第89話 『十歳式』
十歳式当日。
まだ日も昇り切らぬ頃、屋敷は慌ただしく動き始めていた。
使用人たちは朝早くから廊下を行き交い、玄関先では馬車の準備が進められている。
今年10歳を迎える子どもがそれぞれの神へ感謝と祈りを捧げ、信仰を誓い、子どもから一人前への第一歩を踏み出す、人生で一度きりの儀式だった。
サミュエルもいつもより早く目を覚まし、身支度を整える。
すると、部屋の扉が軽く叩かれた。
「サミュエル様。お着替えのお時間です」
「はい」
扉を開けると、待っていた使用人に案内され、用意された正装へと着替えていく。
わかってはいたが、普段着とは比べものにならないほど動きづらい服に、思わず苦笑した。
(これで一日過ごすのか……。)
鏡に映る自分の姿を見ていると、不意に扉が開く。
「おっ、似合ってるじゃないか」
「私が流行りも考えて選んだのよ。当然よ」
部屋に入ってきたのはマイケルとミシェルだった。
いつもより格式ある装いをしている二人は、満足そうに頷く。
「ありがとうございます。でも、やっぱり落ち着きませんね」
「最初はみんなそうだよ。私も十歳式の日は落ち着かなかったよ」
ミシェルの後に入ってきたルーカスは自身が十歳式を行った日のことを思い出し、笑っていた。
「そろそろ出発だ。父上たちも待ってるぞ」
「はい」
サミュエルは一度だけ深呼吸をすると、部屋を後にした。
廊下の先には、既に家族全員が揃っていた。
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サミュエルと同世代の子どもたちとその保護者が広場に集まる。
今日だけはヴァロンだけではなく、近隣の村からも人が集まり大賑わいだった。
子どもと保護者で一列になり、保護者が礼拝堂まで引率をする。
礼拝堂に着くと、保護者は外で待ち、子どもたちだけで礼拝堂の中へと入っていく。
サミュエルは領主の孫であるため、先頭で礼拝堂に入ることとなった。
(わかってたけど、先頭は緊張するから嫌だなあ……転んだりしたら赤っ恥かくどころか、後ろの子たちにも迷惑をかけてしまう……。)
緊張しながら先頭を歩くサミュエル。動きはぎこちなかったが、特に問題が起こることなく指定の位置まで進むことができた。
子どもたちが所定の位置につくと、保護者や見学者も礼拝堂に入ってくる。
入場が一段落すると、司祭が現れ壇上に上がる。
司祭は参列した子どもたちをゆっくりと見渡し、穏やかな口調で語り始めた。
「本日もまた、多くの子らが無事に十歳という節目を迎えられましたことを、神々へ深く感謝申し上げます。幼き命は決して当たり前に育つものではない。父母をはじめ、多くの者に支えられ、そして神々の加護があってこそ、今日という日を迎えられたのです」
礼拝堂は静まり返り、誰一人として言葉を発する者はいない。子どもたちは司祭の言葉に耳を傾け、大人たちも静かに見守っていた。
「今日より皆は、子どもから一人の人として歩み始めます。これから先、嬉しいこともあれば、苦しいこともあるでしょう。迷う日も、立ち止まる日もあるはずです。そのような時は、今日ここで選ぶ神への祈りとともに、自ら考え、自ら選び、一歩ずつ歩んでください」
一拍置き、司祭は子どもたち一人ひとりを見渡した。
「神々の祝福が、皆の未来にありますように」
子どもたちが心の中で各々の神に祈りを捧げる。
戦いで身を立てようとする子は火と戦の神、イグナスを。
農家を継ぐ子は水と豊穣の神、アグリを。
商人を目指す子は風と商いの神、ヴィルフィを。
職人を志す子は土と生産の神、テーラーを。
墓守など特殊な家庭の子は闇と境界の神、ノッグスを。
それ以外の子は、光と癒しの神、ルミナスを。
そしてサミュエルも一柱の神に祈りを捧げる。
今日、ここに至るまで、サミュエルは何度も考えた。
なぜ自分はこの世界に転生したのだろうと。
しかし何度考えても答えは出なかった。
神に会ったわけでもない。
なにか特別な力を授かったわけでもない。
それでも、後悔の果てに、もう一度新たな人生を歩めるという奇跡。
生まれ落ちたのは前世では考えられない温かい家庭。
そして神々の権能が実在する世界。
魂が輪廻していると言われる世界。
しかし自分は、本来この世界の輪廻へ組み込まれていない存在。
もう一度死んだ場合、自分はその輪廻に加わるのだろうか。
それもわからない。
だから乞い願う。その輪廻の環に入れてほしいと。
一体誰に?
魂を導くと言われるノッグス神に?
違う。
魂の、そしてこの世界の根源たる名も無き【大神】に。
願わくば、死後、私を輪廻の環に加えてほしい。
そして、【サミュエル】を救ってほしいと。
最後に、この奇跡を授けてくれたことに、感謝を捧げた。
祈りを終えた、その瞬間。
ふと、胸の奥が温かくなる。
何かが起こったわけではない。
誰かの声が聞こえたわけでもない。
ただ、不思議と心が満たされていた。
それが神々の祝福だったのか、それとも気のせいだったのか。
サミュエルには知る由もなかった。
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その後、祈りの儀式はつつが無く終わり、礼拝堂から広場へと戻る。
そこには例年通り、お祭りのような喧騒が広がっていた。
今年は久しぶりに演劇が披露されるということで、広場には舞台が設置されていた。
演目はこの国で最も有名な騎士物語。6年前にも見た内容だ。
「以前も同じ劇でしたけど、そんな人気なんですか?」
サミュエルは6年前と同じく、隣にいた祖父に尋ねた。
「そうだな。この演目ならまず盛り上がる。というぐらいには手堅い内容だ。それに小さい子どもでも楽しめるのが大きい。お前も4歳の頃に目を輝かせてではないか」
セドリックは当時のことを思い出し、口角を上げる。
もちろんサミュエルが劇そのものを楽しんでいたのではなく、その後に出てきた舞台装置に目を輝かせたのを知っていて言った。
「そうですね。今もあれには興味を惹かれます。あとでどんな魔術具か見せてもらえませんかね?」
その回答にセドリックは孫の成長を感じた。
今でも人見知りする子だとは思うが、魔術具のことになるとここまで図太いことが言えるようになったことに驚いていた。
「さすがに無理だな。公爵領などでも劇を披露する劇団だ。財産でもある魔術具の中身を見せてくれと言っても触らせてすら貰えんだろう。たとえ魔術技師見習いでもな」
「そうですか。それは残念です」
駄目で元々の提案だったこともあり、言葉でいうほど残念には思ってはいない。
そして劇も終盤。ドラゴンの作り物が空中に浮き、飛び回る場面で子どもたちが歓声を上げていた。
「本当に凄いなぁ……。どうやって飛んでいるんだろう……。あ……でもこの前見たあの術式を組み合わせれば……でもあんな細かい挙動はできない……」
「おい、なにをブツブツ言っている。今は劇に集中せんか」
「ご、ごめんなさい……つい……」
劇へ視線を戻すサミュエルを見ながら、セドリックは静かに目を細めた。
あの日、舞台装置に目を輝かせていた幼子は、もういない。




