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狭間塞領奇譚 〜元社畜は、最強霊能者に拾われ、もふもふ猫先輩を愛でたり怪異に怯えたり、頑張ります!〜  作者: キキ イチ
第3章 再び、九十九駅へ

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14/25

14.開始10分で心が折れそう

 

「あ、あの。領収書、お願いします」


 人がまばらな昼の九十九駅のロータリー。

 そこに停まったタクシーの後部座席で、夏樹は運転手にたどたどしく告げる。

 前職では、なにかと「自己研鑽のため」と、今になって考えればなんとも横暴な言い分で自腹が横行していた。

 故に、領収書をもらうという行為が初めての夏樹は、受け取った領収書とおつりを丁寧に茶封筒に仕舞い込みながら、これでいいんだよな、と無駄に封筒の中身を何度も確認してしまう。

 九十九駅に向かう交通費として、渡された茶封筒には一万円も入っていた。電車で向かえば片道千円もかからないのに、と思う夏樹へ、春日井は「ツバキがいるし、乗り換えが面倒だろ」と呆れたように言うが、それは配慮してというより、本気で乗り換えを面倒臭がっている様子だった。

 春日井のマンションから九十九駅に向かうには、立地的に三回の乗り換えが必要だが、小市民な夏樹にとってはたいした手間ではない。しかし、自腹でないのならわざわざ反対する理由もなく。


(ちゃんと交通費が経費で落ちて、しかも立替えなくて良いようにお金も先に渡してくれるって、少しだけマトモな会社っぽく感じるな……っ、いやいや! 命がけの仕事マトモじゃないだろ自分!)


 タクシーを降りながら、うっかり過去と比べ、感心しかけて夏樹は頭を振る。

 時刻はもうすぐ十五時になろうというところだ。この時間帯が、九十九駅の利用者が一番少なくなるタイミングだという。

「狭間」に入るところを目撃されても「認識の歪み」が発生して問題がないらしいが、それでも一応、多少の配慮は必要だ。

 地下鉄の入り口である階段を前にして、夏樹は唾を飲みこむ。駅へ降りる階段にはまだ変わった様子はないが、それでもなんだか薄暗く沈んで見えた。

 今回の作業に必要だと言われた、様々な置物やお札が入ったバックパックをしっかりと背負い直し、夏樹は足元に置いた大型のキャリーバッグの蓋を開ける。


「ツバキ先輩、お待たせしました」


 声をかければ、「にゃん」と短く返事をするように鳴いて、ツバキが伸びをしながら優雅に姿を現した。

 夏樹の足元に、「さあどうぞ」という様子で座ったツバキの胴体に、命綱のハーネスとリードを手早く装着する。そしてスマホを取り出し、霊障防止効果つきというアプリの通話機能を立ち上げ、右耳に装着したインカムの電源を入れた。


「お疲れ様です、夏樹です」

『――ん、着いたか』


 しばしの呼び出し音の後、インカムから、ひどく面倒くさそうな春日井の声が返ってくる。


「はい。今、駅の前に到着し――」

『説明した通りにやれ。異常事態以外では呼ぶな、消音(ミュート)にしとけ』

「あ、はい……」


 ピシャリと言い放たれた言葉の背後で、ダダダンッ! という派手な銃撃音と、春日井の「チッ、右から回り込みやがった」という舌打ちが聞こえ、夏樹は内心でため息をついた。


(俺の命はゲームの片手間か……)


 出来ることなら、ゲームをプレイする音がうっすらと聞こえてくるインカムのスピーカーをミュートにしたい。しかしながら、どんな小言であろうと上司の言葉は常に拝聴しなければいけないと、悲しい社畜の習性が身についた夏樹は、自分側の『マイク』だけをそっとミュートに切り替えた。


「よし……行きましょう、ツバキ先輩」

「にゃっ」


 春日井とのやりとりで、良くも悪くもがっくりと気が抜けて緊張が少しほぐれた。夏樹はツバキのリードをしっかりと握りしめながら、おそるおそる九十九駅へと足を向けた。

 人気のない自動改札を抜け、さらにホームへと続く階段を降りていく。

 階段の踊り場に足をおろした瞬間、夏樹は全身の産毛が総毛立つのを感じた。


(――来た)


 空気が、明確に変わった。

 身構え、意識を張り巡らせていたせいか、「狭間」に足を踏み入れたのだ、という感覚が夏樹にもはっきりと分かった。見えない膜を隔てたように、蝉の音といった外界の音や夏の熱気が急に遠ざかり、代わりにカビと鉄錆の匂いが漂う、湿って淀んだ重い空気に包まれた。

