第11話 何事も 終わり良ければ 全て良し⑤
それから、およそ一時間半後。
「ふんふっふふーん♪」
「……」
昼食を終えてすぐ、ひと休みする間も、後片付けをする時間すらも与えられず、梛は凜桜にこうして外へと半ば強引に連れ出されては、見慣れた道をただひたすらに歩いていた。
もう五月も数日が経ったというのに、半袖だと少し心許なく感じてしまうような冷たい風が肌を撫でていく。そんな冷風から梛を守るように、凜桜は腕を絡ませ、梛にべったりと引っ付いていた。
「……なあ、姉貴」
「やーだー」
「まだ何も言ってないんだが……」
「だって、『離れてくれ』って言うんでしょー。嫌だもーん」
梛の考えを見透かすように言って、凜桜は絶対に離してやるものかと、さらに強く梛の腕を抱きしめる。先の一件があったせいであまり強くは言えず、梛は折れるしかなかった。
だが、それはそれとして——
「なあ、姉貴」
「なーにー?」
先程と同じ問いかけだというのに、凜桜は声を弾ませ、キラキラと輝くガラス細工のような瞳を向けてくる。
特に声色が変わったわけでもないのに、別の要件ならそれだけで反応するらしい。いったい、どうやって聞き分けているのか。
不思議に思いながらも、それはさておきと頭の片隅に追いやり、梛は当初の疑問を口にする。
「……これからどこに行くんだ?」
「梛と一緒ならどこでもいーよー!」
「いや、それならわざわざ外に出る必要もないんじゃ……。世の中には『おうちデート』ってのもあ——」
「いーやーだー! 梛と、二人きりで、お出かけが、しーたーいーのー!」
梛が立ち止まろうとすると、凜桜は不満そうに梛の腕をぐわんぐわんと揺さぶった。
頬を膨らませ、恋人繋ぎでぐいぐいと梛を引っ張って。どこに行くかも決めていないというのに、連れ回す気でいっぱいだった。
梛ははあと息を吐き、先導する凜桜に並びかけようと、ほんのわずかに歩調を速める。
「まあ、約束したわけだし、出かけること自体は別にいいんだけどさ。でも、さすがに目的地くらいは決めないか? このままだと、ただ歩き回るだけで夕方になるぞ」
「だって、梛と一緒ならどこでも楽しいんだもん……」
「それは何よりなんだが……姉貴はどこか行きたいところとかないのか?」
「んー……」
凜桜は眉間に皺を寄せ、身体をうねらせながら、深く深く熟考するように「むむむ」と唸り——数秒後、突如ハッと顔を上げた。
「梛の行きたいところに行きたい!」
「……いや、特に行きたいところはないんだが」
行きたいところと言われても、まったく思いつかない。強いて言えば、今日の夕飯の材料を買いにスーパーへ行きたいと思うくらいだが……さすがにその選択肢が間違っているのは梛にでも理解できた。
「特にないなら、無難にショッピングモールとか行くことになるぞ? もう少し早ければ遠出もできたんだろうけど、さすがにこの時間からだと夕飯が遅くなりそうだしな」
「梛がもっと早く誘ってくれれば、色んなところに行けたのに……」
「それはまあ……そうなんだけどさ。でも、一緒ならどこでも良かったんじゃないのか?」
「そーおーだーけーどー! もっと梛と色んなとこに行きたいのー!」
「わかったわかった。そのうちな、そのうち」
興奮した馬を落ち着かせるように「どうどう」と言いながら、梛は凜桜の頭を撫でてやる。手を繋いだまま、ぶんぶんと腕を振り回されなんてしたら、そのうち肩が外れてしまいそうだった。
そうして梛たちは、いつものようにカップルと勘違いされそうな距離感で駅の方へと歩いていき、いつものように電車に乗って、いつものようにショッピングモールへとたどり着いた。
内装も外装も、数日前に綾芽と訪れたときと一切変わっておらず、ゴールデンウィーク最終日でも相変わらずの賑わいを見せている。明日から再び学校やら仕事やらが始まるというのに、まるでみんな揃って現実逃避でもしているのかと思わせるほどの活気に満ちていた。
とはいえ、それが全員に当てはまるはずもないわけで。梛はただ一人、笑顔の絶えない凜桜の隣で、どこか憂鬱そうな表情を浮かべていた。
そして、そんな梛を凜桜が見逃すはずもない。何かしてしまったのではないかと、不安げに梛の顔を覗いてくる。
「おねーちゃんと一緒じゃ……楽しくない?」
「いや、そうじゃなくて……まあ、まだ来たばかりだから、楽しいか楽しくないか断言はできないんだけどさ」
感情とは伝播するものだ。特に凜桜はそういった梛の変化に敏感なため、気をつけなくてはならない。それはわかっているのだが……
「自分から提案しておいて何言ってるんだって話なんだけど、なんでショッピングモールを選んだかなあって思ってさ」
いくら近場にあるとはいえ、同行する者が違うとはいえ。さすがにデートのたびにショッピングモールへ行くのはどうしたものか。
