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17 火消し刺し子布(ひけしさしこぬ・消火用大布)と文鎮と

二月の終わりに王都グラン・ルミナスの「天上の鏡面舞踏大宮殿」で巻き起こった、帝国第一皇子ルフェス殿下の名前一文字ハッキング誤認事件と空間破砕の暴走。

あの未曾有の不条理を、砂消しゴムの絶対摩擦と台鉋の空間切削という「実家の蔵の文具・工具コンボ」で文字通りゴシゴシと力任せに削り落とし、歴史上誰も見たことのない無限大の超高得点を叩き出して白イチゴタルト特大タワーを貪り尽くしてから、早いもので一か月。


三月の穏やかな春の魔導微風が大陸の雪を完全に溶かし去り、世界の頂点にそびえ立つルミナス魔法学院の敷地内には、桜に酷似した薄紅色の魔導桜の結界花が、文字通り満開の狂い咲きを見せる四月。

天照ひよりたちの物語は、激動の一年生編を終え、ついに「二年生・中堅魔導師クラス」という、新たなるプロットの第一ページへと突入していた。


「……あー、平和。平和っていうか、もはや私のいたって平凡な一般女子高生スペックの胃袋と精神が、この新学期のうららかな陽気のせいで、完全にバターみたいに溶けてパンの耳に染み込んでいくプロット(構成)だよ……。見てよ硯水さん、二年生の黒い制服の胸元についた『二本線の魔導階級章』。

これがあるだけで、もう体育祭で変な魔獣に追いかけ回されることも、ダンスの居残り特訓で足の指の皮を消しゴムのカスにする必要もないんだから。

これからは後輩たちを遠くから見守る、隠居したおじいちゃんのような穏やかな学園生活が約束されてるの!」


新学期の始まったばかりの二年生A組の教室。ひよりは窓際の特等席にだらしなく頬杖をつき、うっとりと春の陽光を浴びながら口元を緩めていた。

十六歳(もうすぐ十七歳)の見習い召喚士にとって、この「先輩になった」という事実こそが、この上ない安全地帯の防壁に見えていたのである。


「何を根拠のない隠居プロットを記述しているのだ、ひより。お主は世界樹の街を救い、王宮の絶対契約システムをヤスリがけで破壊した、今や学園内でも『生ける伝説の特異点』としてマークされている存在なのだぞ。それに、お主は自分自身のことを『広島県の呉の神社出身の平凡な女子高生』だと言い張っているが……私や蔵の者たちは知っているぞ。

お主の魂の半分には、この世界で数百年前、魔王の軍勢によって一夜にして地図から消し去られたという、伝説の『星詠みの隠れ里』の絶滅した聖巫女の血脈が、因果の糸となって不気味に絡みついていることをな」


私はひよりの机の横、新しい教科書が山積みにされた影に、依り代である文机を精神体として小さく実体化させ、滑らかな万年筆のインクを走らせながら応えた。私の名は『硯水(けんすい)』。

千年の歴史を持つあの蔵の奥で、人間の様々なる血筋の秘密、本人が知らないまま受け継がれていく王家の紋章や、歴史の裏に葬られた悲劇の里の子供たちが、運命の歯車に噛み合わされていくハレとケの境界線を見つめ続けてきた付喪神だ。


「もう、硯水さんまでそんなファンタジーな中二病みたいな設定を持ち出さないでよ!

私は呉のれんが通りで二重焼きを買い食いして、灰ヶ峰の夜景を観ながら『あー、明日から学校だるいなぁ』って言ってた、普通の天照ひより!

