第11話 何事も 終わり良ければ 全て良し④
「で、いつまでそんなことしてんの?」
「いや、いつまでって言われてもな……。俺じゃどうにもならないわけで……」
なぜかご立腹な様子の美卯に、梛は肩をすくめる。
泣きじゃくる凜桜を宥めること、およそ二十分。いまだに梛は、凜桜を膝の上に乗せたままでいた。
もちろん、凜桜はとっくに泣き止んでいて、今ではいつものようにだらしない笑みを浮かべている。
それでも梛が膝の上からどけないのは、あくまで『凜桜が梃子でも動こうとしないから』である。
まあ、約束を忘れていたことへの罪悪感から強気に出られないというのも多少はあるのだが。
「なあ、姉貴……そろそろどいてくれないか?」
「えへへー、やーだー」
梛が何度言っても凜桜は動く気配を見せず、離れていた時間を埋め尽くすかのように、ただひたすらに頬擦りを繰り返す。
まったく、嫌われたと少しでも勘違いした自分がバカバカしかった。梛は先程まで感じていた不安感やら何やらを体内から押し出すように、大きなため息をついた。
「お姉ちゃんさ……そんなことしてたら、デートする時間なくなるんじゃないの?」
と、諦めて凜桜を甘えさせていた梛へ、美卯が助け舟を出してくる。
梛たちが凜桜の部屋を訪れてから、少なくとも一時間半は経っている。現在、時刻は十二時を回り、ゴールデンウィーク最終日も残すところ半日となった。
美卯の言葉で、凜桜はハッと気づいたように頬擦りをやめると、膝の上から下りることなく、不安そうに梛をじっと見つめる。
「おねーちゃんと……デート、してくれる?」
「……まあ、約束は守らなきゃだもんな」
目を潤ませる凜桜の頭に、梛は安心しろとばかりに手を乗せてやる。
普段の梛であれば間髪入れずに断ることだろうが、今回は違う。わざとではないにしろ、一度取り付けた約束を踏みにじりかけ、あの凜桜から避けられるまでに至ってしまったのだ。
日頃ベタベタ引っ付いてくる凜桜にそうさせてしまうほど怒らせてしまったのだから、願いのひとつやふたつ、快く聞いて然るべきだろう。それが梛にできる精一杯の償いだった。
「ほんと!? デートしてくれるの!?」
「ああ、約束したしな。ただ、どこ行くかも何も考えてな——」
「梛大好きー!!」
梛の言葉を遮り、凜桜はパーッと華やいだような明るい笑みを浮かべながら、嬉しそうにぐりぐりと頭を梛へ押し付ける。そんな凜桜を見て、目の前の美卯が「ワー、チョローイ」とでも言いたげな呆れた表情を浮かべていた。
「さてと……それじゃあ、遅くならないうちにさっさと行くか」
「はーい! おねーちゃん、着替えてくるねー!」
「いや、その前にお姉ちゃんはまず朝ごはん食べなよ。もうお昼だし、お腹すいてるでしょ」
梛の膝の上から下り、そそくさと部屋をあとにしようとする凜桜を、美卯はすんでのところで引き止めた。
「たしかにそうだな。……まあ、時間的に朝飯かどうかは怪しいところだが」
「別に朝ごはんでもお昼ごはんでもどっちでもいいんだけどさ、さすがに何も食べないで出かけるわけにもいかないでしょ」
「ううん、大丈夫! せっかくのデートの時間が減っちゃうもん!」
——と、次の瞬間。
くうぅ……
どこからともなく、そんな可愛らしい音が聞こえてきた。
「…………」
「…………」
梛と美卯は互いに顔を見合わせたのち、音の発生源へと視線を向ける。
そりゃあ、半日以上何も食べていない上に、虚ろな目になるほど泣き疲れていたのだ。お腹がすいてないわけがないだろう。
だというのに、空腹を誤魔化そうと前かがみになりながら部屋を出ていこうとする凜桜に、梛は小さく笑った。
「なあ、姉貴。出かける前に飯食ってかないか? もういい時間だし、腹減っちゃってさ」
「でも……」
「私もお腹すいた」
「ほら、美卯もこう言ってるし、な?」
「…………うん」
梛が言うと、凜桜は素直にこくんと頷き、てとてと階段を駆け下りていく。
凜桜の朝食、もとい昼食を作るため、梛も部屋をあとにしようと立ち上がると、入れ替わるように美卯がベッドに腰をかけ、そのまま倒れ込んだ。
「……ほんっと、お姉ちゃんはお兄ちゃんのことになるとバカになるよね」
「いや、バカって……」
「だって、そうでしょ。いくらお兄ちゃんが約束を忘れてたからって、あんなわかりにくい『怒ってますよ』アピールするとかさ」
「それはまあ……忘れてた俺が悪いしな」
「それを踏まえた上での話。ほんと、普段はすごくわかりやすいのに、なんでこういうときだけわかりにくいんだろうね」
枕を真上に投げてはキャッチする動作を繰り返しながら、美卯は凜桜への不満を口にする。
「あんなに泣くくらいなら、最初から『約束通りデートしてくれ』って素直に言えばよかったのに。部屋に引きこもって、死んだ顔して……お姉ちゃんのあんな姿、久しぶりに見た」
「……だな」
当時の光景を思い出し、梛は乾いた笑みを浮かべた。
およそ十年前——梛が小学生の頃の出来事だ。
親にゲームを禁じられていた間に読書にのめり込んだ梛は、解禁されたあともただひたすらに本を読み漁っていた。もちろん、凜桜もそんな梛のすぐそばにいた。
今では膝枕で我慢している凜桜も、当時は「ねーねー」とかまってほしそうに声をかけてきながら、背中へ身体を押し付けてきたため、読書を邪魔された梛は心底うんざりしていた。
だから梛は、素直に思いを言葉にしてしまったのである。
「邪魔だからあっち行って。お姉ちゃんのそういうとこ嫌い」
……結果はまあ、お察しの通りで。
嫌われたと勘違いした凜桜は、梛の部屋からとぼとぼ出ていき、夕食時になっても自分の部屋から出てこなかった。
不思議に思った母親が様子を見に行くと、今日のように掛け布団にくるまって、「梛に嫌われた、梛に嫌われた」と、ぶつぶつ繰り返しながらすすり泣いていたという。
梛が必死に誤解を解いたことで事態は解決したものの、思えばあのときから凜桜は、梛の『嫌い』という言葉に過剰に反応するようになった気がする。……あと、すごく泣くようにも。
「やっぱ、お姉ちゃんはお兄ちゃんのことになるとバカになるよね」
「……まあ、否定はできないけども」
あまり肯定はしたくないが、かといって否定することもできない。梛は肩をすくめることしかできなかった。
「ねー、なーぎー。時間なくなっちゃうよー。早くご飯食べてデート行こーよー」
と、階下から凜桜の催促する声が聞こえてくる。凜桜が下りてから随分と話し込みすぎたようだ。
「今行くから待ってろー。……んじゃ、さっさと飯作るかあ……」
部屋から階下に向けて叫び返すと、梛は凝り固まった身体をほぐすように天高く腕を伸ばし、美卯と共に階段を下りていった。




