第10話 こどもの日 主役となるは 菖蒲かな③
——そして、現在に至る。
梛は虚ろな目をして、綾芽の止まぬ猛攻を受け止め続けていた。
「ねー、梛くーん。元気なくなーい?」
「……そりゃあ、こんなにしつこく頬をつつかれたら、誰だって元気失くすでしょうよ」
梛がうんざりとしたように言うと、綾芽は意外にも素直に「ごめんごめん」と手を引っ込めた。
「いやー、梛くんとのデートが楽しすぎてついついテンション上がっちゃってねー。しかも梛くんってば、約束の二十分前には来てたじゃん? すごく楽しみにしててくれたんだろうなーって考えたら、もうお姉さんも嬉しくて嬉しくて」
「いや、ただ単に家から追い出されて早く着いただけですから……」
「もー、梛くんってば恥ずかしがらなくてもいいんだぞっ」
言うが早いか、綾芽は恋人同士のように梛の腕へ自分の腕を絡める。
腕に伝わる柔らかな感触に、さすがの梛も思わず心臓が跳ねた。凜桜相手に慣れているとはいえ、いきなりやられるとなれば話は別らしい。
「ほらほら! せっかくのデートなんだから、もっと楽しまなきゃ!」
「……着せ替え人形にされてるこの状況で、何をどう楽しめと?」
恥ずかしさを誤魔化すように梛が嫌味をこぼすと、綾芽は「ふむふむ」と何やら納得したように頷く。
「たしかに、梛くんは日頃から凜桜や美卯ちゃんに服を選んでもらってるんだもんねー。そ・れ・な・ら……今度は梛くんに、お姉さんの服を選んでもらおっかなー。梛くんのためなら、メイド服でもバニー服でも、何だって着ちゃうぜぇ?」
腕だけでは飽き足らず、今度は頬までぐいぐいと押し付けてきた。どうやら綾芽の辞書には、『距離感』という言葉が存在していないらしい。
梛は呆れてものも言えないというふうに大きなため息をつくと、綾芽との間に強引に手を差し込み、その頬を引き剥がした。
「謹んでお断りします」
「オーケー、オーケー。梛くんが望むなら、スク水でもいいよー。旧でも新でもばっちこい!」
「いや、ラインナップにケチつけてるんじゃなくて、選ぶこと自体を拒否してるんですよ。こちとら普段から姉貴と美卯に選んでもらってるような、おしゃれの『お』の字も知らないような人間なんです。そんなのに選ばせようってのが、そもそも間違ってるんですよ」
「服を選ばないってことは……つまり、お姉さんの裸が見たいってことだったり……!?」
「帰っていいですか? いいですね?」
「わー! 冗談! 冗談だってー!」
店を出ようとする梛を、綾芽は慌てて引き止める。逃がすまいと、梛の腕にぎゅっと抱きついた。
「もー、梛くんってば冗談通じないなー。でも、梛くんに服を選んでもらいたいのは本当なんだぜぇ? どうせなら、お互いの服を選び合ったりもしたいし……あ! ねえねえ、お揃いの服なんてどう? 梛くんが選んだのに合わせるからさー」
「すみません。服選びには付き合いますから、それだけは勘弁してください」
梛は抵抗を諦め、綾芽に潔く降伏した。
ペアルックなんてしたら、周囲から好奇の目で見られるに決まっている。腕を組まれたり、引っ付かれたりするのとはまた別の恥ずかしさで死にそうだ。
だが、梛のその返事は、綾芽のお気には召さなかったらしい。頬をぷくーっと膨らませ、梛にぐいっと顔を近づける。
「もー! それだと、お姉さんが無理やり梛くんを付き合わせてるみたいじゃーん! お姉さんは買い物に付き合ってほしいんじゃなくて、梛くんとデートがしたいの!」
「……何が違うんですか?」
「よーするに、『せっかくのデートなんだから一緒に楽しまなきゃ!』ってことだよ! 無理やり付き合わせるなんてもってのほか!」
「半ば無理やり連れてこられた気がするんですが……」
一方的に要件だけ伝えて呼び出すのは、綾芽の言う『無理やり』には該当しないらしい。
もっとも、待ち合わせ場所まで来てしまった時点で、梛も自分の意思で行動を共にしていると言えなくはないのかもしれないが。
「さあさあ、デートはまだ始まったばかりだよ! 全力で楽しもー! おー!」
綾芽は天高く拳を突き上げると、そのまま軽やかな足取りで別の売り場へ向かっていく。梛も犬にリードを引かれる飼い主のように、そのあとを追った。
そうして次に訪れたのは女性服の売り場。色とりどりの春物に混じって、まだゴールデンウィークも終わってないというのに、早くも涼しげな夏物が多く見受けられる。どうやら日本人は、綾芽のようにせっかちな人が多いようだ。
「さあ、梛くん。お姉さんに似合うお洋服を見繕ってくださいな!」
「さっきも言いましたけど、俺は普段から姉貴と美卯が選んだのをそのまま買ってるんですよ。そんな無茶ぶりされても困りますって」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! たとえどれだけ過激なやつでも、梛くんが選んでくれた服なら何でも着ちゃうから!」
