第57話 送風具(8歳)
魔術具の構造についてルシアンから教えを受けた日から数日が経過した。
「おはようございます。」
「今日は薬草を持ってきました。」
「ありがとうございます。」
「こ、この前頼まれていた絹です……。」
「こちらへどうぞ。」
「卵10個、持ってきました。」
「確認します。」
最近は父親に代わって、自分と同じくらいの年頃の娘が納品に来ることも少なくない。どうやらこの時期は、家族総出で働くのが当たり前らしい。
そんなことを考えながら、日々の業務をこなしていた。最近はさすがに納品にやってくる人たちにも慣れてきたと、自分でも実感できる。
納品作業が終わり、午後からルシアンの手伝いをしていると、それは当然やってきた。
「来たわよ!」
「お帰りはあちらです。」
エレノアが工房にやってきた。彼女にとっては、ここにある魔術具は玩具のようなものなのかもしれない。ズカズカと室内に入り、送風具の前に陣取り始めた。
ルシアンは何を言っても無駄だと判断しているのか、なにも言わない。
「この部屋は暑いわね!」
「工房は基本締め切っていますからね。最近は夏に入って一段と暑くなってきていますから。」
「その割には貴方は平気そうね。」
「平気ではありませんよ。ただこれくらいなら我慢できるだけです。それより……もう少し淑女らしくできないんですか?」
エレノアはあろうことか送風具の前でスカートにも関わらず胡座をかいている。サミュエルのその指摘に対してエレノアはニヤリを笑い、自らの懐から折りたたみ式の扇を取り出した。
「あら、サミュエル様。失礼いたしましたわ。暑さのあまり、少々はしたない姿をお見せしてしまいました。」
扇で口元だけは淑女そのものだった。だが胡座をかいたまま、髪もスカートも送風具の風でばたばたと揺れている。その姿ではまるで説得力がない。
「口だけではなく、行動も伴ってください……。全然淑女らしくないですよ……。」
今のエレノアの格好を指摘したが聞く耳を持たない。
「暑いのだから仕方ないじゃない。でもここなら送風具を独り占めできるからいいわね。部屋の中が暑いのが残念だけど!」
「いえ、それはエレノア様が独り占めしていいわけでは……。お屋敷には送風具はないんですか?」
「いいや、あるぞ。ただ数があまりない。客間と応接室、あとは執務室ぐらいだったはずだ。子どもが一人で使えるような数はない。」
「なぜですか?」
「単純に優先順位が低い。この時期しか使わない上、室内にいる時だけだ。」
「そうだったんですね。なら使用人に団扇を扇がせれば良いんじゃないですか?エレノア様の身分なら珍しくないのでは?」
サミュエルは主人が椅子に座る横で優雅に団扇を扇ぐ侍女という光景を想像した。辺境伯家の孫娘であればそれぐらいできても不思議じゃないと考える。それにどうもレオンはエレノアに甘いように感じてもいた。
「できるわよ。だけどやらない。ずっと私のためだけに団扇を扇がせるなんて可哀想じゃない。使用人だって暑いのに。」
それを聞いたサミュエルは驚く。ただの我が儘で何をしでかすかわからないお嬢様と思っていたが、使用人への気遣いを見せたのだ。
「その気遣いを僕たちにも少しでいいので分けてもらえませんか?」
「私がここに来ないと貴方たちと会うこともないからそれは別よ!」
思った以上に優しい一面もあるらしい。もっとも、それと迷惑をかけることは別問題なのだろうが。
「それにしてもこの送風具は駄目ね!」
魔術技師見習いとして聞き捨てならない言葉がエレノアの口から飛び出した。ルシアンも思わず視線を向ける。
「どう駄目なんですか?」
「風が生ぬるいもの!ないよりはマシだけど気持ち悪い!」
おそらく部屋を締め切った上で室温が上がった状態だからだろう。空気自体が温いから風も温くなってしまっている。
「そうだ!こうすればいいんだわ!」
するとエレノアが詠唱を始める。氷生成の魔術だ。
「あー気持ちいい……でもずっと同じ場所に当ててる今度は冷たくなるし濡れるしでこれは駄目ね!」
冷気がサミュエルの頬を撫でた。
「エレノア様って魔術使えたんですね……。」