隠れ里の巫女なんて、そんな名前からして重たくて、美味しいスイーツの食べ放題がなさそうな役職、私は絶対に辞退するからね! あーあ、四月の呉の海沿いの通りにでも行って、潮風を浴びながら冷たいメロンソーダでも飲んで現実逃避したいなぁ。なんで新学期早々、そんな不穏な伏線(フラグ)を立てられなきゃいけないの!?」


「それは、今日の午後から大講堂で始まる『新入生歓迎式典・対面の儀』のゲストとして、お主たち二年生の代表班が指名されているからだろう?」


ひよりの新しい筆箱の隙間から、ひょっこりと顔を出したのは、おみくじ箱の付喪神である『吉凶(きっきょう)』だった。木箱の体をからからと小気味良く鳴らす。


「そうだよ、ひよりの姉ちゃん。それに、今回の新入生の首席代表として入学してくる特待生がさ……なんだか普通じゃないんだ。さっき購買部の方で噂を聞いたんだけど、代々高貴な魔術師の家系でもなければ、高名なエルフの血筋でもない。

なんでも『数百年前に滅びたはずの未踏の隠れ里から、突然姿を現した漆黒の魔力を持つ少年』だって言うじゃないか。ほら、名前が確か……『クロウ・アルカディア』とか言ったかな?」


「……え? 滅びた隠れ里の、クロウ……?」


その名前がひよりの耳に触れた瞬間、彼女の胸の奥に眠る、本人さえ自覚していない「星詠みの魔力」が、ドクン……と不気味に、そして冷たく脈動した。それが、新たなる二年生編の幕開けを告げる、あまりにも不条理な宿命のハプニングの合図だった。


第二章:新入生歓迎式と「漆黒の特待生」


『これより、ルミナス魔法学院・新入生歓迎式典を執り行う! 新入生首席代表、前へ!』


大講堂の厳かな空間に、学院長の拡声魔法の声が響き渡った。


ひよりは二年生の最前列で、いつものツンツン頭の少年――ルファスや、少し大人びた黒い正装に身を包んだ獣人の少女――ミーナと共に、ステージの上を見つめていた。周囲には、大陸中から集まった何千人もの新入生たちが、緊張と興奮の眼差しを前方へと向けている。


大理石の階段を上り、中央の演台へと姿を現したのは、年の頃は十四、五歳ほど、夜の闇をそのまま切り取ったかのような深い黒髪と、すべてを見通すような冷徹な「極光のオパール」の瞳を持つ、極めて美しい少年だった。


彼の纏う漆黒の魔導衣からは、新入生のものとは到底思えない、空間を物理的に歪ませるほどの圧倒的な『漆黒の星詠み魔力』が、波紋のようにフロア全体へと放射されていた。


「……っ!? な、何だあいつの魔力は……! 新入生の分際でありながら、まるで僕の親父(ヴァルカン伯爵)の全盛期をも凌駕するような、冷酷で底の知れない質量を感じるぞ!」


ルファスが杖の柄を握り締め、本能的な警戒の声を上げる。


「ひよりさん……、あの子の魔力の匂い、なんだかすごく、悲しくて、冷たいですぅ……。まるで、誰もいない暗い森の奥で、ずっと一人ぼっちで泣いているような……」

ミーナが犬の耳をピタッと伏せ、ひよりの袖を強く引っ張る。


ステージの上の少年――クロウは、演台の前に立つと、何千人もの聴衆を完全に無視するように、ただ一人の少女――二年生の列にいる「天照ひより」の瞳だけを、じっと見つめて口を開いた。


「……やっと見つけた。数百年前に世界から捨てられ、魔王の炎に焼かれた我が『アルカディア隠れ里』の、失われたはずの『半身の巫女(依り代)』。……僕の名はクロウ。滅びの運命を覆し、この偽りの世界(学園)のプロットを根底から書き換えるために、地の底から這い上がってきた星詠みの申し子だ。

さあ、ひより。僕と共に、あの日の滅びの儀式をもう一度、正しい形で完成させよう」


その言葉が講堂に響き渡った瞬間、クロウの背後から、かつて世界を滅ぼしかけた古代の暗黒魔術――【星蝕の終焉陣(エクリプス・グランド)】が、巨大な漆黒の太陽のような形で突如として出現し、大講堂の天井の結界をバリバリと音を立てて噛み砕き始めた。