「何が大丈夫なんですか……」
酷い言いがかりだと反論したいところではあるが、この手の相手に何を言っても無駄なのは、日頃から凜桜を相手にしていて嫌というほど理解している。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
梛は諦めたようにはあと息を吐くと、それ以上は何も言わず、ずらりと並んだ服へ視線を向ける。
当然ながら、レディースファッションなんて梛にとっては縁もゆかりもない。見繕えと簡単に言われても、それは料理経験のない人間に「何も見ずに指定された料理を作れ」と言うくらい無謀な話だった。
とはいえ、梛は常日頃から女子に囲まれて生活を送っている。その上、姉と妹が選んだものを普段から着ているため、トレンドや好みについてはわからずとも、おしゃれそうな服の組み合わせくらいなら、フィーリングで何とかなる……はずだ。
それに、綾芽なら何を着ても似合う気がする。極端な話、梛が普段着ているようなメンズ服ですら、難なく着こなしてしまうだろう。
「綾芽さんって、なぜか肩出しばっか着てるイメージがあるんで、選ぶとしたら逆に露出控えめなこの辺のを……っと、これなんてどうで——って、あれ?」
これからの季節に良さげな薄手のチュニックを手に取って梛が振り返ると、いつの間にか綾芽が姿を消していた。妙に静かだと思ったら、少し目を離した隙にどこかへ行ってしまったらしい。
落ち着きのない子供を持つ親の気分で辺りを探し回っていると、梛がいた売り場の反対側で、何やら真剣な面持ちで吟味している綾芽を見つけた。
綾芽は並んだワンピースの中から一枚を手に取ると満足そうに頷き、梛のいた場所へ戻ろうと踵を返す。そこでようやく梛に気がついたようで、ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべた。
「あっ、梛くーん!」
「……人に見繕えとか言っておきながら、勝手にどっか行かないでください」
梛は半眼を作ると、嬉しそうに駆け寄ってきた綾芽の頭へ、軽く手刀を落とした。
「いやー、寂しい思いをさせてごめんねー。ちょっと探し物しててさー」
「別に寂しい思いなんてしてません」
「えー、お姉さんは寂しかったぞー?」
「全然そうは見えませんでしたけどね」
いつもと変わらぬ様子で調子のいいことを言ってくる綾芽に、これまた梛もいつものように返す。
「それで、お目当てのものは見つかったんですか?」
「そりゃもう、ばっちりだよ!」
綾芽は手に持っていた服を自慢げに掲げ——そのまま流れるように梛へ差し出した。
「はい、どーぞ!」
……どうやら、荷物持ちとして使われるらしい。
まあ、普段から凜桜や美卯と出かければ、こうして荷物を持たされている。この程度なら、もはや慣れたものだった。
「……まあ、女子と買い物に来たら、荷物持ちになるのは必然ですよね」
苦笑しながら梛が受け取ると、綾芽はきょとんと首を傾げる。
「ん、違うよ? 梛くんがこれ着るんだよ?」
「は?」
「だいじょーぶ! 梛くんのサイズに合わせてるから!」
「いや、そこじゃねえよ」
得意げに親指を立てる綾芽に、梛は思わずタメ口で返した。
なぜ服のサイズを知っているのかについては、どうせ凜桜か美卯、あるいは楓から聞いたのだろう。個人情報をあっさり他人に漏らしていることには苦言を呈したいところではあるが、この際そんなことはどうでもいい。
問題は、言わずもがな別の点だ。
「なんで俺にそんなの着せようとしてるんですか。明らかに女性用ですよね? 着るわけないでしょ」
「そりゃあ、梛くんに似合うと思ったからだよ!」
「どこをどう見たらそうなるんですか!」
にじり寄ってくる綾芽から逃げるように、梛は後退りする。
「いやいや、だって似合ってたよ?」
「だから、いつの話をしてるんですか! あの写真は小学生の頃のやつですよ!?」
「大・丈・夫! 身長もあんまり変わってないから絶対似合う似合う!」
「バカにしとんのか」
壁際へと追い詰められる寸前、梛は起死回生の一撃とばかりに、綾芽の顔を容赦なく鷲掴みにする。
指の腹でこめかみをぐいと押し込むと、綾芽は緊箍児を付けられた孫悟空のように身を捩らせた。
しかしそれでも反省はしていないらしい。何とか梛の手から抜け出すと、懲りもせず企むような笑みを浮かべて、再びにじり寄ってきた。
「お姉さんね、誕生日プレゼントに梛くんがこのお洋服着た姿を見てみたいなあ。絶対似合うと思うんだあ」
「……今までありがとうございました。さようなら」
「ちょちょ、冗談! 冗談だから! 本当に許して!」
言って立ち去ろうとする梛を、綾芽は心底慌てた様子で引き止める。出口へ向かってゆっくりと歩き出した梛の腕にしがみついたまま、ずるずると引きずられていった。
「ストップ! ストップ、梛くん!」
