第11話 何事も 終わり良ければ 全て良し②
「…………」
混沌とした状況の中で部屋に残された美卯は、すすり泣く凜桜を前に、困惑したように眉をひそめていた。
梛が部屋から姿を消した数秒後、凜桜はまるでダムが決壊したかのように、その瞳から大粒の涙をこぼし始めた。
まったく、泣きたいのは訳もわからず姉に避けられた梛の方だろうに。
ただまあ、無意識のうちに梛が何かをしでかした可能性も、少なからずありうる。そうでもなければ、凜桜が梛を無視することも、こうして泣くことも……うん、ないはずだ。
ともかく、話を聞かないことには、この問題を解決することはできないだろう。
美卯は億劫そうに息を吐き、凜桜の隣に腰かけた。
「で、なんでお姉ちゃんは泣いてんの? お兄ちゃんに何かされたの?」
と、梛の名前を出した瞬間、凜桜の肩がぴくりと震えた。その怯えるような反応を見るに、どうやら本当に梛が何かしでかしたらしい。
慰めるように背中をさすってやると、凜桜は消え入りそうな声で話し始める。
「…………だっ、て……だって、梛が……」
「はいはい、お兄ちゃんが?」
「梛が『もう二度と関わらない』って……」
「……いや、それはお姉ちゃんがお兄ちゃんを無視したからでしょ。いつもならどうでもいいことにでも反応するのに、そんなお姉ちゃんに無視なんてされたら、『ああ、嫌われたんだな。それなら、関わらない方がいいか』って考えるのは普通だし」
「だって……」
嗚咽を漏らしながら目元を拭う凜桜に、美卯は肩をすくめる。
とりあえず、泣いている理由はわかった。梛が原因ではあるものの、別に悪いわけではない。日頃の凜桜の反応とはあまりにも違うのだから、嫌われたと思ってもおかしくはないだろう。
だが、凜桜が梛を無視する理由はわからない。少なくとも、怒っているようには一切見えなかった。
もっとも、凜桜が怒っているところなんて見たこともないので、ただ自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれないのだが。
「それで、なんでお兄ちゃんが心配してくれてるのに、お姉ちゃんは無視なんてしたの?」
「…………だって、おねーちゃん、と……デートしてくれる、って……約束、したのに……全然誘って……くれなく、て……」
「……え、その程度のことで?」
「…………でも、綾芽とはデート……した、のに……おねーちゃんとは、してくれなくて……」
「えぇ……」
なんともくだらない理由だった。さすがの美卯も梛に同情し、思わず顔を引きつらせる。
いやまあ、意図的なのか忘れていたのかはともかくとして、凜桜とデートする約束を先延ばし、あるいは反故にした梛はたしかに悪い。もし意図的だった場合は、五割増しで梛が悪い。
凜桜が怒るのも頷ける話ではある。……あるのだが、それでもやはり、「その程度のことで?」と思ってしまう。
だってそうだろう。呼びかけを無視することが彼女なりの怒っているアピールだとしても、さすがにこれはやりすぎだ。
常日頃からまるで人懐っこい大型犬のようにべたべたしている姉に、何の脈絡もなく顔を逸らされ、あろうことか無視までされたなら、そりゃあ嫌われたと勘違いしてしまう。……いや、もはや『嫌われた』という言葉では到底表しきれないだろう。
そんなことも考えられない凜桜の——そして、己の利益を優先した自分自身の愚かさに、美卯は頭を抱え、大きなため息を吐いた。
実は言うと「ここでお兄ちゃんと綾芽さんをデートさせておけば、そのうち『綾芽さんとはしたのに、私とはしてくれないんだ』と切り込むことができるのでは?」という甘い考えのもと、美卯は梛を快く送り出したのだ。
その結果、二人が傷つくことになってしまったのだから、責任の一端が自分にもあると反省している。
まあ、凜桜に対しては同情しがたい部分もあるので、罪悪感を抱いているかどうかは怪しいところなのだが。
それはさておき、さすがにこの事態をどうにかしないことには、無事にゴールデンウィークを終えることなどできやしない。というか、この状態の二人を放置したまま家で過ごしたくない。居心地が悪すぎる。
となれば、やるべきことは主に二つ。凜桜を慰め、梛の誤解を解く。
心底面倒ではあるものの、自分で撒いた種なので仕方ない。美卯はこれまた億劫そうに重い身体を持ち上げ、凜桜の前に立った。
「あのさ。たしかにお兄ちゃんは、お姉ちゃんよりも先に綾芽さんとデートしたわけだけど、だからってお姉ちゃんとはデートしないってわけじゃないでしょ」
「……でも、もうゴールデンウィーク……終わっちゃうよ? デートしてくれるって、言ってたのに……」
「お兄ちゃんのことだから、どうせ忘れてるんでしょ。お姉ちゃんから言えば思い出——」
「忘れてたのは……おねーちゃんのこと、どうでもいい、から?」
「……そういうのさ、仮に冗談だとしても、全然面白くないから言うのやめな?」
愚かなことを言って抜かす愚かな姉に、美卯は真面目なトーンで返す。
いくらネガティブに陥っているからといって、さすがにその言葉を聞き流すことはできなかった。そんなこと、あるわけがない。
「お姉ちゃんのことをどうでもいいなんて思ってたら、無視されてあんなふうになるわけないでしょ。お兄ちゃん、ショックで死にそうな顔してたのに」
梛同様に打ちのめされていた凜桜はそれすらも気づかなかったようだが、あの程度の作り笑いで十数年を共に過ごしてきた姉と妹を騙せるとでも思っていたのか。随分と舐められたものだ。
美卯は自分を落ち着かせるように、はあと息を吐いて続ける。
「次そんなこと言ったら本気で怒るから。なんなら手が出るまである」
「……ごめん、なさい……」
「忘れてたことについては議論の余地がないくらいお兄ちゃんが悪いけどさ、嫌われたって勘違いさせたことはちゃんと謝りなよ。その上で改めて『デートしたい』って言えば、お兄ちゃんも快く……かどうかはわからないけど、一応デートはしてくれるだろうし」
「してくれる、かな……?」
「…………多分ね。まあ、いつになるかはわからないけど」
そう言って美卯は、どうしようもないというように肩をすくめてみせる。
おそらく——というより確実に。仮に誤解が解けたとしても、すぐにいつも通りというわけにはいかないだろう。嫌われたと勘違いしていた気まずさと、そう勘違いさせてしまった至らなさで、まずは互いにいい塩梅の距離感を探るくらいが関の山だ。
いつものように気軽に会話ができるようになるまでは、凜桜が梛に抱きつくような平和的な日常風景を見ることすらも叶わない、ある意味悲惨な状況とも言えた。
ここで梛が、「よし。それじゃあ、今からデートに行くか」と、男前なところを見せてくれれば話は別なのだが、それもやはり難しい。
別に梛が悪いとかそういうことではない。誰だって同じ状況なら気まずくて仕方ないというだけだ。
ただまあ……それをどうにかすることが美卯に課された使命というか、罰というか。
「とりあえず、お兄ちゃんとも話してみなきゃだね。さっさといつも通りに戻ってもらわないと、こっちが気まずいし」
「……おねーちゃんのこと、許してくれるかな?」
「許すも何も、別にお兄ちゃんは怒ってるわけじゃないしね」
美卯は、心細そうに服の裾を掴んでくる凜桜と共に部屋を出て、すぐ隣の梛の部屋へと向かった。




