第9話 場の空気 酒に呑まれて 阿鼻叫喚①
「おー、やっと出てきたか」
お風呂から上がった梛が、心配で見に来た凜桜に手を引かれてリビングに顔を出すと、秋穂が待っていたと言わんばかりに手招きしてきた。
今日もまた、日付が変わるまでトランプで遊ぶと思っていたのだが、どうやらそれは違うらしい。
ローテーブルの上には、少なくともそんなものは存在しなかった。
嫌な予感を覚えつつ、梛がソファに腰を下ろすと、美卯が鋭い眼光を向けてくる。
「遅い」
「いや、別にあとがつかえてるわけでもないんだから、遅くてもいいだろ。どうせ、あとはもう寝るだけなんだしな」
「おや、もう寝てしまうのかい? 最後の夜なのだから、少し遊ぼうじゃないか」
言いながら雛菊が、キッチンから紅茶と茶菓子を運んできた。なんとも意外なことに、お酒は飲まないらしい。
「しかし随分と長湯だったね。いつもこんなに長いのかい?」
「いえ、普段はこうもゆっくりしてられないですよ。ただ今回は、怪我の功名というか、災い転じて福となすというか。おかげで、久しぶりにのんびり身体を伸ばせそうだったので」
銭湯のように男女で風呂が分かれていたり、梛か凜桜のどちらかが宿泊行事で家を空けていない限り、梛が長風呂をすることなど滅多にない。
しかし今日は、昨晩一緒に入って倒れたからか、凜桜もわがままを言わずに大人しく引き下がったため、こうして一時間も湯船でゆっくりすることができたのだ。
「普段はどのくらい入っているんだ?」
「二十……いや、三十分くらいですかね」
「もっと短いでしょ。長くて十五分くらいじゃない?」
「……らしいです」
凜桜が乱入してくる前に、と大急ぎで頭と身体を洗って、申し訳程度に湯船に浸かって。
結果、自分で思っていたよりはるかに早く、お風呂から上がっているらしい。まさに烏の行水だった。
隣に座る長風呂できない原因は、知らん顔で――というより、自分が原因であることに気づいていないらしく、梛に甘えるように引っ付いている。
これを見るに、今後梛がゆっくり湯船に浸かれるのは、二学期に控えている修学旅行くらいだろう。
もっとも、クラスごとに入浴時間が決まっているため、今日ほどゆっくりはできないのだが。
まあ、そんな半年先のことなど、今はどうでもいい。梛は本題に入るかのように眉をひそめ、テーブル中央に置かれた機械を指さした。
「……で、それはなんですか?」
「なんだ、知らないのか? これは嘘発見器というやつだ」
「いや、知ってはいますよ。なんでそれがあるのかを聞いてるんですよ」
――嘘発見器。
嘘をついたときの脈拍や呼吸、発汗などの「生理的反応」を測定し、供述の真偽を判断する装置だ。
しかし、この場合の嘘発見器は、実際の犯罪捜査で使われているようなものではなく、いわゆるパーティーゲーム用のジョークグッズ。
人が嘘をついたときに発する微弱な手汗をセンサーで感知し、電流を流したり震えたりする仕組みのものだという。
そんなものを持ち出してくるとは、いったい何を聞き出すつもりなのか。梛は頬に汗をひとすじ垂らした。
すると秋穂は嘘発見器を手に取り、警戒する梛にあっけらかんとした様子で言ってくる。
「なに、トランプ以外にもこういう催しがあった方が盛り上がると思ってな。それともなんだ。何かやましいことでもあったか?」
「別にそういうわけじゃないですけど……」
「ほう……その様子だと、何か隠し事がありそうだね」
「いやだから、何もないですって……」
梛が否定するも、秋穂と雛菊はしつこく食い下がってくる。どうやら、夕食時に飲んだお酒がまだ抜け切っていないらしい。
秋穂は「ふっふっふっ」と不気味な笑みを浮かべながら、テーブルの上に嘘発見器を戻して電源を入れる。
「まあいい。そうやってしらばっくれていられるのも今のうちだ。これを使えば嘘なんてすぐにバレるんだからな」
「完全に悪役の台詞じゃないですか……。まあ、別に隠し事があるわけでもないので、やるのは構わないですけど」
「よし、決まりだな。最初の回答者は……言い出しっぺということで、私がやってやろう」
と、秋穂が何の躊躇いもなく機械の上に手を乗せてボタンを押すと、ランプが緑色に点灯し、なにやら緊張感のある音楽が鳴り始めた。
これで質問をすれば、結果によって電気ショックが発生するのだろう。
「さて、彩峰。何か質問したまえ」
「俺がするんですか」
「まあ、別に彩峰である必要はないんだがな。誰か私に聞きたいことがあるやつはいないのか?」
「特にないし、お兄ちゃんが質問しなよ」
「私も特にないかなあ」
美卯も楓も、これといって思いつかないらしい。まあ、いきなり「質問はないか」と言われても困るだけだ。
梛も特に思い浮かばず、頭を悩ます。
「質問しろって急に言われてもなあ。たしか、『はい』か『いいえ』で答えられるやつ限定ですよね」
「そうだな。何か思いついたか?」
「んー、やっぱこれといって……――あ」
梛は、一つ気になっていたことを思い出した。
「笹塚先生」
「ん、どうした?」
「……部屋の掃除はちゃんとしてますか?」
「…………」
梛が問いかけると、秋穂はすっと視線を逸らして黙り込んでしまった。
しかし身体は正直である。
