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狭間塞領奇譚 〜元社畜は、最強霊能者に拾われ、もふもふ猫先輩を愛でたり怪異に怯えたり、頑張ります!〜  作者: キキ イチ
第3章 再び、九十九駅へ

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15.イレギュラーと秒速ホウレンソウ

 

「ええと、次は自販機の横に盛り塩を正三角形になるように三つ……?」


 飛び込み自殺の男(命の危機)を乗り切った後、当初の目標である柱に無事にお札を貼り付けた夏樹は、その後も資料の指示に従って黙々と作業を進めていた。

 壊れかけのベンチの下には、木彫りの人形に布を被せて置く。

 自販機とゴミ箱の隙間の壁に打ち付けられた釘にはハーブのような枝の束を吊り下げる。

 一つだけ色が微妙に違う点字ブロックには、その凹凸の一つへ指輪のような金属の輪っかを設置する。

 ――霊感も専門知識も皆無の夏樹には、これらにどんな効果があるのかさっぱりわからない。結界を張るためなのか、あるいは怪異を鎮めるための呪具なのか。

 その意味や効果について、夏樹はなけなしのオカルト知識で、「もしかしてこういうことなのかな」なんて考えようとしてすぐにやめた。どうせ答えなど分からないし、それよりも今は目の前の仕事に集中して、早く済ませてしまうことの方が重要だと判断したからだ。

 この奇妙な指示は、場所や順番などは事細かく指定がされているが、作業時間については注意がなかった。つまりは早く終わらせてしまえば、それだけ早くこの九十九駅から脱出して良いことになる。


(限りなく速やかに……でも絶対に間違えないように慎重に……!)


 速く仕事を終わらせろと、前職でよく急かされたが、しかしミスがあればどんなに早く終わらせたところで叱責は免れないものだ。なおかつ、今回は命に関わるのだから尚更だ。

 夏樹は資料と何度もにらめっこを繰り返しながら、ホームの中をあっちへ、こっちへと歩き回る。

 時折、前回と同じ、電車への乗車をうながすアナウンスを聞いていると、奇妙な息苦しさが不意に襲ってくることがあった。頭が少しぼうっとして、なんだか電車に乗って家に帰りたいと、無意識に考え始めてしまう。

 しかしその度に。


「にゃ」


 足元を歩くツバキが、短く、しかし芯のある声でひと鳴きする。

 すると、まるで風穴が開いたかのように、その息苦しさがスッと和らいで、思考がクリアになる。

 しかも、ツバキの活躍はそれだけではなかった。

 見た目がよく似た二つの柱を前に、夏樹がどちらが正しい柱か確証が持てなかった時のことだ。資料の写真を睨みながら、間違いを犯すよりも、嫌味覚悟で春日井に連絡を取るべきか、と迷っていたら。ツバキが夏樹の悩みを察したように、片方の柱を前足でポンポンと叩き、「にゃーん」と鳴いて教えてくれた。そのあまりに気を利かせてくれた様子に、夏樹は思わず、「え、そっちが、正しい柱ですか?」と尋ねれば「みゃっ!」と元気に返してくれる。


(ツバキ先輩、すごい……本当に、下手な人間よりずっと頼もしくて優しい!)


 夏樹はかつての、指示を出した後は関係ないとでも言うかのように、フォローどころか質問すらろくに受けてくれなかった上司たちを思い出し、目の前の小さな先輩の有能さに感動する。


(いける。このままいけば、無事に終わる……!)


 バックパックは随分と軽くなり、残るはあと二箇所になった。

 緊張で強張っていた夏樹の心に、やっと希望の光が差し込み、(よし、この調子でさっさと片付けるぞ!)と、己を鼓舞した。



 ――その時だった。



「……フゥゥーッ!!」

「!?」


 前を歩いていたツバキが、急にピタリと立ち止まり、今まで聞いたこともないような威嚇の声を上げた。長い毛が静電気を帯びたようにブワリと膨らみ、逆立つ。通常の二倍近く太くなった尻尾が、ツバキの苛立ちを表すように、ぶおん、ぶおん、と大きく揺れる。 いわゆる、「イカ耳」と呼ばれる、耳を横に向けた姿で、ツバキは薄暗いホームの『奥の暗闇』を睨みつける。

 今まで悠々としていたツバキの初めて見せる警戒態勢に、夏樹は驚き、そして少し緩みかけていた緊張が一気に舞い戻ってきた。

 明らかな異常事態。その正体がなんなのか、夏樹は身を固くしてツバキが見つめる先に意識を集中させる――と。 



 ズ……にちゃ……ズル……ズチュッ……。



 張り詰めた静寂の中。蛍光灯が時折点滅する暗いホームの奥から、微かに音が聞こえた。

 耳を澄ませば、湿った何かを引きずっているような音が、じわじわとこちらに近づいてきていることに気がついて、夏樹は息を呑んだ。


(なんだよ、この音……!?)


