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狭間塞領奇譚 〜元社畜は、最強霊能者に拾われ、もふもふ猫先輩を愛でたり怪異に怯えたり、頑張ります!〜  作者: キキ イチ
第2章 新しい職場と業務説明

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13.地獄の中のオアシス

 


「えっ……ね、猫……?」


 夏樹の間の抜けた声が、静かな居間に響き渡った。

 九十九駅に行くに当たり、唯一の希望であり、心のよりどころである同行者の正体がもふもふとした巨大な猫だと知り、夏樹は肩を落とし、がっかりとした表情を隠せなかった。


(いくらなんでも冗談がきつすぎる……)


 ただのペットの猫を連れて、どうやってあの飛び込み自殺の霊や化け物電車が蠢く駅で生き延びろというのか。

 期待が大きかった分、目の前でのんびりと顔を洗う、ツバキと呼ばれる猫を前に、夏樹は気落ちする。その態度を、春日井が鼻でふんと嗤った。


「おい、勘違いすんなよ。ツバキはお前より百倍強えし、賢いっての」


 百倍強いし、賢い。

 その言葉を聞いても、夏樹はいまいちピンとこず、おずおずと「でも猫、ですよね……?」と言ってしまい、春日井が眉間にシワを寄せた。


「てめぇ、下っ端の分際で、偉そうに値踏みしてんじゃねぇぞ」

「す、すみません!」


 明らかにピリッとした春日井の声に、夏樹は(やらかした!)と背筋を伸ばし、すぐさま謝罪する。上司の言葉を疑うなんて一番やってはいけないことだ。

 慌てる夏樹に、伊津がお茶の入ったカップを両手で包み込みながらクスクスと笑う。


「ふふっ。気持ちはわかるけど、ツバキちゃんをその辺の猫ちゃんと同じだと思わないほうがいいわよぉ。下手なウチの事務所の職員より、よっぽど頼りになる、立派な『先輩』なんだから」


 ――事務所の職員より頼りになる先輩。


 伊津まで太鼓判を押すツバキの評価に、夏樹の脳内がやっと再起動する。

「怪異」だの「狭間」だの「守護霊」だの。現実離れした言葉が、本当に存在し、居るのだと今は身をもって知っている。

 ならばただの猫にしか見えないツバキもまた、春日井と伊津の言葉を信じるならば、自分よりも明らかに高い評価と信頼を得た、つまりは「格上」の存在ということになる。


(なんか俺、結局この中で一番ヒエラルキーが低い……いやでも、人間は猫の下僕みたいなモノだし! よくよく考えたら職場に猫がいるって良い、よな……!)


 夏樹は元々、かなりの猫好きだった。

 実家でも長年猫を飼っていたし、SNSで猫の動画が流れてきたら、ついチェックをしてしまう。

 前職中も、深夜の帰り道、塀の上にちょこんと香箱座りしている馴染みの野良猫にちょっとだけ触れさせてもらうことだけが、すり減った心の唯一の癒しだったほどだ。

 夏樹は改めて目の前のツバキを見た。

 グレーと白の毛並みはつやつやとして、お行儀良く座り、ふわふわの尻尾をゆっくりと動かし、金色の大きな目でじぃっと夏樹を見つめてくる姿は優雅で気品すらあり――


(か、可愛い……かなりの美猫だよな……!)


 ふわふわのそのお腹に顔を埋めて猫吸いができたらきっと天国だろう。いや、猫吸いという贅沢までは言わない。可能ならブラッシングをさせてくれたりしないだろうか。

 改めて考えれば、下手に面倒くさい人間より、存在自体が夏樹に癒やしを与えてくれるツバキが、先輩であることの方が幸運なのでは、と気づく。

 猫というだけでお近づきになりたいが、そこに自分より立場が上の「先輩」で、しかも「頼れる」という言葉がつくのなら、夏樹が取るべき態度は一つしかない。郷に入っては郷に従え。相手が動物であろうと、自分より評価と地位が高いのであれば、全力で敬意を払うのが正義だ。

 夏樹は、踏み台から立ち上がると、一人掛けソファに向かって、ツバキを驚かさないように程よい距離までそろそろと歩み寄り、その場にスッと両膝をついた。


「あ、あの……! ツバキ先輩。本日からお世話になります、綱木夏樹と申します。どうか、よろしくお願いいたします!」


 巨大なメインクーンに向かって、夏樹は深々と頭を下げる。

 挨拶と誠意は大切だ。実家の猫も帰ったときにちゃんと挨拶をしないと「誰だコイツ」という冷めた目でしばらく遠巻きにされてしまって、いつも寂しい思いをする。

 コレが人間相手なら、相手の出方にビクビクしてしまったり、下手に出ることに対して情けなさを覚えるだろう。だが猫――ツバキに気に入られるためなら不思議とちっとも苦とは感じないものだ。

 夏樹の丁寧な挨拶に、ツバキはゆっくりとソファの上で立ち上がった。豊かな被毛の長い尻尾をピンと立てて、ソファからふわりと床に飛び降りる。足音一つ立てない、優雅な身のこなしだ。

 そのままツバキは、床に正座している夏樹の側まで悠然と歩み寄ると、夏樹の膝の上に置かれていた手に、ピンク色の湿った鼻先を『ちょん』とくっつけると。


「にゃんっ」


 夏樹の顔を見上げ、一声鳴くと、ゆっくりと瞬きをする。それは間違いなく、「よろしく」と応える、知性を感じさせる挨拶だった。


(っ、可愛いッ……!!)