新入生たちの歓迎ムードは一瞬にして恐怖のパニックへと変貌し、空間全体の重力と因果が、クロウの放つ「隠れ里の怨念」によって、急速に黒く塗りつぶされ始めたのだ。


「大変です! 新入生代表のクロウが暴走……いや、最初から学園のシステムを乗っ取るために、古代の滅びの結界を展開しました! このままでは講堂全体の魔力が反転し、生徒たちの魂がすべて『星詠みの生贄』として吸い尽くされてしまいます!」


セリア生徒会長が本部席から迎撃の障壁を張ろうとするが、クロウの放つ漆黒のエネルギーは、生徒会の正規の防衛線を「ただの紙切れ」のように一瞬で腐食させ、崩壊させていく。


「ちょっと待ってよ! 私は呉の天照ひよりだってば! なんで私の知らないところで、そんな『生き別れのダークサイドな後輩』みたいな重たいプロットが完成してんのよ! それに、そんな黒いぐるぐるした魔法で学園を壊されたら、今日の夕飯の『新入生歓迎・王宮特製ローストビーフ食べ放題』が、文字通り灰になっちゃうじゃないの!」


ひよりの「食欲と日常の防衛本能」が、新学期早々、極限の出力で大爆発した。


「ひより、その通りだ。相手が『歴史の闇に葬られた隠れ里の不条理な未練と、空間を黒く塗りつぶす古代魔術』か。どれほど巨大な暗黒の太陽(バグ)が世界を覆おうとも、お主の日常(プロット)を侵すことは許されない。……我が神社の西の第四蔵の最奥――千年の間、人間のありとあらゆる『激しい炎』や『不浄な煙』、そしてお祭りの最中に突如として暴走した不吉な火の手を、その絶対的な『消火と煤払い』という物理の一念によって、一瞬で元の清々しい白木へと洗い流し続けてきた、あのシンプルながら最も力強い道具を呼び出すのだ」


「西の第四蔵の、火や煙を消す道具……あ! おじいちゃんが昔の古い本堂の裏で、お焚き上げの火が大きくなりすぎた時に、『これのひと振りには、どんな不浄の煙も敵わんのじゃ』って言いながら、バサッ、バサッって眷属みたいに振っていた、あの厚くて大きな……!」


「そうだ。あれは、魔法の消滅呪ではない。だが、人間の『どんなに激しい不浄の火も、上から叩いて空気(因果)を遮断すれば、必ず消えて静寂に戻る』という、あまりにも力強い生活の知恵から生まれた兵器だ。……ひより、彼女を呼び出して、その生意気な後輩の黒い太陽を、根元から叩き潰してやれ!」


第三章:新入生の暴走と「火消し布の絶対鎮圧」


ひよりは悲鳴を上げて逃げ惑う新入生たちの波を逆流し、漆黒の魔力を放つクロウの前に毅然と立ち塞がった。

そして、自らの本体リンクによって極限まで密度を高めた銀色の魔力を、大講堂のステージへと叩き込んだ。


「デッドストック、起動! 我が実家の蔵の奥、千年の間、どんな不浄な大火事の煙も一瞬で窒息させてきた、最高のお掃除火消し番、おいで!」


バサァァァン!!!と、


空間に頑丈な刺し子の布地が幾重にも張り合わされるような、あまりにも頼もしく、脳裏の焦げ臭い煙を一瞬で吹き飛ばすような音が響き渡った。


光の中から出現したのは――最高級の厚手の綿布を何重にも重ねて細かく縫い上げ、長年の消火活動によって端々がうっすらと黒く燻されながらも、圧倒的な柔軟性と重量を保っている、伝統的な『火消し刺し子布(ひけしさしこぬ・消火用大布)』の一組だった。


