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狭間塞領奇譚 〜元社畜は、最強霊能者に拾われ、もふもふ猫先輩を愛でたり怪異に怯えたり、頑張ります!〜  作者: キキ イチ
第2章 新しい職場と業務説明

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11.最強上司と命をつなぐ首輪



「それで、どうする? 帰りたいなら帰ってもいいぜ?」


 春日井が何処か楽しげな響きがある声で夏樹に問う。

 その言葉に、夏樹はまるで油の切れた機械のようにぎこちなく首を動かし、すがりつくような目で春日井を見た。

 帰っていいなんて、ほんの数分前なら喜んで飛びついていただろう。だが窓の外で自分を食い入るように見つめる怪異(存在)を知ってしまった今では、絶対にこの部屋を追い出されたくない。


「俺ならアレの対処ができるけど。……なぁ、お前はどうしたい?」


 完全に怯えきった夏樹に対して、春日井は、ゲーミングチェアの上で足を組み直し、肘をつきながらそう言い放った。

 

 ――これは、悪魔の契約だ。

 

 「助けてほしいのなら」と、暗に匂わせ、夏樹の口から「言うことを聞きますから助けてください」と言わせようとしている。選択肢など、はじめから存在していなかったのだ。

 九十九駅行きを断れば、窓の外の怪異に襲われるか、運良く逃れても再び唐突に異界へと引きずり込まれるか、別の怪異に遭遇するか。

 しかし春日井の下で働くとしても理不尽なブラック労働と九十九駅という死の危険が待っている。


(どちらに転んでも地獄……)


 グラグラと夏樹の中でどちらがマシなのか、と天秤が揺れる。

 少なくとも後者ならば、「死亡事故や怪我は困る」という言葉を信じ、命は保証されている、と期待したい。

 夏樹は覚悟を決め、床に両手をついて、震えながら頭を下げた。


「すみません、我儘言わずに頑張りますから助けてください」


 何だか三日前にも、同じようなやり取りをした気がするな、と一周回って他人ごとのように思う。

 前職で、定時間際に無茶な追加業務を押し付けられることに慣れきってしまい、なんの感情も動かず「分かりました」と答えていた時と同じような、諦めきった空虚な感覚になる。

 

「……初めから、素直にそう言えよ」 


 夏樹から望む言葉を引き出して満足すると思いきや、何故か春日井は短く吐き捨てるように言うと、面倒くさそうに右手を窓の方へと向ける。

 そしてデコピンをするように指を弾いた、その瞬間――


 巨大な顔面が、音もなく、幻のようにぱっとかき消えた。


「――え?」


 窓の外には、何事もなかったかのように青い夏空だけが広がっている。

 おどろおどろしい断末魔や、血飛沫といったものもなく、あまりにもあっけない幕引きに、夏樹は恐怖が引っ込んで混乱した。

 まるで白昼夢でも見ていたのかと思うほど、先ほどまでの禍々しい光景は何処にもない。


「ね、言ったでしょう。春日井くんはこう見えて本当に優秀なのよ」

「あんなの、ゴミみたいなもんだろ」

「それでも、普通はもっと手順を踏まないと祓えないのよ。貴方は規格外。もうちょっと自覚しなさいな」

「うっせ……」


 伊津が春日井を褒めていたのはお世辞ではなく、純粋な事実だったようだ。

 凄すぎる人間は現実味がないと言うが、実際に目の当たりにすると、確かになんの冗談だ、と夏樹は思う。


(……は、……いや、そんな。こんなあっさり……えぇ??)


 あれほど見るのが怖かった出窓を、夏樹は信じられない思いでマジマジを見つめてしまう。

 どういった仕組みかさっぱり分からないが、直接触れるわけでもなく、窓ガラス越しに、しかもただのデコピンのような仕草ひとつで、化け物を跡形もなく消し飛ばした。春日井のそのあまりにも規格外な実力の衝撃で、夏樹の中で渦巻いていた理不尽への抵抗感もまた、ぽーんとどこかに吹っ飛んでいた。


(態度は悪いし、怖いけど……もしかして春日井さんって本当にめちゃくちゃすごい人なのか……?)


 最悪の状況は変わってはいない。

 しかし、完全に逃亡を諦めてしまえば、ほんの少しだけ現状の良いところに目が向いて。

  

(考えてみれば、なんだかんだちゃんと守ってはくれているし……、きちんと言う事を聞けば、そこまで悪いことにはならない、のか……?)


 夏樹は思わず期待の眼差しで春日井を見つめる。するとその視線に気が付いた春日井が胡乱げな顔をした。


「……なんだよ、その目は」

「あ、いえ。祓ってくれてありがとうございます」

「…………キモ」

「えっ!?」


 そういえばお礼を言ってない、と思って口にしたら、何故か春日井に顔を歪められてしまった。ぐるりとゲーミングチェアを回転させてまたモニターに向かう春日井に、夏樹は一体何が癇に障ったのだろうか、と思うが。


「それじゃあ、お話はまとまったみたいだから、夏樹くん、早速お仕事の話に入りましょうか」

「あ、はい……」


 伊津は春日井の様子など全く気にしたそぶりもなく、のんびりとした声で手を叩いた。「ほらほら、床に座ってないで戻っておいでなさい」と言われて、夏樹はフラフラと再び踏み台に座る。

