12.九十九駅の秘密。本当に俺がここに行くんですか?
夏樹はゴクリと固唾を呑んで、資料の一枚目に視線を走らせる。
そこには、無機質な明朝体で『九十九駅における、基本的狭間発生メカニズムと現状』と記されていた。
「駅っていうのはね、『狭間』になりやすい場所のひとつなの」
資料に目を落とす夏樹に向かって、伊津がお茶をすすりながら補足するように話し始める。
「毎日何千、何万っていう人が集まって、電車を待つために立ち止まる。疲労、ストレス、憂鬱、時には絶望。そういう重たい感情を抱え、時に耐えきれずにその身を投げる。一つ一つは小さくても、じわじわと澱のように溜まった想いの蓄積は空間を歪ませ、狭間を作りやすくなるの。『行き交う場所』として現世とあちら側の境界線が曖昧になる、代表的な場所なのよ。他には交差点とか、ね」
「……はい」
「でもね、九十九駅は少し特殊なの。あそこは、塞領事務所が『あえて狭間が発生しやすくなるように』管理している場所なのよ」
「あえて、ですか?」
夏樹は顔を上げた。危険な異界への入り口を、どうして発生させているというのか。
「そう。狭間を作るエネルギーは止めることが出来ない。だから完全に抑え込んじゃうと、思いもよらない大穴が開いちゃうの。だから、人の少ない時間帯や場所を狙って、意図的に小さな狭間を開かせて『ガス抜き』しているのよ。九十九駅は、そのコントロール用の弁の一つだったの」
なるほど、と夏樹は妙に納得した。
脳裏に、地震が起きた時に、重要な柱や梁に直接負担がかからないよう、あえて隙間を持たせて犠牲にする場所を作ることで致命的な倒壊を防ぐ、という仕組みを思い出す。
予測不能な被害より、管理された歪みのほうが被害を制御しやすい。それはとても効率的なシステムだ。
だが、資料の次の項目を見て、夏樹の顔が再び引きつった。
「……でもあの、この資料には『予定外の狭間発生が頻発』って書いてありますけど……」
「そうなのよぉ。普段、狭間が開く時は『工事中』とかで、歩く場所を制限して、被誘者が出ないようにしているんだけど……あ、被誘者っていうのは狭間に迷い込んだ人の通称ね」
伊津は困ったように眉を寄せた。
「ここ最近、そのスケジュールが完全に狂っちゃってて。昼夜問わず、ランダムに狭間が開くようになっちゃったの。事務所の職員が何度調べても原因がわからなくてね。それで、春日井くんに原因調査の特命が下ってたってわけ」
「俺が迷い込んだのも……?」
「もちろん、イレギュラーな発生。でも良かったわね、たまたま春日井くんが調査に向かった時で。監視にも救出にも職員じゃ限度があるし、本当にラッキーだったわよ~」
夏樹は、思わず背後でカチャカチャとキーボードを叩く春日井を振り返った。
最悪のタイミングで九十九駅を利用し、狭間に迷い込んで春日井に出会ったことは、「ラッキー」という言葉ではなかなか片付けられない。しかし、同時に春日井との出会いは最凶の中の幸運でもあったのだろうか。
まだ完全にはすべてを飲み込めないまま、夏樹は更に資料をめくった。
そこには『九十九駅・第三ホームにて確認されている主な害意的怪異』という見出しとともに、おぞましい情報が箇条書きにされていた。
【対象A:飛び込み自殺の男】
主に、三十代から五十代に見える中年男性のサラリーマンの姿をとる。ホーム前方の端から線路へ飛び込む動作を行い、電車に接触すると消失する。対象Bが何らかの要因で駅から発車した場合、何処からともなく発生し、再び対象Bの来駅に伴い線路に飛び込む。
※非常に強力な「道連れ」の呪波を放っており、近くで視認した者、あるいは同情を抱いた者を精神的に支配し、共に線路へと飛び込ませる事を確認。線路に飛び込んだ場合、被誘者は対象Bとの接触により死亡する可能性が高い。
【対象B:幽霊電車】
対象Aの飛び込みと同時にホームへ滑り込んでくる古い車両。昭和後期の主要電車に酷似しているが実際の型とは同一ではなく、最近の電車の特徴も見受けられる。あくまでも電車という概念体と考えられる。
※対象Bに乗車し、駅から発車した後の状況については現在不明であり、現状として、乗車した被誘者が現世へ帰還した例は確認されていない。解析の結果、「きさらぎ駅」への運搬というよりは、物理的な捕食、あるいは魂の完全な同化が行われていると推測される。
【対象C:ホームの隙間】
ホームと対象Bの車両のわずかな隙間に潜む。基本的に対象Bが駅に停車している時に活性化するが、対象Bがいない場合にも線路を覗き込んだ被誘者を捕捉し、ホーム下の空間へ引きずり込んだ例が一件確認されている。
基本的には対象Bへの乗車を躊躇う者の足首を掴み、車両とホームの隙間へと引きずり込む事が多い。掴まれると身体の自由を奪われる被誘者もいるが、振り払える被誘者も3割ほど確認されている。
完全に隙間に引きずり込まれる被誘者は少なく、基本的に対象Cから逃れようとして、はずみで対象Bへ乗車する事が多い。対象Bと協力体制を取っているかは不明。
完全に引きずり込まれた被誘者の生還は現在のところ確認なし。
「…………ッ」
資料を読み進めるにつれ、夏樹の血の気がスーッと足元へと引いていく。資料を持つ手が冷たくなり、ブルブルと震えてしまい、読めなくなって書類をテーブルの上へと置いた。
あの日、自分が遭遇したモノが、どれほどの危険を孕んでいたのか。そして春日井に会えていなかったらどうなっていたのか。その答えが載っていた。
(致死率が……高すぎる……!)