「おやおや、随分とジメジメした暗い火遊びをしている坊やだねぇ。……これじゃあ、せっかくの新学期の綺麗な桜(舞台)が、煤だらけで泣いちまうよ」


布地の隙間から立ち上る、井戸の冷たい水と、古い石鹸の香りがする煙の中から現れたのは、長い髪をキリッと男前に一本に結び、体には藍染めの頑丈な法被(はっぴ)を纏った、いかにも江戸の火消し頭の姉御のような姿をした付喪神――名を『布鶴(ぬのづる)』という。


千年の間、神社の境内で発生したボヤ騒ぎや、近隣の村の大火事の最前線に担ぎ出され、どんなに激しい炎や煙であっても「我が上から覆った場所は、すなわち絶対不変の『消火完了』である」という、強烈な『鎮圧』の執念から神格を得た、火消し布の付喪神だ。


「布鶴さん! あのクロウ君の黒い太陽の魔法が暴走して、みんなの魂を吸い込もうとしてるの! あの嫌な黒い炎を、跡形もなく消し去って!」


「おう、任せときな、ひよりの嬢ちゃん! ワシの身体(火消し布)が刻む鎮圧の質量はね、魔法のエネルギーだの古代の怨念だの、そんな小賢しい理屈に揺らぐほどヤワじゃないのさ!……ただ『上からバサッと覆って、火の息の根を止める』。これ以上の消火の真理はねえんだよ! ――【神域鎮圧・金剛火消し大幕(しんいきちんあつ・こんごうひけしおおまく)】!」


布鶴が、自らの本体である巨大な刺し子布の両端を掴み、クロウの背後で渦巻く

【星蝕の終焉陣(黒い太陽)】に向けて、空中を美しく舞いながら、バサァァァァァン!!!!!と力任せに覆い被せた。


その瞬間、古代の暗黒魔術が放っていた「空間を腐食させる黒いレーザー」が、布鶴の布地に直接命中した。普通なら、どんな魔法の障壁であっても一瞬でドロドロに溶かされるはずだった。

しかし、布鶴の火消し布は、魔法防御ではなく『千年の人間の火消しの執念が乗った、絶対的な消火の物理結界』そのものであったため、暗黒の炎は熱や因果を布地に伝えることができず、逆にその圧倒的な「密閉・窒息」の圧力の前に、シュゥゥゥゥ……と情けない音を立てて、酸素を奪われた蝋燭のように一瞬で鎮火してしまったのである。


「な……何だと……!? 我がアルカディア隠れ里の秘術、世界を黒く塗りつぶすはずの星蝕の炎が、ただの『濡れた分厚い布片』によって、呼吸を止めるように消滅させられたというのか……!?」


冷徹だったクロウの表情が初めて崩れ、そのパールの瞳を驚愕に大きく見開いて後ずさりした。

「ガハハハ! どんなにド派手な暗黒の炎(魔法)だってな、ワシの上から叩かれりゃあ、ただの煤煙よ! さぁ坊や、頭を冷やして新学期の教科書でも読み直しな!」


布鶴が豪快に笑う。黒い太陽が完全に消滅した大講堂には、一瞬にして元のうららかな春の光が差し込み、パニックに陥っていた新入生たちからは「おお……! A組の天照先輩が、一瞬で暗黒の魔法をバスタオル(?)で消し去ったぞ!」と、割れんばかりの歓声が沸き起こったのだった。


第四章:因果の激突と「歴史の不条理」


だが、クロウの執念は、自らの秘術を消し去られただけで折れるほど生易しくはなかった。


「くっ、さすがは僕の半身……隠れ里の血脈を受け継ぐ者。だが、力で消せぬなら、この世界の理(システム)そのものを捻じ曲げて、君の存在を僕のプロットへと強制的に繋ぎ止めるまでだ!」


クロウが懐から、かつて隠れ里が滅びる直前に星の記憶を封じ込めたという、不気味に明滅する古代のアーティファクト――『因果の歪み時計(クロノス・バグ)』を取り出し、その針を力任せに逆回転させた。


カチ、カチ、カチ、チキィィィン!!!


