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狭間塞領奇譚 〜元社畜は、最強霊能者に拾われ、もふもふ猫先輩を愛でたり怪異に怯えたり、頑張ります!〜  作者: キキ イチ
断章 壱

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大島 浩二


「ったく、使えねぇな、どいつもこいつも……!」


 駅の改札を抜けながら、ネクタイを荒々しく緩め、大島 浩二(おおしま こうじ)は苛立ちを隠そうともせずに舌打ちをした。

 たった今終わった重要なクライアントとの打ち合わせは、最悪の空気に包まれたままお開きとなった。原因は部下が用意したプレゼン資料に致命的な抜けがあり、先方の機嫌を完全に損ねたのだ。


(いつになってもミスを繰り返しやがって。今回のやつはとびきりの無能だな……)


 もともとは大島が事前にプレゼン資料の確認をせず、なおかつその抜けをカバーできるだけの知識を備えていなかった、その自業自得が招いた結果だ。しかし大島の脳内では、すでに責任の所在は自分以外にすり替わっていた。


(しっかし、最近ついてねぇな。……コレも、アイツの尻拭いをする羽目になってからか……?)


 以前までそこそこ使えないこともない部下がいたが、ある日突然、「体調不良」などとふざけた理由で逃げだした。その部下が放り投げた仕事の尻拭いをしなくてはいけなくなってから、何かと上手くいかない、と大島は舌打ちをする。

 腹の底で煮え繰り返る不満と責任転嫁の言葉を反芻しながら、大島は九十九駅の階段を降りていく。

 先ほど電話でも叱り散らしたが、メッセージでもやらかした部下への叱咤と、戻るまでに仕上げるようにと仕事を振る内容を送信する。しかし、スマホの画面には何度送信ボタンを押しても「通信エラーが発生しました」という表示が出て来る。


「あ゛ぁ!? なんだよ、通信障害か? ……って、ん?」


 大島は苛立たしげにスマホから顔をあげて、場所が悪いのかと周りを見回そうとして、やっと周りの異変に気がついた。やけに空気が重く、ねっとりとした湿気が肌にまとわりつくホームは薄暗く、全く人気がなく、どこからか安い酒と饐えた汗が混ざったような、変な悪臭まで漂っていた。


「は、……な、なんだこの駅は。管理会社の連中は仕事をしてないのか? これだから底辺の連中は……」


 明らかな違和感を、文句を垂れ流すことで虚勢を張り、大島は踵を返して階段へと戻ろうとする。――が、階段が見当たらない。

 いや、正確に言うなら階段はある。しかし階段の先、踊り場がある場所がコンクリートで塞がれているのだ。歩きスマホをして降りてきたとは言え、そんなに歩いた記憶はない。それなのに、近くの階段はどれも塞がっていて、地上に上がれるものが見当たらない。


「――おい! 何だよここ!?」


 薄汚れたコンクリートの壁を、大島は混乱を苛立ちに変換して力任せに蹴り飛ばした。


「ふざけるなよ、なんだこの壁は!? 俺はこんなことしている暇はないんだよ、開けろ!!」


 一体、何が起きているのか。現実を受け止められない大島は、思考を放棄して悪態をつきながらこの状況を、理不尽をぶつけられる相手を探す。

 すると振り返ったホームの壁沿いの暗がりで、ひどく怯えたように縮こまっている男の姿を見つけた。

 なんとも頼りなさげだが、この際仕方ない、と近づいて男の顔に見覚えがあることに気がつく。それはかつて、大島のメンツを潰して逃げた、あの部下だった。


「なんだ、お前……綱木じゃないか」


 頭の奥から名前を引っ張りだし、大島は頭の中で打算をする。ここで出会ったのは好都合だ。コイツのせいで自分がどれだけ迷惑を被ったか、たっぷりと分からせてやらなければ気が済まない。使えない人間を、いっぱしになるよう教育してやったのに感謝もせず、それどころか恩を仇で返した。

 ここは一つ、出来ない人間なのを自覚させなければならない。そして反省するなら、もう一度、戻ってくるのを許してやっても良い。

 そう考えた大島に対して、綱木はビクビクとした目で、しかし生意気にも「うるさい」と言ってきたのだから大島の怒りに火がついた。何かを訴えている気がするが、もはや大島の耳には入らない。


(躾なおさねぇと。お前より俺のほうが上だってのに、勘違いしてんじゃねぇ)


 そんな意識で大島の頭はいっぱいになるが、しかし異臭と不気味な気配が濃くなり、綱木の後方に「泥の化け物」が近づいてきていることに気がついて、怒りは一瞬にして底知れぬ恐怖へと塗り替えられた。

 

「な、何だよ……アレ……っ」


 声が震える。現実にはあり得ない形状の生き物との遭遇に頭がパニックになる。泥の表面の顔と目があった気がして、生理的嫌悪に悪寒が背中を駆け上がる。

 悲鳴をあげそうになって、だが口の中で留めることが出来たのは、眼の前の元部下が、まるで自分を馬鹿にするように宥めてきたからだった。

 

 そのことを頭が理解する前に、身体が勝手に動いていた。 


「ッ、ば、馬鹿にすんじゃねぇ!!」


 大島は綱木を、迫り来る化け物の方へと力任せに突き飛ばした。


(お前は、俺を見下して良い人間じゃない)


