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狭間塞領奇譚 〜元社畜は、最強霊能者に拾われ、もふもふ猫先輩を愛でたり怪異に怯えたり、頑張ります!〜  作者: キキ イチ
第3章 再び、九十九駅へ

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17.かくれんぼの終わりを告げる声



(アレから隠れながら、残りの作業を……?)


 手立てがない、と言われるよりマシかもしれない。だが、ただでさえ慎重に、間違えないように気をつけて作業をしているのに、そこに更に「見つからずに」と言われると、ぐんっと難易度が跳ね上がってくる。しかしながら泣き言を言っても状況は変わらないのでやるしかない。


【ところで、あの泥の塊みたいなのに捕まったら、どうなるんですかね……?】

『さあな。基本的に狭間に現れるのは、感情の煮こごりから生まれるモノだ。形状から、少なくとも良い感情から生まれたもんじゃねぇのは間違いないな』

【あの、捕まっても即死、ってことは無いですよね?】

『…………まだ発生してそう時間は経ってない。ツバキがいれば…………とりあえず、足がおせぇんだろ、ようは捕まらなきゃ良いんだよ』

【分かりました。とりあえず、頑張ります】


 珍しく春日井が明言を避けた事に気が付いたが、夏樹は自分の精神衛生上、深くは追求しないことにした。


(と、とにかく慎重に!! 命大事に!!)


 キュッと胃が締め付けられるのを感じつつ、夏樹は自分をそう鼓舞する。

 ――さて、やる事は決まったが。それをツバキにどう伝えたものかと考え、夏樹は資料にある駅の見取り図を取り出し、次に行きたい作業場所を指さしてツバキに見せてみる。するとツバキは資料をじっと見つめたあと、夏樹の顔を見て声を出さずに「わかった」と言うように鳴く仕草をし、ゆっくりと立ち上がる。

 それを完全に「理解してくれた」と確信し、信頼できるほど、今や夏樹の中でツバキの株は確固たる地位を築いていた。

 ツバキはしなやかな尻尾で夏樹のふくらはぎを打った。そして、足音一つ立てず、滑るように歩き出す。夏樹もなるべく姿勢を低くし、忍び足で後を追う。


 ズル……ズルル……ずちゅ、……ズリ……


 不快な湿った泥の擦れる音。

 その音からなるべく距離を取るように。時折、ピタリと動きを止め、時には物陰に一旦隠れて息を潜める。

 じわじわと、永遠にも思える緊張の連続を繰り返しつつも、夏樹とツバキはついに、一つ目の目的地であるホームの端へと辿り着いた。


(よし……ここだ)


 夏樹は壁の陰に身を隠しながら、震える手でバックパックから朱色の墨で梵字のような文字が書かれた木札を取り出す。そして、線路の奥の暗がりへと放り投げた。


 ――カランッ!


 静まり返った駅内に、乾いた木の音が思いのほか甲高く響き渡った。


(ヤバッ! 思ったより音が大きい……!)


 多少は音が出るのを覚悟していたが、想像より大きな音に、血の気が引く。


「にゃッ!」


 ツバキが鋭く鳴き、尻尾がパシンと夏樹の足を叩くと、早足で移動を開始する。

 ホームの端は身を隠す遮蔽物がない。音に引き寄せられた泥の怪異に姿を見られる前にどこかに隠れなければいけなかった。

 ホームの中央に鎮座する、コンクリートの壁で塞がった階段の前で、一瞬、ツバキが足を止める。

 湿った音が近づいてきているのが分かる。

 が、それが階段の右から回り込んでこちらに来るのか、左から回り込むのか、音が微妙に反響して分からなかった。

 階段の横のスペースは狭いし五メートルほどの距離がある。

 鉢合わせは避けたい。

 でも、どちらから来るか判断が難しい。

 ツバキが片耳をプルル、と震わせる。――その姿は、珍しく迷っている様子だった。

 

(ど、どうしよう。壁から向こうを覗き込む? いや、そんな事をして、既にすぐそばに居たらマズイし……)


 きっと、自分は出しゃばらない方が良い。そう思うのと同時に、だからといって何もかも、このままツバキにおんぶにだっこで良いのだろうか、という感情が浮かぶ。

 夏樹はせめて何か出来ないだろうかと、当てもなく周りを見回してみる。

 どうにかして、怪異がどちらから来るのか、判断が出来る方法はないか、と視線を巡らし――


(あ……!! ッ、ツバキ先輩、失礼します!)


 心の中で謝りながら、夏樹はとっさにその柔らかな体をぎゅっと抱き上げた。そして右回りの通路を選んで、身を潜める。

 片方に寄った事で、明らかに音が遠くなり、あの泥の怪異が反対の通路に行ったのだという事が分かった。


(うまく、いった…………!)


