第9話 場の空気 酒に呑まれて 阿鼻叫喚②
そうして、あれやこれやとくだらない問答や雑談を繰り返しているうちに夜は更けていき、気づけば時刻は夜の十二時。
日付も変わり、いつもの梛ならとっくに眠っている頃合だ。
当然、昼寝もしていない梛は、半ば意識を失った状態で首をがくんがくんと上下させ、凜桜に支えられながら――もとい、抱きつかれながら話を聞いていた。
そんな今にも死にそうな顔をした梛を見かねたのだろう。雛菊はカップや空き缶を抱え、すっと立ち上がった。
「少年もそろそろ限界みたいだし、今日はこのくらいでお開きにしようか」
「……限界なのは俺だけじゃないと思いますよ」
梛は呆れたように、雛菊の隣へ目を向ける。
そこには、べろんべろんに酔い潰れた秋穂が、毎度のごとくテーブルに突っ伏せていた。
最初こそ普通に紅茶とお菓子を味わっていたのだが、秋穂はどうやら物足りなかったらしい。
最終的には冷蔵庫からビールを引っ張り出して、雛菊と共に晩酌を始めた。
その結果が、昨晩と大差ないこの有様である。
違いがあるとすれば、突っ伏せている場所が床からテーブルに変わったことくらいだった。
「はは、そうだね。帰りはアキに運転してもらおうかと思っていたんだけど……この調子だと危なそうかな?」
「まだ死にたくはないので、それだけは絶対にやめた方がいいと思います」
「これ見て『よし、任せよう』とはならないよね。普通に身の危険を感じるし」
「でも、雛菊さんも同じくらい飲んでるんだよな……」
その言葉で重大な事実に気づき、梛と美卯は揃って秋穂から雛菊へと視線を向ける。
「……不味いんじゃないの?」
「……ああ、かなり不味いと思う」
「大丈夫だから安心してくれていいよ。この程度のアルコールなら朝までには分解されるからね」
露骨に不安そうな視線を向けてくる二人に、雛菊は苦笑を浮かべた。
「今もこうして起きてるし、ヒナさんは大丈夫じゃないかなあ……」
「……まあ、少なくとも笹塚先生よりは強そうだもんな」
「そんなことはないさ。アキは酔い始めてから潰れるまでのスパンが長くて、私はそれが短いだけ。潰れるのはほとんど同じタイミングだよ」
「でも、雛菊さんは意識ありますよね?」
「飲む量を抑えていたからね。明日帰るのに、飲みすぎて起きられなくなったら困るだろう?」
「これで抑えてるんですか……」
今しがた雛菊がキッチンへ運んでいった空き缶の数は、昼間とさほど変わらないように見える。
いったいこの二日間でどれほど飲んだのか。気になるところではあるが、怖くて知るのは躊躇われた。
「少年も大人になって飲むようになればわかるさ。一緒に飲めるのを今から楽しみにしているよ」
「ご期待に応えられる気がしないんですが。少し飲んだだけで絶対にこうなりますよ」
梛は再度、突っ伏したままの秋穂に目を向ける。
仮に酒を飲める歳になったとしても、おそらく早々に今の秋穂のような姿を晒すことになるだろう。そう考えると、今から不安で仕方がなかった。
「まあ、無理強いはしないさ。お酒は適度に――っとと」
さすがの雛菊も酔いが回ったらしい。階段を踏み外したかのように、何もない場所でふらりとよろめく。
「ヒナさ――」
と、それを見た楓が慌てて立ち上がったその瞬間――ゴンッ! と、なんとも痛々しい音がリビングに響いた。
どうやら立ち上がる勢いそのままに、ローテーブルへ膝を強打したらしい。
「お、おい、大丈夫か!?」
「…………だい、じょうぶ……だよ……」
梛が心配そうに声をかけると、楓は何ともないと言うように笑顔を作った。
しかし、そんな言葉とは裏腹に、再度ソファに座り込んでは痛そうに膝を押さえ、その瞳にはうっすらと涙を浮かばせている。
誰がどう見ても、無理をしているのがまるわかりだった。
「……ヒ、ヒナさんは……大丈夫ですか?」
「あ、ああ。大丈夫だよ。楓くんこそ……大丈夫かい?」
「楓ちゃん、だいじょーぶ?」
「なんかすごい音したけど、骨とか折れてない?」