大講堂全体の空間が、まるで水面に投げ込まれた石のように、グニャグニャと激しく波打ち始めた。


「な、何てことだ! あいつ、あの呪いの時計を使って、大講堂の中の『歴史の因果関係』を強制的に数百年前の滅びの夜へと巻き戻し、天照(ひより)の魂を『呉の女子高生』から『隠れ里の生贄の巫女』へと無理やり上書きしようとしているんだ!」


ルファスが激しい空間の歪みに耐えながら、声を枯らして叫ぶ。ひよりの足元からは、見たこともない古代の不気味な黒い紋章(隠れ里の呪い)が次々と触手のように伸び上がり、彼女の二年生の制服を、古い生贄の白装束へと無理やり書き換えようと締め付け始めていた。


「うわっ、ちょっと待って! 制服が、制服が変なボロ布に変わっちゃう! 私の、私の呉の思い出が、全然知らないお化け屋敷みたいな隠れ里の記憶に侵食されていく……! 頭がぐるぐるして、自分が誰だか分からなくなりそう……!」


ひよりが頭を抱えてステージの上に膝をつく。彼女の脳裏に、夕焼けに染まる呉の灰ヶ峰の景色と、赤黒い炎に包まれて崩壊していく見知らぬ隠れ里の景色が、激しく衝突しながら火花を散らしていた。


「不味いな。相手は文字の書き換え(スペルミス)ではなく、歴史の因果そのものを『強制的な上書き(パラドックス)』によって捻じ曲げようとしている」


私は文机の前に立ち、万年筆を強く握りしめた。私の現実改変で『歴史は変わらない』と記述するには、クロウが命を賭して発動している数百年前の隠れ里の怨念の質量が大きすぎる。


「ひより、自分を見失うな! 世界がどれほど頑固な古代の未練(バグ)によってお主の今を上書きしようとも、人間の『一度決まった正しい境界線は、上から強固な楔を打ち込めば、絶対に一ミリも動かない』という日常の規律の前には、歴史の歪みなど一歩も侵入できない。……我が神社の東の第三蔵の引き出しの奥――千年の間、地域の小作人たちの土地の境界線を巡る激しい争いや、神域の不可侵の結界のラインを、その絶対的な『位置の固定』という一念の物理重量によって、一分一厘のズレもなく守り続けてきた、あの無骨な文房具を呼び出すのだ!」


「引き出しの奥の、位置を固定する道具……あ! お父さんが大切な図面や、おじいちゃんが神社の古い古文書を広げて風で飛ばされないように、上からドスンって置いていた、あの細長くて重い……文鎮(ぶんちん)さん!」

「そうだ。あれは、ただの鉄の塊ではない。人間の『ここから先は、絶対に動かさない』という、強烈な『境界確定』の執念から生まれた兵器だ。……ひより、彼を呼び出して、お主の『呉の女子高生としての今』の上に、絶対的な重量の楔を打ち込んでやれ!」


第五章:因果固定と「文鎮の絶対重量」


ひよりは混濁しかける意識の奥底から、自らの「呉での平和な日常への執念」を爆発させ、足元の不気味な黒い紋章に向けて、渾身のデッドストックの光を放った


「デッドストック!! 我が家の書斎に眠る、すべての書類を絶対に動かさないお宝、出てきて私の『今』を、ここにガッチリ固定しちゃってぇぇぇーーーッ!!」


ドズゥゥゥゥン!!!と、


大地の底に巨大な鉄の柱が打ち込まれたかのような、あまりにも重厚で、あらゆる空間の揺らぎをその一撃で強制静止させるような音が響き渡り、長方形の黒い魔法陣がステージの床一面に展開した。

光の中から出現したのは――最高級の黒鉄を削り出し、表面には美しい龍の彫刻が施され、長年の使用によって深い鈍色の光沢を放つ、伝統的な『鋳鉄製・特大文鎮(じゅうてつせいぶんちん・ペーパーウェイト)』の一組だった。


