第83話 初めての野営(9歳)
サミュエルは魔物領域の話を聞きに行ったはずが、なぜか魔物討伐へ同行する流れになってしまった。
リュシエルが「経験が必要だ」とルシアンへ説明すると、ルシアンも納得し、護衛としてヘルガも同行することとなった。
「ヘルガさんも行くんですか?」
「ああ、リュシエルだけならともかく、サミュエルも行くなら前衛がいたほうがいいだろってことであたしも行くことになったよ。そこら辺にいるような魔物なら負けることはないから安心しな」
「僕のせいで……すみません」
「いいって、どうせリュシエルの思いつきなんだろ?いまの依頼品は私じゃなくてもいいからね」
サミュエルはヘルガも巻き込んでしまったことを謝罪するが、気にするなと励ましてくれた。
「あんたが行く理由もルシアンから聞いているよ。なら必要な道具を教えてやるから自分で揃えな」
そういうとヘルガは必要なものを書き出し、サミュエルに渡す。
「こんなに……ですか?」
サミュエルは思わず目を丸くした。
背負い袋、食料、水筒、毛布、解体道具、保存袋、佩剣……。
「帰りはこれに加えて素材や魔石も増えるからね。あとテントはこっちで用意するけど本来ならそれもあることを忘れないようね」
こんなにたくさん持てるだろうか……。
「店も教えてやるから今から買いに行きな。あたしも知っている店だからぼったくられることもないし、私の名前を出せば親切にしてくれるかもしれないよ」
「はあ……。わかりました。いってきます」
サミュエルは言われるがまま、教えられた店で装備一式を揃えることにした。
ヘルガの紹介だと伝えると、店主は手慣れた様子でサミュエルの体格に合う背負い袋や装備を見繕ってくれた。
必要な道具はあっという間に揃い、サミュエルは思っていたより早く店を後にした。
翌日、さっそく三人は出発することになった。
「目的地はマルシュブルグの西にある森と山の麓だ。あの辺りで目当ての魔物が確認されたという情報があった」
初めての魔物との戦闘……。
以前はマイケルたちが戦うのを見ているだけだったが、今回は違う。
胸の高鳴りと不安を抱えながら、サミュエルは馬車へ乗り込んだ。
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その日の内に村に到着すると、馬車を預け、三人はすぐに森へと入っていった。
三人の間で会話はほとんどなかった。
必要最低限の注意を促す言葉を交わす程度で、それ以外は黙々と森の中を進む。
ヘルガは先頭で周囲を警戒し、ルシアンとリュシエルも無駄口を叩く様子はない。
落ち葉を踏みしめる音だけが静かな森に響いていた。
しばらく歩くと、ヘルガが足を止めた。
前方には大きな猪がいる。
ヘルガは手で合図を送り、リュシエルが静かに弓を構える。
放たれた矢はまるで吸い込まれるように、正確に猪の急所を射抜いた。
猪は短く鳴き声を上げると、そのまま倒れ伏す。
「さすがだね」
「止まった相手なら、村の者なら誰でもできる」
ヘルガは暴れさせることなく一撃で仕留めたリュシエルの弓の腕を褒めた。
「あの……なんで猪を狩ったんですか?」
「食料の確保さ。保存食だって無限にあるわけじゃないからね」
サミュエルの疑問に納得のいく答えが返ってきた。
「せっかくだし、川の近くで野営の準備をしようか」
「まだ明るくないですか?」
「明るいからやるんだ。日が沈み始めてからでは間に合わない。特に人族は夜目が我々より効かないのだろ?」
そうして野営に向いた場所を見つけると、野営の準備を始めた。
リュシエルは近くで焚き火用の枯れ枝を集め始めると、ヘルガはサミュエルを連れて先ほど仕留めた猪を抱え、川へ向かった。
「サミュエル、あんた解体はできるのかい?」
「ゴブリンとかならやったことありますが猪は……」
「じゃあ見ておきな。これは食用だから注意点を教えながらやるからよく見て覚えな」
ヘルガは川の浅瀬まで猪を運び、解体を始める。
「川で解体するんですか? 汚れたりしませんか?」
「そりゃ汚れるよ。だから川で洗いながらやるんだろ?」
「……え?」
「ん?」
「僕は川が汚れる方を心配してたんですけど……」
「ああ、そっちか」
「多少は汚れるだろうね。でも血も脂も洗い流せるし、肉も道具も綺麗になる。こっちの方が楽なんだよ」
ヘルガは迷いなく腹を開き、内臓を取り出していく。血は川の流れに洗い流されるため、思っていた以上に手元は見やすかった。
川の浅瀬で解体する理由がよく理解できた。川が汚れるのを気にするのは現代人の価値観が残るサミュエルならではの考えだった。
「食べない部分は穴を掘ってそこに埋めてもいいけど……リュシエルに消し炭にしてもらってもいいね」
「あ、それなら僕が穴を作ります」
以前、魔石集めで付いて行ったときも途中からサミュエルが土魔術のアースムーブで穴を掘り、死骸を埋めていたのを思い出す。
「あんた土魔術が使えたんだね。そういえばなんの魔術が使えるのか詳しく知らなかったけど……食事の時にでも教えておくれよ」
そして野営地に戻り、竈を作り始める。
「それも土魔術で作りましょうか?」
「普段ならそれでもいい。だけど今は、どうやって作るのか学びな。そこからわかることもあるだろ?」
ヘルガはサミュエルの提案を拒否し、石で竈の形を作り始める。
リュシエルが薪を集め終えたのか、枯れ木を抱え戻ってきた。