 一瞬、足を止めたくなるが、そんな夏樹を先導するように、並走していたツバキがトトッと、足を早めて前に出ると、振り返ってゆっくりと瞬きをした。


「ツバキ先輩……」


 まるで「任せなさい」と言うように、ふわふわの尻尾をピンと立てた姿は、落ち着き払い、堂々としていて、とても頼もしく見えた。

 そんなツバキのおかげで、夏樹は歩みを止めずに階段を下りきり、切れかけの蛍光灯に照らされた、あの薄暗い因縁のホームに降り立った。


「えっと、まずは『ホーム端の柱に御札』だった、よな……」


 バックパックから、この九十九駅で夏樹が行わなければいけない作業がまとめられた資料を取り出し、再確認する。

 駅に着くまで、何度も目を通した資料に書かれた内容は、確かに春日井が言う通り、小学生にも出来そうなものだった。

 駅の見取り図に示された場所へ、指示通りの物を置いたり、御札を貼ったりするだけ――場所と物を間違えないように、該当箇所と品の写真までご丁寧に貼付されている。

 ただ一点、全ページの右上に赤文字でデカデカと「順番遵守!!」という文字が非常に不穏極まりない。コレだけ丁寧に資料が作られているのは、裏を返せば「間違えたらヤバイ」という理由が隠されている気配がしたが、夏樹は気づかなかったことにした。


「……ぅわ、ホントだ、またいる……」


 目的の柱へと向かう途中。見取り図にも注意ポイントとして記載された場所に、男の姿を見つけて夏樹は呻いた。

 よれたビジネスバッグを手にした、紺色のスーツ姿の項垂れた男。

 あの日、夏樹が同じ人間だと思って駆け寄ろうとして、目の前で線路に飛び込んで消えた男が、再び同じ場所、同じ姿でそこにいた。

 改めて、相手が人ではないのだと認識し、夏樹の背中をゾワゾワとしたものが這い上がる。


(見ちゃ駄目だ。目に入れないようにやり過ごせば大丈夫! 大丈夫……!)


 夏樹は視線を足元と手元の資料に固定した。

 男への同情や近くでの目視は危険だと、解説から知っている。逆に考えれば、同情や目視をしなければ大丈夫なはずだ。

 指示された「お札を貼らなければいけない最初のポイント」は、男のすぐそばの柱だった。そのためどうしても、距離が近くなる。

 ツバキは男の存在など気にも留めない様子で、悠然と前を歩いていく。夏樹はその導きに遅れないよう、なるべく男から遠い位置で横を通り抜けようとした。



 それなのに。



 ――顔が、無意識に持ち上げられる。


 決して上げるまいと思っていた視線が、足元のひび割れたタイルから離れて、そのまま横へ滑る。

 視界に、猫背の紺色のスーツが。生気のない青白い男の横顔が。


(あ……)


 男がゆっくりと振り返り、目が、合った。

 その瞬間、不思議なことに夏樹の心はふっと浮き上がった。

 先程まで淀んだ目をしていたはずの男の顔は、今はすべての重荷を下ろしたような、この世の誰よりも「幸せそうな笑み」を浮かべていた。思わずつられてこちらも笑顔になりそうなくらい、幸せいっぱいな顔で、男はゆっくりと線路へ倒れ込んでいく。


(……一緒に、いきたいな)


 その姿に、強烈な羨ましさが夏樹の心を鷲掴みにした。

 あの男の後に続きたい。

 自分も(幸せ)になって笑いたい。

 夏樹は男に手を伸ばすように一歩、踏み出し――


「にゃッ!」


 グイッ! と、手の中のリードが力強く引かれた。


「……っ!?」


 夏樹はその衝撃とツバキの声に弾かれたように我に返った。

 その瞬間、耳が軋んだ唸り声のような音を捉え、電車が眼の前に滑り込んでくる。

 電車と男が接触する瞬間、あれだけ幸せそうに見えた男は、忌々しげに憎悪に歪んだ顔を夏樹の目に焼き付け、電車の影に消え失せた。


(あ、あああ危な……!! 今、俺、完全に持っていかれてたよな!?)


 全身から滝のような冷や汗が噴き出しながら、夏樹はドコドコと早鐘を打つ心臓に、息を荒げる。

 足元を見れば、ツバキがやれやれといった様子で、黄金色の瞳を細めて夏樹を見上げていた。


「……ありがとうございます、ツバキ先輩。一生ついていきます」

「なぁん」


 ツバキのおかげで正気に戻ったことを感謝すれば、いつもより低い鳴き声で返される。若干、「気をつけるように」と注意されている気がするのは、あながち間違いではなさそうだ。

 夏樹はその場にへたり込みそうになるのを必死に堪えながら、震える手でツバキのリードを握り直した。


 これが、九十九駅。


 ツバキがいなければ、開始十分で自分の命は終わっていた可能性に、夏樹は改めて頭の中の伊津と春日井に訴える。


(やっぱり俺には難易度が高くないですか!? あと『近くで目視』じゃなくて『近くに行ったら無理やり目視させられる』じゃないですか!! 現場に来ないのなら、情報は正しく書いてください……!!)


 もちろん、実際の本人らには決して言えるはずもなく。

 それどころか、脳内ですら「あらあら、ごめんなさいね」と軽く謝る伊津と、「でもツバキのおかげで無事だろうが」と悪態をつく春日井が浮かんで、夏樹は深い深い溜め息をついた。



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