた頃。家に帰ったら母親が話しかけてきた。
「どう?瑞穂。友達とかできそう?」
「どうだろう、自分から話しかけるのはあまり得意じゃないから。たくさんはできないかもしれない。」
かわいそうに、コイツはこっちでも友達が少ないのか。
「無理にたくさん作らなくてもいいのよ。話ができる人がいるだけで、心の支えになるから。」
(いついかなる時でも、やさしいなぁおい!)
これは別に親として普通の言葉だと思うけれど。美人ということで言葉にバフでもかかっているのかな?
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それからの学校生活は元高校生の瑞穂としてはつまらない物だった。特に理数は、瑞穂は元の高校でも理数だけはテストで毎回95点以上は取っているので、小学校の理科・算数はもう簡単すぎて逆ギレしそうなぐらいだった。
そして、友達の少ない瑞穂だが。理科算数の頭のよさは目立ったので、友達は少なくても話し相手は普通にいた。
それと、家族は自分含めて四人になった。1921年4月21日に妹ができた。……その時瑞穂はどう思ったか。
(なっっ……いつの間に!!くそ!なにがとは言わないが見逃した!!)
うん、ソウダネ。
ちなみに妹の世話は母親と半分半分で分けている。瑞穂としても育ててくれた母親に恩返ししたいし。こういう経験は貴重なので。
そして二人とも、平均を少し上回るぐらいの顔である。イメージとしては「うわっ!綺麗!」というより「綺麗だな」っていう感じ。その為?そうだからかはわからないが、瑞穂は妹をけっこう可愛がっていた。
(なんか、家族に対して失礼だけど、ペットみたいなそんな感覚だ。ずっと見ていられる。)
失礼な野郎だな。
(というか、妹の名前が千代田とか、何なの?水上機母艦という決まりでもあるの?いやまあ、この時代に瑞穂も千代田も無いからたまたまなことはわかってるんだけども!)
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そんなこんなあって、1929年には尋常小学校を卒業して。1933年には海軍兵学校に入学した。
理数は大丈夫だったが、特に危なかったのが英語。瑞穂は英語のみ大の苦手だった。しかし、小学校の時から英語が苦手だということを自覚していたので一から学習してみると意外とできるようになった。
(英語を案外あっさりと覚えてしまった。前世の記憶は覚えているから脳は変わっていないと考えていたが、記憶のみが残っているだけなのか?それともモチベーションの問題?……やめよう、こういうのを考えるのは意味ないし頭が痛くなってくる。)
あとは身体検査だが、これは何の問題もなかった。小さい頃から体力作りをしていたり、視力も悪くはさせないようにしていたので、視力は裸眼で2.0以上あった。動体視力も剣道をやっていたので平均以上はあった。空間認識能力はなんだかんだ元から高かった。
そして、今は1933年。千代田も12歳になっており、可愛がれなくなっていた。
(流石にね?小6になる妹に高校生が可愛がっていたら、妹がその事を友達に話して、良くない噂が広まるかもしれないからな。うん、でも、昔は可愛かったなぁ。)
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1936年末、二十歳になる瑞穂は人生初となる航空機操縦をすることとなる。
(赤とんぼだ!赤とんぼ。真っ赤っではないけど、実物は初めて見るな。)
赤とんぼとは海軍が1934年に制式採用した練習機、九三式中間練習機の愛称である。
(ここからが人生の本番といっても過言ではない。まあ、上手く操縦できなくても猛練習すれば上手くなる、はずだ!)
読んでいただきありがとうございました。