薪をできた竈に配置すると点火の魔術で火を熾す。
「それは魔術でいいんですか?」
「ああ、野営が自分たちだけならともかく、複数の集団なら他所から火を貰えば済む話だからね。それに点火具だってすでに存在している。そこから新しい魔術具を閃くきっかけがあるとは思えないからね」
どうやらヘルガは集団で野営するときのことを想定しているようだ。
そして魔術具開発の参考になりそうな部分だけは、あえて魔術に頼らず行っているようだった。
「川で水を汲んで、それも浄水具で飲めるようにするよ。明日出発前にも補充するからね」
「はい」
そうしてヘルガは猪肉を焼き始めた。
「ああっ!しまった!」
するとヘルガは声を上げる。
「どうしたんですか?」
「塩を忘れてたよ……。リュシエルすまないけど塩を頼めないか?」
「仕方ないな。少し待っていろ」
リュシエルが詠唱を開始し、終えると目の前にはピンク色の石の塊ができていた。
「……これなんですか?」
「知らないのかい?岩塩生成の魔術だよ」
「……知りませんでした。そんなのがあったんですね……」
「だから塩は安いんだよ」
「え?」
「どこの国にも塩を作れる魔術師は珍しくないからね。塩不足になることは滅多にないよ」
「昔は専売にしようとした国もあったらしいが、魔術師がいれば作れてしまう。結局、取り締まるより自由に売らせた方がいいという結論になったようだ」
「なるほど……」
ヘルガは生成された岩塩を砕き、粉微塵にしていく。そして塩を肉にふりかけた。
「よし、完成だ。さあ食べるよ」
そうして、猪肉に口を付ける。
「なんというか……この猪肉って野性味が凄いですね」
「面白いことを言うね。まあ狩ってすぐだとそうかもしれないね」
「あと気になったんですが……岩塩生成魔術なんてあったんですね」
さきほどリュシエルが使った魔術のことを思い出した。
「ああ、どの国も塩は魔術師が生産しているぞ。知らなかったのか?」
「知りませんでした……」
言われてみれば実家でもルシアンの家でも塩に困ったことがない。
「鉱物生成は土生成魔術の応用だ。岩塩生成もその一つに過ぎん」
「ということは……鉄や銅、金や銀なんかも作れるんですか?」
サミュエルの問いに、リュシエルは小さく頷いた。
「理論上はな」
「本当ですか?」
「ただし、魔力の消費量が現実的ではない。だから誰もやらん」
リュシエルは焚き火へ薪をくべながら続ける。
「土や砂、塩は消費量が少ない。だが銅や鉄になると一気に消費量が増える。一般の魔術師が全魔力を注いでも砂粒程度だ。銀や金に至っては魔力が消費しただけで終わったと言われている」
「どうしてなんですか?」
「わからん。ただそう神が作ったとしか言われていない。だが仮説は二つある」
リュシエルは指を一本立てる。
「一つは、鉱物の価値で魔力消費量が決まるというものだ。現に鉄や銅より金や銀のほうが価値が高い」
「そうですね」
「だが疑問は残る。その価値を決めているのは人類だ。人類が勝手に決めた価値で魔力消費量が変わるように神が定めたとは思えない」
たしかにそうだ。採掘量の違いなどもあるかもしれないが、場所によっては鉄よりも金や銀のほうが取れるところだってあるかもしれないのだ。
リュシエルは二本目の指を立てる。
「二つ目は、生物に必要かどうかだ。土や砂は植物の成長に必須だ。そして塩は生物が本能で求めるものだ。塩を摂取しなければいずれ死ぬ。そしてこれは私の憶測だが、鉄も生き物に必要なのではないかと考えている」
「どうしてですか?」
「血が鉄と同じ味がするからだ。もっとも、それを証明できた者はいない。だから単なる仮説に過ぎん」
サミュエルは知っている。人が生きるには鉄も銅も欠かせないことを。
だが、それは前世で得た知識に過ぎない。根拠を示すこともできず、なぜ知っているのかも説明できない。だから黙って耳を傾けるしかなかった。
そしてサミュエルは二つ目の仮説こそが真実なのではないかと思っていた。
「さて、小難しい話はそこまでにして、サミュエル。あんたは魔術をどれくらい使えるんだい?適性は?等級は?」
「えっと、適性は火、水、風、土で、中級魔術は使えます。上級は詠唱や術式を知らないので試したことありません」
「中級が使えるなら戦力として十分だ。人族で四属性は多いな」
「リュシエルさんはどれくらい使えるんですか?」
「闇以外すべて使える。等級は上級で風は極級だ」
「極級……」
以前見た魔術の入門書には初級、中級、上級、極級、神級があるとあった。
その上から二番目の等級の魔術が使えるというのだ。
「ただ使えるというだけでほぼ使わん。大掛かりすぎる。詠唱も長い、規模も大きいと実用的な魔術ではない。個人の戦闘で実用的なのはよくて上級までだ」
「そういえば、猪を狩るときは弓を使っていましたよね。どうしてですか?」
「魔力の節約だ。それに食べるのなら魔術で吹き飛ばすのも避けたい。まあ結局岩塩生成で魔力を消費したがな」
「悪かったね。食事も終わったし、夜番の順番を決めるよ。サミュエルは一番最初だ。真ん中や最後は寝不足になりやすいからね」
「わかりました」
「それじゃあ今日はここまでにして、寝る準備をするよ」
焚き火の火が揺れ、森はゆっくりと夜の静けさに包まれていく。初めて迎える野営の夜に、サミュエルは胸の奥にわずかな緊張を抱えていた。