 おかしい。事前に渡された資料では、ホームの上にいる敵対的な怪異は「飛び込み自殺の男」だけだと書かれていたはずだ。それ以外に気をつけるべきは、線路を走る電車と、ホーム床下の隙間だけではなかったのか。

 完全なるイレギュラーを前に、足が竦む。

 次第に暗闇の奥から、ドブと汗とアルコールが混ざったような悪臭が漂ってきて、気持ち悪さに胃の腑が痙攣する。


「シャッ!」

「っ! ぁ、そ、そうだ、連絡……!」


 ツバキが鋭い威嚇音を出し、尻尾でパシンッと夏樹のふくらはぎを叩く。その衝撃のおかげで、闇の向こうの存在に気を取られて固まってしまった思考が動き出す。

 異常事態以外では呼ぶなと吐き捨てられ、気後れしていたが、まさしく今がその異常事態で間違いないだろう。

 夏樹は震える指で、インカムのマイクのミュートを解除する。


「か、春日井さん……! 報告、報告です!」


 夏樹は極限まで押し殺した声でホウレンソウを試みる。すると意外にも、スピーカーの向こうのゲームの操作音がすぐにピタリと止まった。


『……あ゛?』


 春日井の極めて不機嫌な、しかし微かに訝しむ色を含んだ声が鼓膜を打つ。


「ホームに、あの飛び込み男以外の『何か』がいます……! 報告書にない存在です! ツバキ先輩も警戒してて、引きずるような音と嫌な臭いがこっちに近づいてきてて……一旦、駅から出てもいいですか!?」


 夏樹は左手でツバキのリードを握りしめながら、右手をズボンのポケットに突っ込んだ。そこには、伊津から「もしもの時の脱出用に」と渡された、銀色の犬笛が入っていた。

 この犬笛を吹けば、「狭間から無理やり出てくることが出来る」と聞かされたが、使用時はできる限り相談するように、とも言い含められていた。

 今すぐこの場から逃げ出したい、犬笛を吹きたいという心を必死になだめて希望を言うが、しかしインカム越しの春日井の言葉は無慈悲だった。


『あー……そりゃもう役に立たねぇよ』

「えっ」

『予定外の怪異が湧いた時点で、空間の条件が変質してるからな。それじゃもう喚べない(・・・・)し、出れねぇ』

「そん、な……」


 心のよすが(リタイア権)が、あっさりと断ち切られ、呆然とする。


「じゃあ、どうしたらいいんですか!?」


 ズル、ズル……と迫る不気味な音から逃げるように後ずさりながら。パニックになりかけて思わず責めるような声でボリュームが上がってしまった、その瞬間。


『――うるせぇ、声を上げんな』


 インカムから、春日井の低く苛立たしげな声が飛んだ。


『騒ぐなよ、見つかるだろ。あと、口はあんまり大きく開けんな。そこから入り込むのが好きな奴もいるからな』

「……っ!!」


 夏樹はヒッ、と息を呑み、慌てて両手で自らの口を塞いだ。


 口から、入り込む。


 その言葉に、おぞましい想像が頭に駆け巡り、全身が粟立つ。それと同時に、夏樹の脳裏で一つの点と点が急激に繋がった。

 出会った時から春日井が事あるごとに放っていた「うるさい」「黙れ」という理不尽な暴言。あれはただのパワハラや虫の居所が悪かったからではなく、生存ルールからくるものだったのだと理解する。


(だから、あんなに……!)


 そこはもうちょっと丁寧に説明しておいて欲しい、と思いつつ。

 戦慄していると、足元のツバキが夏樹のズボンの裾を咥え、グイッと強く引っ張った。そして目配せをすると、「こっちへ来い」と、ホームの階段下にある、古い配電盤のケースの陰へと夏樹を誘導してくる。


『まずはツバキの指示に従え。あと返事はアプリの右下にチャットボタンがあるだろ。そこから文字で送れ。俺の声はアイツらには聞こえねぇから気にするな』


 春日井の端的な指示を受け、夏樹は配電盤の陰に身を潜め、震える指でチャット画面を立ち上げるとフリック入力の限界速度で文字を打ち込む。


【ツバキさんの指示でホーム中央、作業③の近くの配電盤の陰に隠れてます!】


 送信ボタンをタップすると、インカムから春日井の妙に呆れたような声が聞こえた。


『……お前、チャット打つの異常に速くねぇか?』

【そうですか……? あ、次はどうしたら良いですか?】

『やっぱ、速いだろ……まぁ、現状では都合が良い、か』


 ほぼ秒で返って来る夏樹のレスポンスに、春日井は呆れを通り越して困惑した声を出す。PCゲームで文字チャットのやりとりをすることもあり、春日井とてそれなりにタイピングなどは速いほうなのだが、夏樹の速度はそれよりも明らかに数段速い。

 それは前職にて、上司からのチャットには「即レス」しろと詰められ、大量の業務報告や、始末書やら、議事録のまとめやらを少しでも先に進めておかねば家に帰れないのに、ノートパソコンの持ち出しは許されず。外出先や移動中に少しでもと、私物のスマホ一つで草案を打ち込み続けた果てに培われた、悲しき能力だった。


『いいか、必須事項を言う。第一はツバキに従え。第二はお前が気が付いたこと、感じたことはとにかく俺に連絡しろ。第三は勝手に動くな。生きて帰りたいならな』


 ――生きて帰りたいなら。

 その言葉にピリリと空気が張り詰めるが、夏樹はすぐさま指を動かした。


【分かりました! まだ音が近づいてきていますが、姿は見えません。ツバキ先輩はずっと音の方向を警戒しています】

『それでいい』


 春日井の声にはどこか満足げな響きがあった。

 それは支配によって人を従わせる者の声――前職での上司と同じようで、どこか違うように聞こえた。



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