第58話 心地よい風(8歳)
「あれは冷たすぎるわ。あれじゃ送風具の前に座れないわ。」
「冷たくなくても目の前に座らないでください。」
試作第1号は失敗に終わった。だが冷たい風を出すということは成功している。問題は温度調整だけだとわかったことは、大きな収穫だった。
温度計が存在しないこの世界ではサミュエルは知る由もない。
発酵中の堆肥は人が思う以上に高温となる。それを基準に術式の構造をそのまま反転させた結果、人が至近距離で浴びるには冷たすぎる風を生み出してしまったのである。
「ところでサミュエル。一つ気になったが魔力消費のほうはどうだ?」
「そういえば……あれ?発酵用魔術具と大して変わらない気がします。術式が少ない分あっちより少ないぐらいな気がします。」
「それは本当か?魔力量が体感でわかるお前が言うんだからおそらく間違っていないんだろう。もしかしたら俗説が覆るかもしれんな。」
「俗説ってなんですの?」
「お嬢も魔術が使えるから知ってると思うが、氷生成は他の初級魔術より魔力消費量が多い。これは冷たい物を作ったり、維持するのが大変だから魔力消費量が多いと考えられていた。」
「そうね。氷生成は私も10回ぐらいしか使えないわ。」
「だがいまサミュエルが使った魔術具はあれだけ冷たい風が吹き付けたにも関わらず魔力消費が少ないと言った。」
「たしかに冷たかったわ。屋敷の保冷庫より冷たく感じたわ!」
(保冷庫に入ったのかよ……前世だったら大炎上だぞ……)
「お嬢……保冷庫は人が入る場所じゃないぞ。」
「知ってるわ!怒られたから!でも気持ちよかったわ!」
「……お嬢の話は置いておこう。」
ルシアンは咳払いを一つすると、送風具へ視線を戻した。
「話を戻すぞ。もし本当に魔力消費が少ないなら、発熱術式と構造を反転させたときの特性を解析したほうがよさそうだ。色々と応用ができそうだ。」
「では次は熱の調整幅を小さくして反転しますか?堆肥を作った時に、発熱が弱すぎて腐らせたのもあったのでそれで試したいと思います。」
「ではそうしろ。どれくらいでできる?」
「記録は残してあるので……半刻もあれば終わります。」
「ねえ、堆肥を作った時ってなんなの?教えて!」
エレノアが堆肥という単語に食いついてしまった。お嬢様育ちだから、堆肥など縁がなかったのだろう。
「あとで説明します。」
「仕事しながら話せばいいじゃない!ねえ教えなさい!」
困った顔を作りサミュエルはルシアンのほうを見る。作業に集中できないのはよくないのではと思ったがエレノアの命令に近い頼みを断るほうがまずいと思い、ルシアンは小さく頷いた。
「わかりました。作業しながらお話します。ただ意識は手元に向くのでちゃんと会話はできないのでそこは許してください。」
「サミュエルがちゃんと会話できないなんていつものことじゃない!それぐらい良いわよ!」
失礼なことを言われたが、問題ないとのことなので作業をしながら堆肥作りの件を話し始めた。堆肥とはなにに使うのか。堆肥はどうやってできるのか。まず前提知識を教えてから、自分がなにをやったかを話した。そしてその結果がどうなったかも話すと、楽しそうに聞いていた。
話しながらの作業だったが宣言通り半刻ほどで修正が終わった。
「思ったより早かったな。どれ、見せてみろ。」
作業に集中できる状況ではないこともルシアンは理解していたため、もう少し時間がかかると思っていたようだ。修正部分にも影響が出ていないかを確認した。
「大丈夫そうだな。では試してみろ。」
そして再び魔力を注ぐ。すると冷たい風が吹き出てきた。
「前より冷たくないけどやっぱ寒いわ!」
「そうですね……吹き出し口がもう冷たくなっている……。」
先ほどが冷凍庫内で強風に当たる痛さだったが、今回は冬場に風が吹いたような冷たさだった。
(そもそも風に当たるなら『冷たい風』じゃなくていいんじゃ……。気持ちのいい風……前世でいう20℃ぐらいの風がいいんじゃないだろうか?)
「どうした?」
「いえ……冷やすことばかり考えていましたけど、送風具なんですから、快適な風を作ればいいだけなんじゃないかと思いまして。」
「いいところに目を付けたな。」
「でもどうすればその快適な熱にするかがわからなくて……。」
その疑問を聞いたルシアンが顎に手を置きしばし考えると、サミュエルに問いかける。
「二つ確認するが、今回の魔力消費量は前回と比べてどうだった?それと堆肥用魔術具の生み出す熱は常に一定か?それとも夏と冬で変わるのか?」
「魔力消費は前回より少なく感じました。堆肥用魔術具の生み出す熱は常に一定でした。夏は試せていませんが秋の始めと冬と春に試しましたが特に変わりませんでした。」
「もしかしたら発熱術式は環境に左右されていないのかもしれないな。」
「どういうことですか?」
「要するに、発熱術式は周囲の影響を受けず、常に同じ基準で熱を生み出している可能性がある。」
「……ああ!」
ルシアンが言いたいことはこういうことだ。
発熱術式は周囲の暑さや寒さに関係なく、一定の基準から熱を生み出している。そして、その基準から離れるほど魔力を消費する。
仮に前世でいう20℃をその基準とするなら、60℃も-20℃も同じだけ離れている。だからどちらも消費魔力は同じになる。逆に40℃や0℃なら、その基準からの差は半分だ。だから魔力消費も少なくなる。今回の試運転の結果からルシアンはそう考察したのだろう。
「師匠の言うとおりかもしれません……。なら敢えて熱の発生を最弱にして反転したらどうなるかやってみたいと思います。」
度重なる温度調整で規則性は掴めている。あとは実践あるのみだ。
「好きにやれ。できたら教えろ。」
「ねえ、どういうこと?私にもわかるように教えて!」
「作業しながらでいいからお嬢に説明してやれ。」
「はい……。」
サミュエルは先ほどと同じようにエレノアにもわかるよう言葉を置き換え、噛み砕いて説明することになった。ただここでサミュエルは少し驚くことになる。わかりやすく説明したとはいえ、エレノアが内容をしっかり理解している様子だったからだ。
そうしているうちに最弱の熱を反転させた術式ができあがり、ルシアンからも試すように指示がでた。
「じゃあいきますよ……。おお!冷たくない!」
「涼しいわ!気持ちいい風ね!ずっと目の前に居られるわ!」
「成功したようだな。よくやった。」
こうして改良型送風具が完成した。
工房を流れる風は、今までの送風具とは違い、自然で心地よい冷たさを帯びていた。