怪異の数も、その殺傷能力も、とてもじゃないが一つの駅に密集していいレベルとは思えない。
先程はあえて狭間を作り出してガス抜きをすることに納得したが、こんな場所へつながりやすくするなんて頭がおかしいんじゃないかと思う。そしてここに再び素人である夏樹に行けという命令もだ。
「あの、伊津さん。これ、危険すぎませんか……? 数も殺意も、尋常じゃないというか……そもそもこんな危険な駅、常時閉鎖したほうが良いんじゃ……」
「残念だけど閉鎖してしまうと『駅』という形をなくしてしまうから狭間の発生条件が変わっちゃうのよねぇ。あくまでも普通の人には『ただの駅』である事が大切なの」
「でも、実際には人が消えているんでしょう? おかしいって思うんじゃ……」
「…………そんなの、九十九駅でいなくなったのか、別の場所でいなくなったのかなんて、改札の情報さえいじっちゃえばわからなくなるでしょう?」
「…………」
伊津のその言葉に、それが大惨事を防ぐための必要な管理だと、頭では分かるが、心がついていかない。
こんな、知らないところで、人の失踪が偽装されているなんて――
「おい、グダグダ言ってる暇があるなら、その原因をお前がさっさと片付けてこいよ」
知らない世界の闇に言葉を失っていると、背後でゲーミングチェアがギシッと音を立てて回転し、春日井がひどく退屈そうな三白眼で夏樹を一瞥した。
「か、片付けて来いって、だから俺は素人ですよ……!?」
「狭間が頻発してる『原因』はもう分かってんだよ。あとは俺の指示通りに『作業』をするだけだ。作業だけなら小学生でもできる」
春日井は鼻で笑って言うが、小学生でもできる簡単な作業。その言葉を聞いて安心するほど、夏樹は単純ではない。
むしろ過去の経験から、夏樹の頭の中ではけたたましい警戒音が鳴り響いていた。
求人情報にある「誰にでもできる簡単なお仕事です」は、本当のことを言ったら人が集まらないから、ソレを隠すための常套句だ。
それにそもそも、と夏樹はこれまでのやりとりを思い出し、違和感を我慢できずに口にした。
「小学生でもできる簡単な作業なら、わざわざ春日井さんに依頼しなくても、狭間塞領事務所の方でもいいですよね……?」
伊津は予算を四割増しにしてでも春日井に頼みたいと言っていた。いくら人手がないからと言って「原因が分かれば小学生でもできる」内容を頼むには好条件過ぎて、明らかにおかしい。
「そうねぇ、その疑問の答えは、作業自体は誰でも出来るんだけど、狭間には誰でも簡単には入れないから、って所かしら」
「……俺なら入れるってことですか? さっき言ってた、『波長があっている』から……?」
「そうそう。あとは他にも理由があるんだけど……春日井くん、流石に夏樹くん一人だけで行かせるつもりじゃないわよねぇ?」
「っ!!」
伊津の「他にも理由がある」という言葉に引っかかったが、それよりも「一人じゃ行かせない」という話の方が夏樹には死活問題過ぎて、思わず期待の眼差しで伊津と春日井を交互に見た。
春日井は、そんな夏樹の熱視線をうざったそうに受け流しながら、鼻を鳴らした。
「当然、ツバキをつけるし、そしたら余裕だろ」
「やっぱり! ツバキちゃんがいるなら安心ね~!」
ツバキ。
その名前と、二人の一目置いているような反応に、夏樹は食いついた。
「あ、あの! ツバキさんというのは、どのような方ですか!?」
若干、身を乗り出す勢いで尋ねる。
九十九駅という最凶の現場への同行者だ。どうか、パワハラをしない優しい人でありますように。という願いは贅沢かもしれないが、まずは自己紹介をして、誠心誠意「よろしくお願いします」と頭を下げなければと、夏樹は意気込む。
すると、春日井はゲーミングチェアの上で気怠げに顎をしゃくった。
「ツバキなら、そこにいるだろ」
「……へ?」
春日井が指を差したのは、部屋の片隅に置かれた、少し年季の入った一人掛けのソファだった。
夏樹は瞬きをして、その場所を凝視した。
しかし、そこには誰も座っていない。ただ、白と灰色の毛足の、フワフワとした大きな「クッション」が一つ、無造作に置かれているだけだ。
(もしかして、『鷹松』みたいに見えない守護霊の類なのか……?)
夏樹の頭上に、無数の疑問符が浮かび上がる。
まさか、見えない霊と一緒に行くことになるのだろうか。困惑する夏樹をよそに、伊津がソファに向かって、まるで可愛がっている孫を呼ぶような甘い声を出した。
「ツバキちゃ~ん、起きて~。お仕事よ~」
その言葉に、ソファの上に置かれていた「クッション」が、もぞり、と動いた。
クッションの一部がゆっくりと持ち上がり、そこからピンと尖った二つの耳が現れたかと思うと。
「にゃ……?」
くるんとコチラを振り返り、可愛らしい鳴き声を上げたモノの正体に、夏樹は目を丸くした。
クッションだと思っていたその物体は、ふさふさとした豊かな被毛に、立派な飾り毛のある耳、そして通常の猫より軽く二倍ほどありそうな体躯の、見事なメインクーンだった。




