22.報告書の対価と都市伝説の昼休み
「あの、こんな感じでどうでしょうか……?」
最後のキーを叩き終え、夏樹は恐る恐る画面を伊津に向ける。
画面を覗き込み、最後までスクロールをした伊津は、目を見開いてパァッと顔を輝かせた。
「まあまあまあ! まさか午前中で終わっちゃうなんて思わなかったわ! 書いて欲しい内容も、状況の整理も完璧。手直しもほとんどいらなさそうね……!」
伊津は興奮気味に夏樹の肩をポンポンと叩き、背後の春日井を振り返った。
「春日井くん、優秀な助手ちゃんができてよかったじゃない!」
「じょ、助手……」
雑用から一気に昇格したその響きに、夏樹はつい照れくさそうに頬を掻いた。
誰かの役に立っている。自分のスキルが評価されている。今まで得られなかった言葉に、夏樹は(もしかして、春日井さんからも少しは労ってもらえるのでは……?)と、淡い期待を込めた眼差しを後ろに向けた。
が、しかし、春日井はゲーミングチェアの上で、いつの間に取り出したのかチューペット型のアイスを囓りながら鼻を鳴らした。
「はっ、優秀? ヘマして、普通なら逃げられる怪異に捕まるドン臭い奴だけどな」
「……っ」
容赦ない事実を唐突に突きつけられ、夏樹の期待は一瞬で吹き飛び、意気消沈する。
だが、そこにすかさず伊津が反論する。
「あらやだ、そのわりには、わざわざ散らしを使ってまで助けてあげてたじゃない」
「……借金返す前に死なれたら、俺が損するだけだろ」
「そうなの~? でも『散らし』を使っちゃったら、むしろ損じゃない?」
伊津がニヤニヤとからかうように笑うと、春日井はチッ、と分かりやすく苛立った舌打ちをした。
「だいたいなぁ、原因になったのは、『蓋』をする様に指示した現場に、被誘者を発生させたことだろ。そっちの管理不足でこっちはイレギュラー対応させられてんだよ、普段からクソ細かい報告書を求めてくるくせに、テメェらちゃんと仕事しろよ」
「やだ、責任転嫁? そういった不測の事態の対処も含めて、春日井くんの『お仕事』でしょ?」
急に始まった伊津と春日井の応酬に、夏樹は口を挟めず、オロオロと二人を見守る。
「あの状況で他に対処ができるわけねぇだろ。そもそもはお前達が先に不履行してんだよ。割り増し料金はもらうし、危険手当も請求するからな」
「ちょっとぉ、『散らし』をしたのに、落ち度はない、割り増しはそのままっていうのは違うんじゃない?」
「俺が散らしたからこそ、コイツがこのクソ細かい報告書を作れたんだろうが。大体『散らし』の予測範囲だって昨日伝えた通りだ。これだけ情報が揃ってりゃ、後はそっちの連中でいくらでも後処理できるだろ」
ふんっと鼻を鳴らす春日井に、眉を寄せる伊津。二人の間に火花が散るのを、夏樹はただハラハラしながら視線を二人の間で行ったり来たりさせる。自分が原因の一端を担っているから非常に口を挟みにくい。
「…………はぁ。分かったわよ」
しばしの睨み合いの後。
ふう、と小さくため息をつき、伊津が先に白旗を上げた。
「まあ、今後もこんな風に、ちゃんとした報告書をすぐに上げてくれるなら……今回のイレギュラーの件は、こちらが折れるわ。流石に危険手当は難しいけど、割り増しは通常通りで話を持ってくようにするから」
「当然だろ」
春日井は勝ち誇ったように鼻で笑い、椅子をぐるりと回転させて再びモニターへと向かう。そんな春日井に伊津は目をつぶってこめかみを揉むと、ぐるんと夏樹に向き直り、にっこりと微笑んだ。
「……ということで、これからも春日井くんの代わりに、詳細な報告書の作成よろしくね~夏樹くん! 期待してるわ!」
「あ、はい……」
伊津の勢いに思わず返事をしたが、裏を返せば今後も九十九駅のような恐ろしい現場に行かなければいけないのだ、という事実に気が付いて、早くも後悔を覚える。
――しかし同時に、「期待してる」という言葉にほんの少しだけ、借金を返し終わるまでは頑張っても良いかも、なんて頭にチラついたのを夏樹は考えないことにして。
「……えっと、とりあえずコレで報告書作成は一旦、完了ってことで良いですか?」
「はーい、オッケー! 後はこっちの確認作業ね。何かあったら連絡をするから」
伊津の指示に従って、アプリの「申請」ボタンを押すと、報告書に「受付・確認中」のマークがついた。
「次は、どうすればいいですか?」
「うん? えーっと、そうねぇ……」
伊津は腕時計をちらりと見て、首を傾げた。
「実は、この報告書を書かせるだけで今日一日はかかると思ってたから、私からはもう何も無いのよねぇ。むしろ、欲しかったデータも早々に貰えちゃったから、事務所に戻らないといけなくて……そういうわけで、春日井くん、後はよろしく~!」
「……えっ、ちょ……!?」
言うが早いか、伊津はひらひらと手を振りながら、動揺する夏樹をスルーして玄関から出て行ってしまった。
リビングに取り残された夏樹は、ポカンと口を開けた。
