第10話 こどもの日 主役となるは 菖蒲かな⑤
そうして、青空の下を歩くこと数分後。梛たちは、家族連れで賑わうファミリーレストランへとたどり着いた。
昼時に加え、ゴールデンウィークの真っ只中。店内はさぞ混み合っているだろうと思っていたのだが、幸いにも待ち時間は五分ほどで、すぐにソファ席へと案内された。
「梛くん、何食べるー? あ、ドリンクバーはもちろんいるよねー」
綾芽は向かい側に腰を下ろすなり、梛から見やすいようにメニューブックを逆さ向きに開いて見せてくる。
意外なことに、凜桜とは違って「隣がいい」と駄々をこねることもなかった。
「そうですね…………じゃあ、ハンバーグのセットにします。ドリンクバーは……まあ、いらないですかね。綾芽さんは何に——」
「えー!? ドリンクバー頼まないのー!?」
梛の問いかけを遮り、綾芽はありえないと言わんばかりにテーブルへ身を乗り出す。梛はとっさに身を仰け反らせた。
「せっかくファミレスに来たんだからさー、頼まなきゃ損だよー? 料理が来るまでは冷たーいジュースで喉を潤して、食後はあったかーいコーヒーでリラックス……最高じゃない?」
「そんなに長居するつもりだったんですか。……まあ、別にいいですけど」
「ありゃ。てっきり、梛くんもゆっくりできた方がいいかなーって思ったんだけど……余計なお世話だったかな?」
「……綾芽さんって、妙なところで気を遣いますよね」
気まずそうに笑う綾芽を見て、梛も思わず苦笑した。
当日にいきなり呼び出してくる割には、こうして梛を気遣ってはくれるらしい。
もしかすると、こちらこそが本来の綾芽で、いつもふざけているのは、ただそういうキャラを演じているだけなのかもしれない——なんて思っていたのもつかの間。
「お姉さんはチキンソテーにしよっかなー」
と、綾芽は何事もなかったかのようにメニューブックへ視線を落としていた。
綾芽は注文を決めるとスマートフォンに指を滑らせ、「あ、ポテトも欲しいよねー」などと呟きながら、メニューに記載された番号を入力していく。先程の気遣いが幻だったのではないかと思えるほど、普段と何ら変わらぬ、いつも通りの綾芽だった。
「ささ、それじゃあ飲み物取りに行こっか! 梛くんはドリンクバーの飲み物を色々混ぜたりする派かな?」
「しませんよ。したこともありません」
「えー、意外と美味しいんだけどなー」
そんなことを言いながらも、綾芽が注いだのはジンジャーエールのみ。コーラやぶどうジュースなど、他の飲み物を混ぜ合わせることはなかった。
そうして席へ戻り、梛がストローでメロンソーダを吸い上げていると、リラックスするように両手で頬杖をついた綾芽が、じーっとこちらを見つめてくるのに気がついた。
ストローを口に咥えたまま、梛は半眼を返す。
「……何ですか」
「いやー、まさか梛くんとデートできるなんて思ってなかったから、こんなに幸せでいいのかなーって」
「急に何ですか」
「だってさー、初めて会ったときはさー、梛くん、お姉さんにあんまりいい印象持ってなかったでしょー?」
「……あのときはちょっと気が立ってたというか何というか……」
梛は気まずそうにメロンソーダを吸い上げる。
当時の梛は、凜桜に近づく人間を男女問わず警戒していた。
別に独占欲があるというわけではない。ただ、凜桜に対してしつこく言い寄る人間が後を絶たなかったからだ。
まるで砂糖に群がる蟻のように、ろくでもない奴がどこからともなく湧いてくる。中には、一度きっぱり断られたにもかかわらず、女子生徒を介して手紙を渡そうとした者までいるという。
その上、弟だからという理由で、梛にまで凜桜の連絡先を求めてくる者も少なくなかった。
そんなことが続けば、自分に近づいてくる人間まで警戒するようになるのも当然だろう。
だからこそ、初対面にもかかわらず距離感がおかしかった綾芽のことも、最初は警戒していたのである。
……まあ、ただ頭のネジが数本外れているだけの先輩だということが後々発覚したのだが。
「お姉さん、ショックだったなー。梛くんってば、今以上に冷たかったもん……。液体窒素みたいに冷たかったもん……」
「例えがわかりにくすぎますよ。まあ、綾芽さんの言わんとしてることはわかりますけども」
「お姉さんは普通に梛くんと仲良くしたかっただけなのに、話しかけただけで逃げられて……。毎日枕を濡らしてたよ……うう……」
綾芽はテーブルに突っ伏し、ぐでーっと梛の方へ手を伸ばす。
「お姉さん、なーんにも悪いことしてないのになあ……」
「それについては申し訳なかったと思ってますよ。でも、初対面であれは誰だって警戒しますって」
梛が次の授業で別の教室へ移動する際に、綾芽はまるで行く手を阻むように凜桜と共に現れては、面識もないのに一方的にぐいぐい距離を詰めてきたのだ。
その日を境に綾芽は一人、別教室に向かう梛の前に幾度となく姿を現すようになった。
適当にあしらっても一向にめげる様子はなく、それが何度も続いたのだから、何か裏があると疑うのも仕方なのないことだろう。楓に説得されなければ、向き合おうとも思わなかった。
もっとも、それ自体も綾芽によって仕組まれたことだと後々発覚したのだが。
その当の本人はというと、コップの中のストローを指でくるくると円を描くようにいじりながら、当時のことを不服そうに掘り返す。