「……」
「本っっ当にごめん! 着させない! もう絶対、無理やり着させたりしないから!」
「…………本当ですね?」
「約束します! させていただきます!」
足を止めた梛の前に立つと、綾芽はビシッと背筋を伸ばし、軍人さながらの見事な敬礼を決めた。
少しふざけているようにも見えなくはないが、おそらく反省はしているのだろう。そうであることを願いながら梛はため息をつくと、綾芽が手に持つ服を指さした。
「じゃあ、それは戻してきてください」
「うぅ……もったいないけど、致し方なし……」
言って、綾芽はとぼとぼと残念そうに元の場所へ服を戻しに行く。……が、帰りは一転、てとてとと弾むような足取りで駆けて戻ってきた。
「おっまたせー! ……っと、それじゃあ満を持して、梛くんチョイスのお洋服を着ちゃおうじゃないか!」
「おしゃれに無頓着なやつが選んだものなんで、あまり期待はしないでくださいよ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! これを選ぶ梛くんのセンスが悪いわけないからねー!」
梛から服を受け取ると、綾芽はサンタからのプレゼントを喜ぶ子供のように嬉しそうに掲げ、その場でくるりと回ってみせる。まだ会計前だというのに、まるでもう自分のものかのようなはしゃぎようだった。
「あとは下に穿くものですけど……」
「おっと? 梛くんってば、下着まで選んでくれるのかな?」
「ズボンとかスカートとかのことですよ。何と合わせるべきかわからないので、それは綾芽さんにお任せします」
「そうだねー……うん! 下着はまた今度選んでもらうとして、お姉さんが今穿いてるスカートでも十分合うから、そのまま試着しに行っこー!」
綾芽は元気よく返事をすると、梛の手を引いて試着室へと向かった。
「それじゃあ梛くん、待っててねー! あ、それとも一緒に入る?」
「入りません」
「ほうほう。つまり梛くんは、お姉さんが着替えてる途中に隙間から覗く方がいい、と。やーん、梛くんのえっちー!」
「はよ行ってこい」
梛が手で追い払いながら言うと、綾芽は意味深なウインクをひとつ残し、試着室の中へ姿を消した。
残された——のではなく、自ら待つことを選んだ梛は、壁にもたれかかり、疲れを体外へと追いやるように息を吐く。
ショッピングモールに訪れてからまだ一時間も経っていないというのに、服を一着選んだだけでこの疲れようだ。運動不足なのか、それとも綾芽と一緒だからか。
同じように試着室の前で待つ親御さんやカップルの片割れと思われる男性は、梛と違って全然疲れているようには見えない。見ず知らずの人に、尊敬の念すら抱いてしまいそうだ。
「でもまあ、素人なりに考えて見繕ったものが、あんなに喜んでもらえて良かった……かな」
この疲れに見合っているかどうかはともかく、綾芽の喜びようを見ていると、こうして頑張った甲斐があったとも思える。散々文句を言っていたくせに、いざ喜んでもらえると、やはり嬉しいらしい。
梛は綾芽が入った試着室のカーテンへ目を向け、自嘲気味に小さく笑う。
「——梛くーん……」
と、カーテンの隙間から綾芽が顔を覗かせ、梛と目が合った。
綾芽のことだからてっきり勢いよくカーテンを開けて登場し、その場でこれ見よがしにポーズでも決めると思われたのだが、綾芽はまるで恥じらうように身体をカーテンで隠している。
あまりにも予想だにしない反応で、梛は首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「えっとね、その……せっかく選んでくれた梛くんには、本っ当に申し訳ないんだけどね……」
綾芽は何とも言いにくそうに、歯切れの悪い言葉を返す。
「その……お姉さんには、この服……ちょっっっと小さかったかなーって」
綾芽は恐る恐るというふうに、ゆっくりとカーテンを開けて姿を現し——
「あっ……」
一目見た瞬間、梛は己の失敗を悟った。
梛の選んだ服は、綾芽の元々穿いていたスカートとの相性も抜群で、驚くほどよく似合っていた。……似合ってはいたのだが、サイズが小さかったらしく、特に胸まわりがかなり窮屈そうだった。
普段、自分の服さえ姉や妹に選んでもらっているせいで綾芽の体格まで考えが及ばず、無意識のうちに自分と同じサイズを選んでしまっていたのだろう。
結果、梛と違って身長が高く、凜桜と同じくらい豊満な胸を持つ綾芽には、あまりにも小さすぎたらしい。ボタンとボタンの間が引っ張られ、わずかにできた隙間から、少しばかり下着や肌が覗いていた。
綾芽は少し苦しそうに胸元を押さえながら、不安げな顔で見つめてくる。
「お姉さん、別に太ってるわけじゃないからね? ……太ってないよね?」
「…………本当にすみませんでした」
梛は慌ててカーテンを閉めると、駆け足で一回り大きいサイズを探しに売り場へ向かった。