「う、うん……平気だよ。すごく痛かったけど……」
言って、楓は心配をかけまいとその場で立ち上がってみせる。
だが、まるで生まれたての子鹿のような、もしくは杖もなしに歩く老人のような。そんな今にも倒れそうなほど足をぷるぷると震わせていて、心配するなと言われても無理な話であった。
梛は呆れたように息を吐くと、凜桜を引き剥がして立ち上がり、雛菊のそばへ歩み寄る。
「雛菊さんは俺が運んでおくから、楓は少し安静にしてろよ。見てるこっちがつらくなってくる」
「だ、大丈夫だよ、このくらい! もう痛くないから!」
「いや、さすがに無理あるだろ。こんなん誰でも……たとえ美卯でも絶対泣くぞ。鬼の目にも涙だ」
「人のこと何だと思ってんの?」
と、気丈に振る舞う楓を説得するために、梛が美卯を引き合いに出すと、本人がまさに鬼神のごとき形相で睨んできた。
ソファから離れていなければ、酷い目にあっていたことだろう。
そして、美卯も今は手が届かないと悟ったらしい。
小さく舌打ちすると、諦めたように嘆息した。
「……私が泣く泣かないはどうでもいいとして、お兄ちゃんの言う通り休んでた方がいいと思うよ。部屋に戻るなら肩貸すし」
「でも……」
「どうせもう寝るんだしね。あとのことはお兄ちゃんに全部任せとけばいいでしょ。先生のことも含めて」
「あー……そういや、笹塚先生もいたな」
楓が膝をぶつけた際、テーブルの揺れで一瞬だけ目を覚ましたものの、秋穂は寝ぼけた様子で辺りを見回し、すぐに再度突っ伏した。なんとも欲に忠実である。
それから今に至るまで、一度も起きることなく寝続けているため、違和感なく風景に溶け込んでいて、存在そのものを忘れていた。
「すまないね、少年。アキのことも頼めるかい?」
「……まあ、雛菊さんだけ運んで笹塚先生は放置ってのも可哀想ですもんね。あとで部屋まで担いで、ベッドに転がしておきますよ」
「ああ、頼むよ」
言って、雛菊は梛の肩を借りて、寝室へと足を向ける。
「それじゃあ、私は一足先に休ませてもらうとするよ。楓くんもゆっくり休んでくれたまえ」
「おやすみなさい、ヒナさん」
「美卯。楓のこと頼んだぞ。あと、姉貴のことも」
「はいはい。んじゃ、おやすみー」
「お部屋で待ってるから、一緒に寝よーねー!」
「……同じ部屋で、別々のベッドでな」
相変わらずな凜桜の言動に引きつった笑みを浮かべながら、梛は雛菊を連れて若干逃げ足気味にリビングをあとにした。
寝室に入って雛菊をベッドに座らせると、早く面倒事を済ませようというふうに、そそくさと秋穂の元へと戻る。
再びリビングに顔を出すと、高校生組の三人はすでにそれぞれの部屋へ引き上げたらしく、姿はなかった。
一方の秋穂は先程と変わらずテーブルに突っ伏したまま。まるで石像のようにぴくりとも動いていなかった。
凜桜があまりにも素直に部屋へ戻ったことに一抹の不安を覚えながら、梛は秋穂の元へと歩み寄る。
「笹塚先生。部屋に戻りますよ」
言いながら肩を揺するが、秋穂は反応せず。
返事のない、ただの屍のようだった。
なんの断りもなく抱えるのも気が引けるので、さすがに許可くらいは取りたいところだが、起きないとなるとどうしようもない。
というか、テーブルの揺れでは起きるのに、肩を揺すっても起きないのは何なのか。何が違うというのか。
「ふわあ……ん……」
つい数分前まで気絶しかけていたのだ。眠いわけがない。梛は大きなあくびをこぼした。
このまま酔い潰れた人間が目を覚ますのを待っていても埒が明かない。全くもって気は進まないが、無理やりにでも運ぶしかないだろう。
そうでもしないと、自分まで秋穂と一緒にリビングで寝る羽目になってしまう。
ただでさえ疲れているというのに、身体を休めることも難しそうな硬い床で寝るだなんて真っ平御免だ。
「……仕方ない、よな」
梛は自分にそう言い聞かせると、「失礼しますよ」と一言断りを入れ、よいしょと秋穂を抱え上げた。
秋穂の身体は思ったよりも軽く、凜桜にのしかかられたときと大差はないように感じた。