「……フゥ。随分と、落ち着きのない不条理な風(因果の歪み)が、お嬢さんの大切な頁(いま)を捲り落とそうとしているねぇ。……我が『重鎮』の前に、勝手に動いていい歴史など、ただの一行も存在しないのだよ」


文鎮の龍の彫刻の隙間から立ち上る、濃い墨汁と古い書庫の静寂の香りがする煙の中から現れたのは、全身を漆黒の格調高い着物で包み、瞳の奥に絶対的な『不動』の質量を湛えた、大変に知的で威厳溢れる老紳士の姿をした付喪神――名を『鎮五郎(しんごろう)』という。千年の間、神社のあらゆる重要な儀式の記録や、絶対に動かしてはならない土地の契約書の上にドスンと鎮座し続け、どれほど強い嵐の風が吹こうとも「我が押さえた場所は、すなわち絶対不変の『現在地』である」という、強烈な『固定』の執念から神格を得た、文鎮の付喪神だ。


「鎮五郎さん! あのクロウ君の時計のせいで、私の歴史が滅びた隠れ里の巫女に上書きされちゃうの! 私の『今の存在』を、絶対に動かないようにここで押さえて!」


「お安い御用だよ、ひよりのお嬢さん。我が身体(文鎮)が刻む重量はね、時間の逆流なんぞに押し流されるほど軽かあないのさ。……さぁ、お嬢さんの『呉の女子高生』としての歴史の上に、絶対の楔を降ろさせてもらうよ!――【神域固定・万物不動重鎮(しんいきこてい・ばんぶつふどうじゅうちん)】!」


鎮五郎が、自らの本体である巨大な黒鉄の文鎮を、ひよりの足元と、クロウが持つ『因果の歪み時計』の真上に向けて、ズドォォォォォン!!!!!と、大講堂全体を大きく揺らすほどの圧倒的な質量で叩き落とした。


その瞬間、ひよりを締め付けていた古代の黒い触手(呪い)が、鎮五郎の放った「不動の結界」に触れた途端、まるで一万トンの油圧プレスで押し潰されたかのように「ベキベキベキッ!」と軽い音を立てて完全に粉砕され、彼女の制服は元の綺麗なルミナス魔法学院の二年生の黒い制服へと一瞬で再固定された。


それどころか、クロウの持っていた『因果の歪み時計』の針が、鎮五郎の絶対的な「歴史固定」の重量の前に一ミリも動かせなくなり、過負荷(エラー)を起こして「パァァァン!」と派手な音を立てて木っ端微塵に爆発してしまったのである。


「な……何ということだ……! 僕が数百年かけて地の底で磨き上げた、歴史を巻き戻すはずの因果の時計が、ただの『鉄の文鎮』の重みの前に、一歩も進めずに自壊したというのか……!?」


クロウは爆発の衝撃でステージの上に崩れ落ち、そのパールの瞳から、すべての魔力を失った呆然とした涙をこぼした。


「ふふ、これでよし。……どんなにド派手な時間の逆流(魔法)であっても、上から『不動』の楔で押さえつけられてしまえば、ただの動けない過去ですからね」

鎮五郎は静かに微笑むと、一組の文房具の姿に還ってひよりの新しい筆箱へと綺麗に収まったのだった。


第五章:二年生の始まりと、呉の春を想う


新入生歓迎式の最大の危機と、「隠れ里の巫女の上書きプロット」を、火消し布(布鶴)と鉄文鎮(鎮五郎)という、異世界のどんな超常魔法の系譜にも存在しない不条理な日常道具コンボで完全解決したひよりたちの一学年改め、二年生A組。

暴走を止められ、魔力を使い果たしてステージにへたり込んでいた新入生のクロウだったが、ひよりが「はい、これ食べな。頭使いすぎて糖分が足りてないんだよ」と言って、自分のポケットに忍ばせていた『特製魔導林檎タルト(前月の残り)』を口に突っ込んだ瞬間、そのあまりの美味しさとひよりの「普通の優しさ」の前に完全に毒気を抜かれ、大号泣しながら「……ごめんなさい、これからは普通の可愛い後輩として生きます……」と、その場で全面降伏(および学園のマナー講習の受講)を誓ったの。