 チラチラと春日井のほうを窺うが、振り返る気配はなく、完全に伊津に任せる気のようだ。


「それじゃあ、今回のお仕事の資料を夏樹くんに説明するわね~」


 伊津はエコバッグの中から、クリアファイルに挟まれた数十枚の紙束を取り出し、夏樹へと差し出した。


「一応、春日井くんにはデータで送っておいたけど。夏樹くんは、とりあえず紙で読んでちょうだい」

「あの、データで送っていただけるなら、俺のスマホにも送ってもらえませんか? その方が確認しやすいので……」


 夏樹は両手で恭しく紙束を受け取りながら、(紙の資料は場所も取るし無くすリスクがある)と内心で思いつつ、恐る恐る希望を口にしてみた。しかしそれに伊津はふふっと笑いながら首を横に振った。


「駄目よぉ。ただのデータだと危ないの」

「……危ない、とは?」

「んー、そうねえ……」


 伊津は、いつの間にか新しく淹れた湯気の立つお茶を一口すすり、さも「最近の若者は困るわね」とでも言いたげな、世間話のトーンで。


「最近は、データを勝手に書き変えちゃうような『子』もいるのよ」

「あっ……なるほど」


 データを変えちゃう「子」。

 伊津の口調から、それはハッカーやコンピューターウイルスのことではなく、あの窓の外にいたような、あるいは九十九駅のホームにいたような存在のことだと気づいて、深くは聞くまいと思った。

 しかしそんな夏樹の思いとは裏腹に、伊津は丁寧に説明してくれる。


「例えばね、せっかく安全なルートを記した地図が、いつの間にか死地へと誘導する偽のルートに書き換えられたり、『振り返るな』という警告文が、『後ろを見て』という言葉になったりとか、『知ってはいけない言葉』になったりとか色々とね……まったく、困っちゃう」

「そ、それは、困っちゃいますね……」

 

 夏樹にとっては「困っちゃう」なんて言葉では到底片付けられない内容だ。

 電子データに依存しきった世代の夏樹にとって、伊津の話はとんでもないサイバーホラーテロだ。


「だから、アナログが安全というよりもね、その渡した紙自体に、ちゃんとお祓いをしてあるのよ。そういう霊的な干渉を受けないようにね」


 伊津はそう言って夏樹が持つ書類をツン、とつついた。


「あ、ちなみにお祓いの効果まではコピーされないから。勝手にコピーしたりしちゃ駄目よ~」

「は、はいっ! 気を付けます!」

「でも、毎回紙だけだと不便でしょう? 一応、そういった干渉を弾くように対策した専用のアプリがあるから、後で許可の申請をして、夏樹くんのスマホにも入れてあげるわね。そうすればデータでも安全に見られるから」


 伊津がにっこりと笑ってそう言った、その時だった。


「それならもう入れた」

「え?」


 背後でゲーム画面を睨んだまま、春日井がぽつりと言って、夏樹と伊津の声が重なる。


「九十九駅でコイツからスマホ取り上げた時、ついでに入れといた」


 その言葉に、夏樹はハッとした。

 あの日、駅のホームから生還した直後。春日井が夏樹のスマホへ勝手にインストールした「HZM」という名のアプリがあった。昨日、『始業時間 10時』という業務連絡が届いたのもそのアプリだ。


(あれ、ただの連絡アプリじゃなくて、対霊障用の専用アプリだったのか……!)


 他人の私物スマホに勝手に業務用アプリをインストールするなど、本来ならコンプライアンス違反も甚だしい。案の定、伊津も「申請しないで勝手にいれちゃうなんて……」とため息を吐くが、春日井が「適当に処理しとけよ、手間賃は払う」と言うと、「それなら良いわ」とケロリとした。


「よかったわね、夏樹くん。そのアプリとっても優秀なのよ。万が一、『狭間』に深ーく迷い込んじゃった時でも、アプリの位置情報把握システムで大体の居場所が私たちに分かるようになってるの」

「……GPSみたいなもの、ですか?」

「そうそう。狭間じゃ普通のGPSやコンパスなんて役に立たないから、何かあった時のための命綱にもなるのよ」


 命綱。


 確かに、あの誰もいない狂った空間に取り残された時、外部に自分の居場所を知らせる手段があるというのは、どれほど心強いかわからない。

 だが同時に、夏樹は首の後ろをチリチリとひっかかれるような、嫌な感じがした。

 会社支給ではない私用のスマートフォンに、位置情報が把握できるアプリの導入。それは前職での、「いつでも連絡がつくように」と常に位置情報が上司に共有され、休日ですら息が詰まるような思いをしたトラウマを蘇らせた。

 これは果たして、死の淵から自分を救い上げてくれる『救いの糸』なのだろうか。それとも、絶対に逃げ出さないように繋がれた『首輪』なのだろうか。


(……両方、かな……)


 嫌だが、一度九十九駅に迷い込んだ夏樹にはこのアプリをアンインストールする勇気など微塵も残っていない。

 頭に浮かんだ、首輪を付けた自分の姿を見なかったことにして、夏樹は小さく息を吐き、静かに「お祓い済みの資料」の1ページ目をめくった。



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