(いや、確かに伊津さんは元々狭間塞領事務所の人間で、下請けとは言え、わざわざやってきて俺に仕事を教えてくれている事のほうがおかしい訳だけど……)
まさか、こんなにあっさりと春日井と二人っきりにされてしまうなんて。
伊津が夏樹に仕事を教えてくれたのは、結果的に報告書を回収し、狭間塞領事務所の仕事を円滑に回すためだ。そのことに今になって気がつくが、しかしながらもう少し余韻というか、名残があっても良いのに、なんて思うのは、春日井とどう接したら良いのか未だ分からず、気まずいせいだろう。
壁掛け時計を見上げると、針はちょうど正午の少し前を指していたところだった。
夏樹は恐る恐る、背後でゲームをしている春日井へと、声をかける。
「あの、春日井さん。そろそろお昼ですが……俺の仕事ってこれで終わり……」
「……終わりなわけねーだろ」
九割、無理だろうな、と思って口にしてみたが、案の定、画面から目を離さないまま、春日井が即座に夏樹の希望を打ち砕いた。
「で、ですよね……」
この後は、やはり昨日の九十九駅のような現場にまた行かされるのだろうか、と、ビクビクする夏樹に。
「とりあえず、次はパシリな」
春日井はポケットから千円札数枚と、メモ用紙に何かを殴り書きして、夏樹に投げ渡した。
「十四時までに、駅前のコンビニでこれ買ってこい」
「えっと……お菓子と、エナジードリンクと、雑誌と……」
メモを受け取った夏樹は、再び時計を見た。現在時刻は十一時五十分。十四時までは、たっぷり二時間以上ある。
ここから最寄りの駅前コンビニまでは、歩いて片道十分ほどの距離だったはずだ。往復の移動と買い物の時間を長めに見積もっても、三十分もあれば事足りるはずだが、なぜ期限が「十四時まで」なのだろうか。
(どう考えても時間が余りすぎる。もしかして、普通に見えてたけど駅の前のコンビニも、九十九駅みたいな『狭間』で、このメモの物を中で探して来いってことか……!?)
春日井からの命令をすっかり警戒した夏樹は、十四時という時間に疑心暗鬼になって妄想を膨らませ、顔を強張らせてしまう。そんな夏樹の様子に、春日井は再びマウスを握り直し、モニターに向かってぽつりと呟いた。
「昼休み」
「……はい?」
「今から十四時まで、昼休みだっつってんだよ。買い物済ませて、さっさと飯食って休んどけ。昨日もだけど、お前、いちいち指示されてねぇと休めねぇのかよ」
操作しているゲームの画面で、ダダダンッ、とアサルトライフルが火を噴く。的を次々と倒しながら、春日井は吐き捨てるように言った。
夏樹は、春日井の背中と、手元の千円札とメモをしばし交互に見比べた。
(昼休憩……!?)
しかも、ただの昼休憩ではない。パシリの用事をきっちり済ませたとしても、たっぷり一時間以上も『自由に休める時間』が確実に保証されている休憩に、夏樹は目を白黒させる。
昼休みなんて、おにぎりを口にねじ込みながらキーボードを叩いて、電話を取る為に噛まずにそれを飲み込み、ひどい時は上司の「まだ終わってないのか」の一言で昼食すら飛んでいくものだ。そんなふうに飼いならされた夏樹の中で、「明確に与えられた、余裕のある休憩時間」という概念自体はもはや都市伝説のような感覚になっていた。
(本当に、いいの……!!? いやそういえば、昨日のアレも、もしかして休憩ってつもりだった……!?)
昨日、九十九駅に向かう前。死にたくないと資料を必死に読み込む夏樹に、「腹減らねぇのかよ」と、ぼそっと春日井が呟いたな、と思い出す。その時は正直食欲どころではないし、緊張でいっぱいいっぱいだったからその言葉の意味を深く考える余裕はなく。「はい大丈夫です」と反射的に返してしまったのだが、もしかして昼休憩にするかどうかを聞いたつもりだったのだろうか。
(そうだったら、いくらなんでも説明下手すぎないか??)
口が死ぬほど悪く、自分を犬呼ばわりし、理不尽に危険地帯へ放り込むヤバい上司。
それが、夏樹にとっての春日井への印象だが、不意に何かと春日井って言葉不足なところがあるよな、とも思い返す。
とりあえず、まずは頼まれた買い物を済ませようと、玄関でスニーカーを履きながら、(もしかして、春日井さんって不器用なだけだったりしないよな)と思って、流石に好意的に考えすぎかと、頭を振る。
少なくとも命を盾に、五百万一括払いかパシリかで脅してくるのはやはりやっかいな人間だろう。
しかしながら、それだけではない春日井の二面性に、夏樹は小さく息を吐き出す。
(……まあ、いいか。今はとにかく、休もう)
何を考えているのかは分からないが、「休んで良い」と言われたのだ。取り上げられる前に今はその言葉を堪能するのが一番だ。
夏樹はオートロックの扉を抜け、夏の眩しい日差しの中へ歩み出す。
二時間近い自由な昼休み。初めてのその甘美な響きに、コンビニへと向かう夏樹の足取りは知らず知らずのうちに軽くなっていた。