決して、凜桜が大人と同じくらい重いとか、そういうわけではない。
……もっとも、あくまで『思ったより』軽いだけで、ひ弱な梛にとって重く感じることには変わりないのだが。
梛はよろけながらも、一歩ずつ着実に来た道を戻っていく。
「……やっぱ安定しないな」
いわゆる『お姫様抱っこ』で秋穂を運んでいるのだが、非力な梛にとってはなかなかの重労働だった。
当然、おんぶした方が重心が安定するため、そちらの方が安全に、そして楽に秋穂を運ぶことができるだろう。
だが、凜桜相手で感覚が麻痺しているとはいえ、女性と密着するのはさすがに気が引ける。
よって梛は、接面積が少ないお姫様抱っこを選んだ。
もしこの場に凜桜がいたなら、自分もやってくれと絶対にせがまれていた気がする。先に部屋へ戻るように言って正解だった。
「よっ……と」
僅かに開いた扉に足を差し込んで器用に開き、ドア枠に秋穂をぶつけないよう慎重に部屋へと入る。
さすがの雛菊も眠かったらしく、既にベッドで横になり、小さく寝息を立てていた。
まあ、こうして酔い潰れている秋穂と同じくらい飲んでいたのだから、こうも一瞬で眠ってしまうのも無理のない話だ。
最後の力を振り絞って部屋の奥まで歩くと、梛はまるで重い荷物を下ろすかのように、秋穂を優しくベッドに寝か――
「なっ……!?」
せて、手を引っ込めようとした瞬間だった。
寝ぼけた秋穂が不意に梛の身体へ腕を回し、そのままぎゅっと抱きしめてきた。
「ちょっ……笹塚先生!? 何してんですか!」
耳元で叫ぶように声を上げるが、秋穂は起きる気配すらない。
それどころか――
「…………なんだあ、彩峰……私の酒が飲めないのかあ……。飲むまで逃がさんぞぉ……」
などと、ぶつぶつ寝言までぼやいていた。
相変わらずな秋穂に、梛は呆れたように苦笑する。
「夢の中まで酒飲んでんのかよ……。てか、未成年に飲ませようとすんな…………って、いやいやいやいや」
と、思わずいつもの調子でツッコんでから、梛はぶんぶんと首を横に振った。
秋穂の寝言に律儀に反応している場合ではない。
いやまあ、後日秋穂に未成年への飲酒強要について説教する必要はあるのだが。
それはさておき、まずはどうにかして抜け出さなくてはならない。……が、秋穂の拘束はこの旅行の初日に経験しているので、並大抵の力じゃ――当然、自身の力では抜け出せないことも理解している。
そんな非力な梛にできることといえば、周囲に助けを求めることくらい。梛はなんとか足を伸ばし、隣で静かに眠る雛菊のベッドを蹴った。
しかし雛菊はぴくりとも反応しない。秋穂と同様に、多少の揺れでは目覚めなかった。
「雛菊さん、助けてください! おたくのご友人、寝相が悪すぎますよ!」
と、今度は少し声を張ってみたが、こちらもあえなく撃沈。
どうやらアルコールを摂取して眠った人間は、そう簡単には起きないようだ。
「……こんの、ぐーたらバカ教師が……」
誰も聞いていないのをいいことに、梛はぽつりと愚痴をこぼす。
寝ているはずの秋穂の拘束が、なぜか強まった気がした。
「ほんとこれどうす……んふわあぁ……」
こんな状況だというのに身体はのんきなもので、自分の意志とは無関係に大きなあくびが漏れ出た。
そろそろ限界が近いらしい。鉛でもぶら下げているのかというくらい、まぶたが重く感じる。
ただでさえ普段より遅くまで起きていて眠いというのに、まるで人をダメにするソファのような柔らかな感触と、ふんわり漂うボディソープの優しい香り。
そんな心地よさに包まれ、梛の眠気は極限まで高められた。
表情筋を総動員して、額にシワができるくらい必死にまぶたを持ち上げようとするが、さらに強い力で下方向へと引っ張られてしまう。
そんな抵抗を何度か繰り返すうちに体力は尽き、ついには目を開くことすら難しくなった。
虚しい抵抗の末、意識がゆっくりと薄れていく。
そうして夢の中へと落ち、次に梛が意識を取り戻したときには——カーテンの隙間から朝日が縦上に射し込んでいた。




