第10話 こどもの日 主役となるは 菖蒲かな⑦
「……で。結局、こんなんで良かったんですかね」
梛はうさぎのぬいぐるみキーホルダーをつまむように掲げ、ぽつりと呟く。
彩峰家に置く日用品まで見て回る綾芽に振り回されながら悩みに悩んだ末、梛は無難にキーホルダーを選んだ。
最初はシンプルな革製のものを手に取ったのだが、「もう少し可愛いのがいい」という綾芽の一声で、こうしてうさぎのぬいぐるみのものに落ち着いた。
男子高校生が持つにはいささか可愛すぎる気がしなくもない。恥ずかしいのであまり持ち歩きたくはないが、付けなかったら付けなかったで綾芽に色々と言われることになるだろう。どこに付けるかで頭を悩ませることになりそうだ。
と、そんな梛の悩みなど露知らず、綾芽は色違いのキーホルダーを同じように掲げると、まるで今の二人のように、梛のものへそっと寄り添わせた。
「いーのいーの。お姉さん的に一番大事なのは、どんなものを買うかより、その品にどんな思い出が詰まってるかだと思うんだよねー。ほら、これを見るたびに『梛くんとあんなことしたなー』『こんなところ行ったなー』って思い出せるじゃん?」
「だったら、最初に選んだのでも良かった気が……」
「それはそれ、これはこれだよ! ほらほら、可愛いでしょ?」
言いながら綾芽は、キーホルダーを梛の顔へぐいぐい押し付けてくる。見せつけようとしているのだろうけど、近すぎるせいで焦点が合わず、ぼんやりとしか見えなかった。
しつこい綾芽をどうにか落ち着かせ、梛はふうと息を吐く。
「……まあ、楽しめたようで何よりです。身体に鞭打って付き合った甲斐がありましたよ」
「そりゃあ、梛くんとのデートだもん。楽しくないわけないじゃないか! ……梛くんは楽しかった?」
「正直、すごく疲れました。できることなら今すぐ横になりたいくらいです」
「むきゅぅ……」
梛の返答に、綾芽はしょんぼりと肩を落とした。どうやら疲れさせた自覚はあるらしい。
「でもまあ、なんだかんだ楽しかったですよ。……二度目があるかどうかは知りませんけど」
「そこは『また行きたい』って言ってほしかったなあ……。でも、梛くんが楽しんでくれたなら、お姉さんもハッピー!」
「わ、ちょっ……!」
少し照れくさそうにする梛を見るや、綾芽は太陽のように眩しい笑顔を浮かべ、そのまま勢いよく抱きついてきた。
落ち込んだかと思えば、次の瞬間にはなんとも嬉しそうに笑って。ころころと変わるその表情は、見ていてまるで飽きない。
……もっとも、こうして抱きつかれてさえいなければ、の話ではあるが。
「ほら、もうすぐバスが来ますから離れてください」
よろめきながらもどうにか踏みとどまり、梛は綾芽をぐいと引き剥がす。
「えー、まだ帰りたくないよー。お姉さんとその辺でお茶しなーい?」
「ドリンクバーで散々飲んだじゃないですか。コーヒーだって何倍も飲んで……夜寝れなくなりますよ?」
「いやいや。梛くんと一緒にいたいだけで、どうしてもお茶がしたいってわけじゃないぞー? 梛くんと一緒にいられるなら、たとえ火の中、水の中。なんだったらお姉さんのおうちでも——……はっ! さては『夜寝れない』って、『今夜は寝かさないぞ』ってことだったり!? きゃー、梛くんに襲われちゃうー!」
「カフェインの過剰摂取で寝れなくなるってだけですよ」
頬を赤らめて嬉しそうに笑う綾芽に、梛は白い目を向ける。どうやら綾芽の頭の中は、真っピンクに染まり切っているようだ。
「……と、ほら、来ましたよ」
そうこうしているうちに、次の信号までバスがやってきた。まだ興奮冷めやらぬ綾芽の脇腹を肘で軽くつつき、梛は顎先でバスを示す。
すると綾芽は名残惜しそうに「うぅ……」と唸り、梛の腕にぎゅっとしがみついた。
「帰りたくないよぉ……。もう少しだけ、おしゃべりしてようよぉ……。おうちに帰っても、お姉さんひとりぼっちだから寂しいよぉ……」