その日の夕方。新入生歓迎会の二次会が始まった、いつもの大食堂のテラス席。

ひよりはテーブルの上で、ついに守り抜いた最高の報酬――大皿に山盛りにされた、まばゆい光を放つ『王宮特製・ローストビーフ食べ放題重』を前にしていた。

「おいしーーーい!!! 何これ、お肉が口の中でジュワッて融けて、特製グレービーソースのコクが上品で、呉のれんが通りのどんな高級洋食屋さんで食べるお肉より美味しいよ!」

ひよりはローストビーフをこれでもかと頬張り、頬をリスのようにパンパンに膨らませながら、最高の笑顔を浮かべていた。

「フ、フン、当然さ。新学期早々、君のその『よく分からない実家の布と鉄の塊の力』に、またしても学園全体が救われちゃったわけだからね。……まぁ、その、天照さん。二年生になっても、君のその……トラブルを引き寄せる体質だけは、相変わらず一級品だね」

ルファスはすっかり胸元の二本線章を誇らしげに揺らしながら、自らの分のお肉を大事そうに口に運び、どこか幸せそうに微笑んでいる。

「ひよりさん、私……クロウ君が、これからは毎日一緒にお肉を食べるって言ってくれて、とっても、とっても嬉しいです! ローストビーフ、最高に美味しいですぅ!」

ミーナも、お皿をピカピカになめる勢いで笑っていた。隅の方では、すっかり大人しくなったクロウが、ひよりの後輩として、緊張しながら小さくお肉を齧っている姿があった。


「ふむ。過去の因果(隠れ里の未練)を今ここに固定し、正しい日常のステップで最高の報酬を掴み取る。これ以上ない見事な二年生編の第一章のプロットだな、ひより」

私は文机に向かい、この『第十七幕・新入生の隠れ里編』の最後の一ページに、満足のいく文字を刻み終え、万年筆を静かに置いた。

「推敲(すいこう)は終わった、硯水さん?」

ひよりがテラスから差し込む、夕暮れの学園都市の美しい桜の景色を見つめながら覗き込んでくる。私は微笑み、表紙に力強い文字でこう書き込んだ。


『名もなき神社のデッドストック・第十七幕~四月の新入生の暴走ハプニングを、火消し布の絶対鎮圧と鉄文鎮の現在固定により、隠れ里の巫女の設定を拒絶してローストビーフを堪能してみた~』


「ふふ、完璧な大団円だ。さあ、ひより。二年生としての新しい日常も、これにて堂々の開幕。明日からはまた、このルミナス魔法学院で、新しい美味しいお散歩のプロットの始まりだ」

「うん! よーし、二年生になっても、みんなで驚くような日常の奇跡をたくさん作っちゃうぞ!」


窓の外では、静かに、優しく春の星空が世界を包み込み、魔導桜の薄紅色の光が、ひよりの黒い髪を美しくドレスアップする。

「パパ、ママ。私ね、二年生になって最初の日に、実家の大きな布とお鉄さんのお宝の力を使って、なんだか私の昔の因果を名乗る黒髪の男の子の暴走をゴシゴシ止めて、世界一美味しいローストビーフを食べちゃったよ。だから……いつか本当に私が呉の家に帰れた時は、お母さんの特製の手作りハンバーグと、パパの奢りの美味しいオムライス、絶対に家族みんなで、お腹がはち切れるくらい食べさせてね!」


少女のどこまでも明るい笑い声と、千年の時を超えてリュックの中で賑やかに笑う付喪神たちの声は、ぬくもりに包まれた二年生の教室の夜空へ、遠い、遠い故郷の空へと、どこまでも、どこまでも響き渡っていった。

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