 夏樹は左側の線路に停車した電車の窓に、左側の通路を進もうとしている泥の怪異の姿がうっすらと反射しているのを見つけたのだ。ツバキの視線の高さでは角度が違って気が付くことが出来なかっただろう。

 窮地を脱して、ツバキを地面に下ろす。するとツバキは「良くやった」と言うように、ピンと尻尾を立てて全身をスリスリと夏樹の足に擦り付けてきた。


(良かった、俺も役に立てた……)


 怪異が、音の元へ向かっているのだろう。ホーム端へ向かって移動し、さらに音が遠ざかっていくのを確認しながら夏樹はスマホを取り出す。


【一つ目完了。木札の音に反応して怪異が来ましたがやり過ごせました。最後の作業場所、反対側の線路へ移動します】

『了解』


 タスクはあと一つ。

 先ほどの場所と真反対の線路奥に、同じように木札を投げ入れるだけだ。

 音の場所を確認しに向かっている怪異には背を向け、必然的に距離が離れることになり、僅かに夏樹の心に余裕が生まれる。

 あと少し。あともう少しで、九十九駅から脱出できる。

 はやる心をなだめつつ、足音をさせないように、だが限りなく速足で、ホームを突き進んでいく。

 あの階段を回り込めば、もうすぐホームの端だと、緊張で滲んだ手汗をズボンで拭おうとした、その時だった。


「――おい! 何だよここ!?」

「ッ!!?」


 突然響いた、男の声に夏樹の心臓が跳ね上がった。


 静まり返った駅のホームに、その声はやけに大きく響いた。

 自分以外の人が居たのか、という驚きと、その大きな声を聞きつけ、怪異がやってくるかもしれないという懸念。

 本来の夏樹であれば、おっかなびっくり相手を確認し、春日井への報告を行うところだが、この時の夏樹の意識はそれどころではなかった。

 声のした方角――今まさに通り過ぎようとしていた、改札階へと続く階段がある場所へと、視線を向ける。その自分の体が震えていることに、夏樹は気づいていなかった。


「ふざけるなよ、なんだこの壁は!? 俺はこんなことしている暇はないんだよ、開けろ!!」


 バンッ! バンバンッ!!

 一人の男が、コンクリートと同化してしまった壁を、革靴の足裏で力任せに蹴り、喚き散らしている。

 キャラメル色のピカピカの革靴に、着用者の年齢より少し若者向けの高級スーツ。ツーブロックの髪はワックスでキメ、手首には誰もが一度は耳にしたことがあるロレックスの時計が光っている。

 一見すると、バリバリと仕事が出来る男、というイメージをそのまま具現化したような容姿だった。


(……ウソ、だろ)


 男の姿を捉えた夏樹の全身から、一瞬にしてざっと血の気が引いた。

 幻覚か、と思うが、その姿は九十九駅から完全に浮いた生々しい現実感があった。

 ろくに面倒も見ないまま仕事を押しつけ、それでいて夏樹の成果は搾取し、限界まで追い詰めた。最終的には倒れた夏樹を切り捨てた、前職の上司である大島(おおしま)、その人だった。


「誰の嫌がらせだ! おい、誰かいないのか!! っ、くそっ……!」

(っ……!)


 壁を蹴ることを諦めた元上司が、怒りに満ちた目でホームを振り返る。

 その瞬間、夏樹はどこか隠れられる物陰は、と視線を彷徨わせたが、実際は体が完全にフリーズしてしまっていた。


「……なんだ、人が居るじゃないか。なあ、アンタ………ん?」


 夏樹の存在に気が付き、大島はさっとよそ行きの顔になって近づいてくる。しかし、相対している相手が知っている顔だと気づいた大島の顔に、驚きに続いて軽薄な嘲笑が浮かび上がった。


「なんだ、お前……綱木じゃないか。こんなところで何してんだ。相変わらず仕事が出来そうにない、しけたスーツ着てるな。前から言ってただろ? お前は格好からして勝負にもう負けてんだよ」

「ぁ、っ……あ、の……」


 声を抑えてもらって、早く、逃げなければ。

 大島の大きな声のせいで、泥の怪異がきっとコチラに気が付いてしまっただろう。早く逃げなければ捕まってしまうと、生存本能が警鐘を鳴らしているというのに。


『お前って得意なことないの?』

『俺のメンツを潰したいと思ってる?』

『なんでこれくらい出来ないわけ?』


 かつて大島から投げかけられた言葉がフラッシュバックする。

 退職と入院を経て、マシになったと思っていた、胸の奥をぎゅっと握りつぶされるような、あの日の息苦しさが蘇り、夏樹の喉からは掠れたような声しか出なかった。



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