「『三顧の礼』って言葉があるじゃん? あれみたいに何回も行けば梛くんもお姉さんの気持ちをわかってくれると思ったんだけどさー、梛くんってば全然仲良くしてくれないんだもーん」
「教室移動の度に廊下で待ち伏せしてくるような人を警戒しないわけないじゃないですか。しかも、楓から時間割を聞き出してまで……。学校外なら警察に通報されてもおかしくないですよ」
「それじゃあお姉さんがストーカーみたいじゃん!」
「似たようなもんじゃないですか」
「違うよ! ストーカーって言うよりは、ファンって言った方が正しいよ!」
「いや……度の過ぎたファンがストーカーになるんですから、あながち間違いではないのでは?」
恥ずかしげもなく言い張る綾芽に、梛は額を押さえて嘆息した。
そうして、先に届いたフライドポテトをつまみながら、綾芽の『梛が冷たい』という愚痴を、その冷たい本人が延々と聞かされていると、二人の元へメインの料理が運ばれてきた。
綾芽はナイフとフォークを手に取って梛にも渡すと、「いただきます」と手を合わせ、チキンを一口大に切り分ける。そしてそれを、同じように手を合わせていた梛の口元へ、流れるように差し出した。
「はい、あーん!」
「……」
「おーい、梛くーん。お口開けてくれないと食べさせられないよー?」
「……いや、何してるんですか」
わかりきったことをあえて問い返すと、綾芽は右手に持っていたナイフを人差し指代わりに振りながら、「チッチッチッ」と舌を鳴らす。
「そりゃあ、デート中のカップルが必ずやる、伝説の『あーん』に決まってるじゃないか! このためだけに梛くんと別メニューにしたんだからさ! ほら、あーん!」
「謹んで遠慮させていただきます」
梛はチキンを差し出してくる綾芽を無視して、自分のハンバーグを切り分ける。そして、今度は逆に食べさせてもらおうと口を大きく開けて待つ綾芽をスルーして、そのままハンバーグを自分の口へと運んだ。
「ちょっとー! 今のはお姉さんにあーんしてくれる流れじゃないのー!?」
「しないですよ。するわけないじゃないですか」
「凜桜にはしてたじゃーん!」
「してませんよ。……食べさせられはしましたけど」
「それならお姉さんのも食べてよー。お姉さんが愛情込めて切ったんだからさー」
綾芽は不満そうに唇を尖らせ、チキンの刺さったフォークをさらにぐいっと梛の口元へ差し出す。
「ほーらー、はーやーくー」
「…………」
「ねーえー」
「……あー、もう。わかりましたよ」
あまりのしつこさに梛が折れた。観念したように少し身を乗り出すと、早くしろと言わんばかりに大きく口を開く。
「ちなみにですけど、ここまでやらせておいて『やっぱやーめた』とか言って自分で食べたら……どうなるかわかってますよね?」
その一言に、綾芽はぴくりと肩を震わせ、フォークを梛の口元寸前で止めた。
「……綾芽さん?」
「そそそ、そんなことしないよ、するわけないじゃん! やだなー、梛くんってば!」
「いや、絶対考えてましたよね。定番っちゃ定番ではありますし」
「いやいや、考えてない考えてない! ほらほら、あーん!」
綾芽は誤魔化すように「ははは」と笑うと、それ以上喋らせまいと梛の口へチキンを押し込む。反論する暇もなく、口いっぱいに肉汁と香ばしい旨味が広がった。
「さてさて、お味の方はいかほどに?」
「……まあ、美味しくないわけがないですよね。人気メニューですし」
梛が淡々と言うと、綾芽は当然だと言わんばかりにドヤ顔で胸を張る。
「そりゃあ、お姉さんの愛情がたーーっぷり込められてるからね! 美味しいに決まってるよ!」
「いえ、普通に企業努力の賜物です。愛情は微塵も感じ取れませんでした」
「何をー! それなら、もう一丁!」
綾芽は頬を膨らませ、再びチキンを梛の口元へずいっと差し出した。
「はい、どーぞ! ご賞味あれ!」
「いらないです。自分で食べてください」
「食べてくれないなら、今度は梛くんがお姉さんにあーんする番だぞー?」
「何でそうなるんですか。ハンバーグが食べたいなら、普通に分けてあげますから」
と、梛がハンバーグを綾芽の皿へ載せようとした、その瞬間――
「あむっ!」
綾芽は身を乗り出して梛の手首を掴むと、そのままぐいっと自分の方へ引き寄せ、ぱくりとハンバーグを口にした。
わずか一切れを噛み締めるように味わってから、ごくりと飲み込むと、両手を頬に添えて幸せそうに口元をほころばせた。
「ん〜〜! 梛くんの愛情……ひしひしと感じたぜ!」
「……いや、そんなもの込めてませんし。ただ切っただけですし」
満足げに親指を立てる綾芽に、梛は白けた視線を向ける。まるで観光客の食べ物をかっさらう鳶そのものだった。
「本当は梛くんから食べさせてほしかったんだけどねー。まあまあ、お楽しみはまたの機会に取っておこうじゃないか。近い将来、毎日あーんしてもらえるようになるからねー」
「するわけないじゃないですか。というか、うちに入り浸るつもりですか?」
「いやいや、結婚したら一緒に住むでしょ?」
さも当前のことのように言って、綾芽はきょとんと首を傾げる。綾芽といい凜桜といい、こうも恥ずかしいことをよく平然と言えるものだ。
臆面もなく言ってのける綾芽に呆れる一方で、その豪胆さにはある意味感服し、梛は頬を引きつらせて乾いた笑みを浮かべた。