「そうよ!凄いでしょ!」
言われてみればルシアンは初めからエレノアには勝手に魔術具に触らせないようにしていた。勝手に壊すと思って触らせないのかと思っていたが、彼女の場合は、無許可で魔術具を発動させかねないからなんだと理解した。
「エレノア様、氷を送風具の風が出る場所の前に置いてみてください。」
「こう?……あ、風が少し冷たくなった!あなた頭いいわね!」
サミュエルは前世で扇風機の前に凍らせたペットボトルを置き、少しでも涼しい風を送っていたことを思い出す。それを真似してもらった。
「あ、でもすぐ溶けちゃう……。」
「風に当てると溶けるのは早いですからね。送風具自体が冷たい風……あれ?」
「どうしたのサミュエル?」
途中までなにかを言いかけて止めてしまったことに、エレノアは疑問に思い、氷を作りながら不思議な顔でサミュエルを覗き込む。だがサミュエルは、ブツブツと小さく独り言を呟いていた。
「冷たい風を送りたい……氷でもいい……だけど溶ける。なら氷を作り続ける?違う……。欲しいのは氷じゃない。冷たい風を維持し続ければいい……。どうやって?冷たい風……。冷たい空気……。扇風機だけだと生ぬるい……。」
「ルシアンおじ様!サミュエルが壊れたわ!」
「放っておけ。なにか思いつきそうなんだろう。」
一人思考の海に飛び込んだサミュエルを見てエレノアは本気で心配する。ルシアンには聞こえていないようだが口から出てくる言葉の意味もよくわからない。
「逆だ……。冷たいの逆は熱い……。熱い……発熱……反転……アッ!」
なにかに気づいたようなサミュエルの反応を見てルシアンが笑う。
「なにか思いついたみたいだな。言ってみろ。」
「この前話していた反転の構造。あれ使えませんか?」
「ほう……。理屈は通る。だが前にも言っただろう。魔力消費が馬鹿にならん。」
「でもできるんですよね?やってみましょうよ!それに魔力量なら僕は自信があります!」
「そこまで言うならやってみろ。まず想定される術式を書いて俺に見せろ。問題ないなら作らせてやる。」
「わかりました!」
それまで黙って見ていたエレノアが興味深そうに聞いてくる。
「なにをするつもりなの?」
「エレノア様、ありがとうございます。お陰で思いつきました。」
「どういたしまして。もっと感謝してくれていいのよ?それでなにを思いついたの?」
「エレノア様の不満を解消する魔術具です。」
----------
エレノアはまた来ると言って帰っていった。さっそく術式を書き上げ、ルシアンに見せる。
「師匠、術式を書きました。」
ルシアンは黙って術式を眺める。
「送風術式はそのままか。発熱術式の温度調整部分だけ反転させたんだな。」
「はい。」
「試作型だけあって構造は単純だ。悪くない。一から送風具を作るのも面倒だろう。その送風具を流用しろ。元々試作品だから壊れても構わん。ただし今日はもう遅い。続きは明日だ。」
----------
翌日、祈りと納品作業を終えるとすぐに術式を描く作業に移る。早くやりたくて納品作業があまり集中できていなかったぐらいだ。
作業の途中でルシアンから昼食に行くよう言われたが、すぐに食べて作業に戻った。その甲斐あって昼食を終えてすぐ完成させることができた。魔力の流れにも問題はなかった。
「今日も約束通りきたわよ!」
タイミングよくエレノアがやって来た。
「約束してないです。ですがちょうどこれから魔術具を試す所です。」
「え?なに!?目の前のそれね!」
勝手に近づこうとしたので、ルシアンが取り押さえる。
「さすがに試運転もしてないものを勝手に発動させるわけにはいかん。少し離れておれ。」
ルシアンは取り押さえたエレノアを抱えて少し離れる。
「いいぞ、発動させろ。」
「はい。」
改良した送風具に魔力を注ぐと冷たい風が吹き付けてきた。
「おっ、できた!あれ?」
想定通り冷たい風が出てきた。だが――
「ちょっと!冷たすぎるわよ!寒い寒い!」
「サミュエル、止めろやり直しだ。」
「は、はい!」
どうやら試作第1号は、冷たすぎる風を送ってしまうという問題を抱えたままのスタートとなった。