「そりゃあ、綾芽さんは一人暮らしですからね。帰ってきて人がいる方が怖いですよ」
「違うよ……違うんだよ、梛くん! 楽しい時間が終わってほしくないんだよ! このまま梛くんと別れたくないんだよ!」
「何事にも終わりはあるんですよ。……というか、どうせまたすぐうちに来るんでしょう? さすがに大袈裟すぎませんかね」
まるで別れ話の真っ最中の恋人同士のような綾芽の発言に、梛は呆れたように苦笑した。
周囲からも痴情のもつれだと思われたのだろう。通行人はちらりと二人を見ては、見なかったことにするように足早で通り過ぎていく。
——と。
「……ん?」
離れようとしない綾芽を引き剥がす口実でも与えるかのように、ポケットの中のスマートフォンが着信音を鳴らし、小刻みに震えた。
梛は「すみません」と律儀に綾芽へ一声かけると、ちょうど停留所へ停まったバスにも気づかずに、通話に応じた。
「どうした、美卯?」
『もしもし、お兄ちゃん? 準備終わったから、もう連れてきていいよ』
「準備……?」
梛が聞き返すと、美卯は電話越しにも伝わるほど大きなため息をついた。
『綾芽さんの誕生日パーティー。もしかして、忘れてたの?』
「……」
行きがけに美卯に言われたことを、今になって思い出した。情けなさ、気まずさやらで、梛は何も言い返せずに口を閉ざす。
そして、その沈黙を肯定と捉えたのだろう。美卯は呆れを隠すことなく、もう一度、先程よりも大きなため息をついた。
「もしかして、綾芽さんのこと、帰らせたりしてないよね?」
「いや、それは大丈夫……ギリギリではあったけど」
『…………まあ、それならいいや。こっちはもう準備終わってるから、気をつけて帰ってきなよ』
「おう。んじゃ、またあとでな」
そう言って梛は通話を切ると、安堵したように息を吐いた。
美卯からの連絡がなければ、このまま綾芽を家に帰していたかもしれない。実際、つい数十秒前に行ってしまったバスに乗せるつもりでいたのだ。
しかし、梛がこうして電話をしている間も、綾芽は梛に引っ付いて離れなかった。
連絡をくれた美卯に感謝するべきか。はたまた、綾芽の根気強さを賞賛するべきか。……まあ、悩むまでもなく前者だろう。
と、そんなことを考えながら綾芽を一瞥すると、何やら不安そうな表情を浮かべていた。
「……もしかして、美卯ちゃんに遅いって怒られちゃった? お姉さんのことは気にしなくていいから、帰っても大丈夫だよ!」
どうやら、美卯が怒っていると勘違いしたらしい。しょぼんとしながらも、綾芽は心配をかけまいと笑顔を作る。
「ほらほら、これ以上美卯ちゃんのこと待たせちゃダメだぞっ!」
「いや、別に怒られたわけではなくて……。いやまあ、呆れられはしましたけど……」
催促するようにぐいぐいと背中を押してくる綾芽に、何とも気まずそうに頬を引きつらせながら、梛は踏ん張るように足腰へ力を込める。
「たしかに美卯のことを待たせてはいますけど、まずは話を……」
「お姉さんのことは気にしなくて大丈夫だから、ささ、早く早く!」
「だから、まずは話を……聞いてください、よっ!」
「わっ……とと!」
サッカーで相手のマークを振り切るように、梛がふっと力を抜いて身を躱すと、勢い余った綾芽は体勢を崩して前のめりになった。
倒れそうになるのを何とか持ちこたえると、綾芽は不満を訴えるように梛の肩を掴んで揺さぶる。
「ちょっと梛くーん! 危ないから急にいなくならないでよー!」
「こうでもしないと、綾芽さんは話を聞いてくれないじゃないですか。無理やり俺を帰らせようとして……」
「だって美卯ちゃんが待ってるんでしょ? 早く帰らないと!」
「待ってるのはたしかですけど、美卯だけじゃなくて、姉貴や楓たちも、綾芽さんがうちに来るのを待ってるんですよ」
「…………へ?」
わけがわからないと言いたげに、ぽかんと口を開ける綾芽を見て、梛は少し気まずそうに頭を搔く。