 ツバキの仕草に、夏樹は心臓を打ち抜かれた。

 この地獄のような職場のなかで、ツバキの存在は完全なる癒やし枠に決定した。

 思わず「尊いッ……」とツバキへのときめきに夏樹は胸を押さえる。それを、春日井がなんだコイツ、と言いたげな冷めた目で見ながら。


「死にたくなかったら、ツバキの言うことをよく聞けよ」

「はい! ツバキ先輩の言う事を聞きます!」


 過去一番の、心からの言葉で元気よく返事をしたら、何故か春日井がちょっと顔を引きつらせた。一体どうして。可愛い猫と一緒に働けるのだ、ちょっとくらいテンションが上がってもおかしくないだろう。


「…………おいツバキ。悪いがこのバカの面倒、頼むな」

「にゃっ!」


 春日井の言葉に対し、ツバキは人間の言葉を完全に理解しているかのように、短く、力強く鳴いて返事をした。

 そして、急にくるっと踵を返して、トトトトッ、と軽い足取りで部屋の奥へと消えていったかと思うと、口に何かを咥えて戻ってきた。

 ポトリ、と、ツバキが夏樹の足元に落としたのは、頑丈そうな猫用の「ハーネス」と、長めの「リード」だった。


「あらあら!」


 それを見た伊津が、感動したように両手を合わせた。


「流石ツバキちゃんねえ。普段はハーネスなんて嫌がってつけさせてくれないのに。夏樹くんのために、わざわざ命綱を用意してまで守ってくれようとするなんて、本当に優しいわ~」

「えっ、俺のために……?」

「にゃ~ん」


 ツバキの鳴き声は「肯定」にも「任せておけ」というようにも聞こえた。

 たかがリード一本。

 だが物理的に何かと繋がっている、という安心感は想像以上に大きい。リードの長さの範囲には確実にツバキがいる保証にもなる。

 そして自分の不快感を我慢してまで、見ず知らずの新人の安全を守ろうとしてくれる、その意思を見せてくれたことが最もありがたい。

 夏樹のツバキに対する評価は「癒し枠」から「敬愛すべき尊い先輩」へと完全に昇華された。

 正直、この場にいる伊津や春日井より圧倒的に頼りがいがあるし、怖くないし、優しいし、可愛い。

 できることならこの小さくて頼もしい背中に一生ついていきたい。


「ツバキ先輩……! 俺のために、本当にありがとうございます!」


 夏樹は、床に三つ指をつき、改めてツバキに向かって深々と頭を下げた。


「不束者ですが、現場ではツバキ先輩の足を引っ張らないよう、粉骨砕身の覚悟で臨みます。どうぞ、若輩者ですがご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

「にゃっ」


 真剣に忠誠を誓えば、ツバキは胸を張り、任せておけとばかりに喉をゴロゴロと鳴らした。

 そして、夏樹の殊勝な態度を気に入ったのか、再び歩み寄ってくると、夏樹の膝に置かれた手に、ふさふさとした額を『すりっ』と優しく押し付け、コロンと目の前で横になった。


「えっ……ま、まさか、撫でても……!?」


 ふわっふわの腹毛を見せつけてくるツバキに思わず夏樹が尋ねれば、ツバキはゆったりと瞬きをしてみせる。


「い、良いんですか……!? いいんですね……!?」


 猫好きにはたまらない、魅惑の毛並み。そのお触りを許してくれる態度に、思わず声がうわずった。

 ツバキは「良いよ」と言うように、もう一度コロンと転がって、更に夏樹との距離を縮めた。

 そのツバキの慈愛に満ちた歩み寄りに夏樹は深く感動しながら、恐る恐る手を伸ばす。顎の下からお腹まで。手を滑らせれば、極上の毛皮の感触に、じんわりと温かな体温が伝わってくる。

 九十九駅に行かねばならないと、恐怖でささくれ立っていた夏樹の心が、国宝級の手触りにみるみると浄化されていくのがわかった。


「はあ……すごい、ツバキ先輩、これ絶対マイナスイオン出てますよ。一生触っていたい……………………あの、ツバキ先輩、ちょっとだけお腹に顔を埋めるのは……」

「にゃ」

「あっ、流石に駄目ですよね……! すみません調子に乗りました。絶対しませんから安心してください……!」


 地獄の中にオアシスを見つけ、デレデレと相好を崩す夏樹に、春日井が呆れた顔をする。


「……ツバキ。あんまり甘やかすな、まだソイツは何もしてねぇんだから」

「にゃん?」

「ああっ……!?」


 春日井の言葉にツバキは「そうなの?」と言うように首をかしげて、するりと起き上がる。

 なでなでタイムの終了に夏樹は名残惜しく手を浮かせつつ、やはりツバキが正確にこちらの言葉を理解しているのだと、改めて感心する。そして――


「続きは、仕事をきっちりと終えてからだ」


 春日井が、トンッ、と九十九駅についての書類を指で叩く。

 その乾いた音に現実に引き戻され、夏樹の胃の腑が再びキュッと縮み上がった。これからまた死と隣り合わせの駅へ行くのかと思うと、体は震えるし、本音を言えば今すぐ逃げ出したい。


 ――でも。


 自分を見上げる金色の瞳と、右手に握らされたしっかりとしたリードの感触が、不思議と夏樹の逃げ腰にストッパーをかける。

 地獄は地獄だが、少なくとも「優秀」と評されるツバキが一緒に行ってくれるのだ。そして伊津や春日井、ツバキの態度は、そう易々と死ぬことは無いと語っている。


 (おそらく、俺がちゃんと従いさえすれば……)


 地獄に垂らされた蜘蛛の糸は、可愛い猫のリードだ。

 何も持たない夏樹にできることは、ただ伊津や春日井、そしてツバキを信じることだ。

 夏樹はぎゅっとリードを握りしめ、顔を上げる。


「えっと、それで、俺がすることって――」


 理不尽で恐ろしく逃れられない世界に、一歩、覚悟を決めて踏み出した。



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