 泥の化け物の視線が、距離のある大島から近くの綱木へと移ったことに気づきつつ、大島は床に倒れ込んだ綱木を置き去りにして走りだした。


「おまえが、お前が悪いんだからな!!!」


 無能で何も出来ないくせに、俺に指図をするなんて生意気な事をするアイツが悪い。

 そもそもあいつは俺の部下なのだから、世話になった上司のために盾になるのは当たり前だろう。俺のような優秀な人間が、こんな意味の分からない場所で死んでいいはずがない。

 迷惑をかけた役立たずなのだから、少しくらいオレの役に立って良いはずだ。


『――発車いたします、早くご乗車ください』


 「何処か、ここから逃げる場所は」と探す大島の耳に電車のアナウンスが飛び込んでくる。


(そうだ! 電車があるじゃないか!)

 

 なぜ、こんな単純なことに気が付かなかったのだろう、と大島は電車に迷わず飛び乗った。

 無機質なアナウンスと共に、プシューッ、と空気が抜けるような音を立ててドアが閉まる。車窓の向こうで、綱木が化け物に飲まれていくのが見えた気がしたが、大島の心には微塵も罪悪感が湧かなかった。


「ははっ……! 助かった……! これで逃げられるぞ!」


 大島は冷たい窓ガラスに手をつき、荒い息を吐きながら狂ったように歓喜の笑いを漏らした。

 あいつには悪いが、これも自己責任というやつだ。あいつがどんくさいから悪い。俺は悪くない。むしろ、あいつは最後に俺の役に立てて本望だろう。

 そう、一人で生き延びたことを、大島は勝ち誇るような気持ちでいたが、電車が走り出してホームの景色が流れ、窓の外が闇に包まれたところで、ふと、車内を包む「異常な静けさ」に気がついた。

 ガタン、ゴトンという走行音が一切聞こえない。それどころか、モーターの振動すら足元から伝わってこないのだ。


(……なんだ、この電車……?)


 大島はゆっくりと振り返り、車内を見渡した。

 そして、ひどい違和感に顔をしかめた。

 車両が、えらく古い。床は油の染み込んだような黒ずみが多く、座席のシートは赤茶けて所々破れている。天井から吊るされた旧式の扇風機はホコリがこびりついて蜘蛛の巣が張り、錆びが浮いている。照明は今どきLEDでもなく、蛍光灯でジージーと嫌な音を立てて薄暗い。

 まるで昭和の時代で廃棄されたような、ボロボロの車両。

 乗客は誰も乗っていな――。


 ジ、ジジッ……。


 突然、車内の蛍光灯がショートしたような音を立て、完全に消灯した。


「うおっ!?」


 完全な暗闇。大島はパニックになり、ドアに背中を強く打ち付けた。窓の外を見るが明かりはなく、暗黒が広がっているだけで、トンネルの壁すら見えない。

 どこへ向かっているのか。そもそも動いているのかすら分からない。

 冷や汗が背中を伝い落ちる。



 数秒後。



 チカチカと、再び薄暗い蛍光灯が点滅して、光が戻ってくる、が――



「な、は……?」



 大島の心臓がヒュッと縮み上がった。



 誰もいなかったはずの座席に、「乗客」が座っていた。

 向かい合う長いロングシート。そこに、まばらなスペースを空けながら、何人もの人間が腰を下ろしていたのだ。

 全員が両手を膝の上にきちんと揃え、まるで手本のように行儀よく、深くうつむいている。


(一体、どこから……!?)


 セーラー服を着た女子高生、買い物袋を膝に置いた主婦、杖をついた小柄な老女、土に汚れた作業着の青年、ランドセルを背負った小学生の男の子……

 年齢も性別も体格も全く違う老若男女が、一切の身じろぎもせず、沈黙したまま座っている。

 異様な状況に、大島はガチガチと歯を鳴らしながら後ずさろうとするが、どこにも逃げ場はなく、背中をただひたすらにドアに押し付けることしか出来ない。

 うつむいていた乗客たちが次第に、じわじわと、顔を上げ始める。

 その動きに、大島の中で嫌な予感が膨れ上がった。


 なぜだか顔を見てはいけない気がした。


 しかし顔を背けることも、目を閉じることも、視線をそらすことも出来ない。

 そうして、目にしてしまった乗客たちの顔に、大島の喉の奥で、悲鳴が完全に凍りついた。

 乗客たちの「顔」は、すべて同じだった。

 女子高生も、腰の曲がった老女も、詰め襟の高校生も、小学生も。すべて、毎朝鏡で見ている「大島自身の顔」が張り付いていたのだ。

 それらの顔は先ほど夏樹を見送った時の、勝ち誇った表情を浮かべ大島を見ていた。



「ひっ……………!!」



 その醜悪な顔から、逃げるように大島はドアに再び背中を押し付けた、――その瞬間。




「ぇ……?」




 電車のドアが音もなく開き、大島は支えをなくして、間抜けな声を一つ漏らす。




 そして電車の外の闇へ、まるで飲み込まれるようにストンと落ちて消えた。




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