この一ヶ月で凜桜や美卯とも来たし、同じゴールデンウィーク中には綾芽とも来ているのだ。色々見て回ったし、服も買った。ゲームセンターで遊びもしたし、下着を選ばされもした。いったい、これ以上何をしろと言うのか。
今後もこういうことがあるのなら、さすがに出かけ先を考えておくべきだろう。……いやまあ、そんな機会はもうないのだが。
「こんなに頻繁に来てもやることないだろ? 服だって、そんな一ヶ月程度でラインナップも変わらないだろうしな。ゲームだって姉貴はそんなにやるほうじゃないから、ゲーセン行ってもそんなに楽しめないだろうし」
「梛と一緒なら、どこでもなんでも楽しいよー!」
「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、マジでやることがないんだよな。……いっそのこと、小さい子供向けのヒーローショーでも観るか?」
やけくそになった梛は、ふと目に入った張り紙の前で立ち止まって提案してみる。
「梛は観たいの?」
「いや、まったく」
「じゃあ観なーい」
そう言って凜桜は、梛の手を引いて再び歩き出した。さすがの凜桜も、梛の提案すべてに首を縦に振るというわけではないらしい。
もしくは、梛が興味ないことには自分も興味がない……という可能性もなくはないが、仮にそうだとしたら、本当に何をすればいいのか。
凜桜は「梛と一緒なら、どこでもなんでも楽しい」なんて言っていたが、梛が楽しめる場所が凜桜も楽しめるとは限らない。凜桜がただ見ているだけになってしまうであろうゲームセンターが最たる例だ。
これがデートだというのなら、凜桜の言葉を鵜呑みにして梛だけが楽しめる場所に行くのではなく、二人揃って楽しめる場所——つまり、『楽しさを共有できる場所』に行くべきだろう。そう考えると、あまり代わり映えのしないショッピングモールへ月に何度も訪れるという選択肢は、やはり間違っているように思えた。
とはいえ、姉弟間で共通する趣味があるわけでもないので、ここからどこへ行くかも悩ましい。もっとも、昼を過ぎているため、今から移動するとしても行動範囲はかなり限られるのだが。
「——ねー、なーぎー」
と、悩みに明け暮れて上の空だった梛を、凜桜はぐいっと後ろに引っ張って現実に引き戻した。
「梛ってばー、無視しないでよー」
「……っと、悪い悪い。ちょっと考え事してた」
「むー……」
凜桜は不満そうに唇を尖らせ、拗ねたとばかりに繋いだ手をぶらぶらと大きく振り回す。
「おねーちゃんとのデートなんだからさー、他のことは考えないでよー」
「いや、考えてたのは姉貴に関することだったんだが……まあ、無視してたのは良くなかったよな。ごめんな」
「ううん、おねーちゃんのこと考えてたなら大丈夫! もっと考えてー!」
梛が謝ると、凜桜はあっさりと機嫌を直し、人目も気にせず梛へ抱きついた。
あまりにも素直で純粋すぎる姉が心配になりながらも、梛は容赦なく引き剥がし、再び手を繋いで歩き始める。
「ねー、何考えてたのー?」
「近くに姉貴が楽しめそうな場所はないかと思ってさ。ショッピングモールは結構な頻度で来てるからさすがに見飽きただろうし、かと言ってここから移動しようにももう昼過ぎだから、行ける範囲も絞られるだろうし——」
「だーかーらー、梛と一緒ならどこでも楽しいんだってばー! 梛の行きたいところでいーのー!」
「……あのなあ、姉貴。もしこれがデートだって言うなら、そういうわけにもいかないだろ。どこでも楽しいって言ってくれるのは嬉しいけど、デートって互いが互いの行きたい場所やりたいことを尊重し合って、行き先を決めたりするもんじゃないのか?」
ひたすらに相手のやりたいことを優先しようとする優しくも頑固な姉に呆れた梛は、幼い子供を諭すように言ってやる。
「一緒に寝るだの風呂に入るだの、普段からそういうわがままは言うくせして、なんでこういうときには言わないんだよ。どこでもなんでも楽しいってのは……まあ、本音なんだろうけど、姉貴にだってやりたいこと行きたい場所くらいはあるだろ? こんな機会なんだし、内容にもよるけど、そういうわがままだったら叶えてやれなくはないんだからさ」
「……だって、梛と一緒にお出かけできるだけで本当に嬉しいし、楽しいんだもん」
「貪欲なのか無欲なのか、どっちなんだよ……」
叱られた子供のように身体を縮こまらせる凜桜に、梛はどうしたものかと肩をすくめた。
常日頃から無理難題や無謀な願いばかりを口にするというのに、こういうときに限ってわがままのひとつも言わない。しかも、これで遠慮しているわけでも、嘘をついているわけでもないのだから、本当にどうしようもなかった。