「帰らせようとしといて何言ってるんだって話ではあるんですけど、実は今日、綾芽さんの誕生日パーティーを計画してたんですよ。……で、美卯から連絡があるまで、そのことを、その……すっかり忘れてました」
「……私の、誕生日……パーティー?」
「はい。今の今まで忘れてましたけど、ちゃんと考えてはいたんですよ。晩飯だって色々作るつもりでいましたし。……まあ、綾芽さんに呼び出されたせいで、楓に全部任せることにはなりましたけど」
梛は照れを隠すように、皮肉を混じえて苦笑した。
「というわけで、みんな待ってるんで、早く帰りましょう。遅すぎると美卯に何言われるかわからな——」
「ねえ、梛くん。やっぱりお姉さんと結婚しない?」
「……寝言は寝て言うもんですよ。——って、綾芽さん。もしかして泣いてるんですか?」
「へ?」
目を凝らしてよく見ると、綾芽の瞳から雫が数滴こぼれていた。梛の言葉を確かめるように、綾芽は目元を拭う。
「ありゃ、本当だ。お姉さん、嬉しくて泣いちゃったみたい!」
「んな、大袈裟な……」
「だって、梛くんがお姉さんのことをこんなにも考えてくれてたんだもん!」
そう言ってから綾芽は、何かを思いついたかのように「あ!」と短く声を上げる。
「ねえ、梛くん。抱きしめていい?」
「え、嫌で——」
と、梛が言い終えるよりも先に、綾芽は梛のことをぎゅっと強く抱きしめた。
「梛くん……ありがとね」
「……どういたしまして」
普段ならすぐに引き剥がすところではあるが、今日ばかりは特別である。梛は抵抗せず、綾芽の抱擁を受け止めた。
そんな世にも珍しい機会をしばらく堪能したのち、綾芽は梛から離れ、普段と変わらぬ笑顔を見せた。
「さてさて。それじゃあ、梛くんのおうちにレッツラゴー! ……の、まーえーにー……」
天高く拳を突き上げたかと思いきや、綾芽はそのまま梛の腕に自分の腕を絡ませる。
「ねえねえ、今日お泊まりしてもいーいー?」
「……まあ、綾芽さんのことだから、どうせ言い出すだろうなとは思ってましたよ。何なら、陽葵たちからも泊まっていいか聞かれましたし」
「ヒュー! それじゃあ決まりだね! と、いうわけで……梛くん。おうちにお邪魔する前に、まずは下着を買いに行くよ!」
「…………はい?」
先程の綾芽同様、ぽかんと口を開けて固まる梛に、綾芽はふふんと得意げに鼻を鳴らしてみせる。
「服は凜桜から借りれるけど、さすがに下着まで借りるわけにはいかないでしょ? 凜桜みたく選んでもらうつもりだったんだし、ちょうどいい機会だね!」
「何がちょうどいい機会なんですか。俺は先に帰ってるんで、綾芽さんだけで——って、ちょ、引っ張らないでくださいよ!」
さすがに今度こそはと抵抗する梛をものともせず、綾芽はずるずると引きずるように、家とは全く違う方向へと歩き始めた。
「離してくださいってば!」
「ふんふふーん♪」
「これ以上みんなを待たせるのはどうかと思いますよ! というか、俺の監督不行届ってことで美卯に怒られるんで、せめて後日にしてください!」
と、梛が必死に説得——という名の命乞いをすると、綾芽はぴたりと足を止め、「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべる。どうやら、梛がそう言い出すところまでが、綾芽の想定通りだったらしい。
「言ったね、梛くん? お姉さんとの約束だぞっ?」
「……いったい、何のことで——って、わかりました! わかりましたから!」
梛がとぼけると、綾芽は「それじゃあ仕方ない」とばかりに、再び梛を引きずり出す。
何をどうしても、綾芽に下着を選ばされることに変わりはない。もはや、梛が諦めるしか道は残されていないようだ。
結局この日は、ひとまずコンビニで売っている安物で我慢してもらうこととなり、その代わりに後日また出かける約束を取り付けられてしまった。
家に帰る道中の梛の足取りは、今からそのときを憂慮してか、行きがけよりも重く感じられた。