口では沈黙を貫いていても、「バレたらまずい」という焦りが生んだ微弱な手汗を機械がしっかり感知し、ランプが赤色に切り替わった次の瞬間――バチッと冬のドアノブに触れたときのような音を発して、電気ショックが秋穂を襲った。
秋穂は「ひゃっ」と可愛げのある短い悲鳴を漏らし、慌てて手を引っ込めた。
電流が流れたということは、つまり嘘をついていたか、何かやましいことがあったということである。……まあ、嘘発見器など使わなくても反応だけで十分わかっていたのだが。
梛は呆れたようにため息をつき、半眼で秋穂を見やる。
「……だと思いましたよ。普段から掃除してないから、あんなに状態になってるんですもんね」
――去年の夏休みのことだ。
秋穂に頼まれて部屋の掃除を手伝わされたことがあったのだが、まあ酷い有様だった。
放置されたコンビニ弁当の容器に、積み上げられた空のビール缶。カーテンは閉まり切っていて、昼間だというのに部屋の中は薄暗い。
とてもじゃないが、居心地がいいとは言えなかった。
梛が秋穂に火を使わせたくなかった理由も、この壊滅的な生活力にある。
ゴミ屋敷とまでは行かないが、何重ものオブラートに包み、妥協に妥協を重ねてようやく『生活感の溢れる部屋』と言っても差し支えないくらいの酷い環境。
それを目にしたとき、当然すぐに逃げ出そうとしたのだが、秋穂の妙に鋭い反射神経で捕獲され、半ば強制的に掃除させられたのだった。
秋穂の反応から察するに、あれから一年も経っていないのに、どうやら元に戻っているらしい。
「掃除くらい、ちゃんとやってくださいよ……」
あのときの惨状が脳裏に蘇り、梛は思わず顔をしかめた。
すると秋穂は唇を尖らせ、なんとも不服そうな顔を作る。
「掃除をする暇がないくらい忙しいんだから、仕方ないじゃないか」
「休日にやればいいじゃないですか」
「いいか、彩峰。『休日』というのは『休む日』と書くんだ。休日に休まずしていつ休むんだ」
「その考えには概ね賛同しますけど、休日に掃除するのが嫌なら、日頃から少しずつやればいい話じゃないですか……」
常日頃からコツコツと掃除を続けていれば、あんな惨状にはなっていないはずだ。
そんな、努力と言えるか微妙なラインの簡単なことを怠った結果が、あの『生活感の溢れる部屋』だ。まさに『塵も積もれば山となる』である。
もっとも、この場合は努力を積み重ねたわけではなく、文字通りゴミが積もっただけなのだが。
「いくらお兄ちゃんが掃除好きだからって、教え子に部屋の掃除させるんだ……」
さすがの美卯もドン引きらしい。秋穂へ白い目を向けた。
「おう、美卯。もっと言ってやれ。あと、別に掃除は好きじゃないぞ」
「いや、悪いとは思ってるんだ。だが、あれを一人でやるのはな……」
「お兄ちゃんにやらせるって相当なレベルだよね。そんなに汚いの?」
「虫が湧いてないのが奇跡なくらいだな」
散らかっていることの例えとして「足の踏み場がない」と言ったりするが、それだけで部屋の汚さは推し量れない。
なぜなら秋穂の家には、足の踏み場自体は十分に存在していたからだ。
ただ、足の踏み場があっても上がりたくないくらいには物が散乱していて、客人を招けるような空間ではなかった。
去年の三月に、秋穂は今のマンションへ入居したという。
つまり、三ヶ月ほどであの状態になったということ。いったい、どうしたらあそこまで酷くなるのか。
「もう私の部屋の話はいいだろ……。次だ次! 時計回りだとして、次は彩峰姉だ!」
これ以上掘り下げられたくないらしく、秋穂は無理やり話題を切り替えた。
そして凜桜は言われるがまま、嘘発見器に手を乗せた。当然、梛には引っ付いたままである。
「おい、姉貴。いい加減離れてくれ。姉貴が嘘ついたら、俺まで巻き添え食らうだろ」
人間の身体は半分以上が水分でできているため、電気が非常に流れやすい。
つまり、凜桜が引っ付いているこの状態だと、梛にも電気ショックの被害が及んでしまうわけだ。
抜け出そうと必死にもがくも、凜桜は拘束を緩める気配すらない。片手が塞がっているというのに、涼しい顔で梛の抵抗を受け止めていた。
「凜桜さんが嘘つくこと前提なんだね……」
「お兄ちゃんと違って、お姉ちゃんは嘘つかないから、別にそのままでも大丈夫でしょ」
「俺と違ってってなんだよ」
「前科あるじゃん」
「……」
つい最近の出来事なので、記憶にも新しい。梛は反論できなかった。
「それで、誰が彩峰姉に質問するんだ?」
「少年はこの際に何か聞いておきたいことはないのかい?」
「なんで全部俺に振るんですか。別に聞きたいことなんてないですよ」
十年以上一緒にに過ごしてきているのだ。今さら聞きたいことなど特にない。
それも、YESかNOで答えるような質問に限定されるとなれば尚更だ。
「『本当に俺のことが好きか?』って聞いてみれば?」
「なんでそんなこと聞かなきゃ――」
「大好きだよー!!」
と、質問もされていないのに、凜桜は食い気味に答えた。ランプは緑色のまま、電流も流れなかった。
「ほう……つまり凜桜くんは、疑いようもないほど、少年のことが好きということだね」
「良かったな。証明されて」
雛菊は感嘆の声を上げ、秋穂はニヤニヤとからかうような視線を向けてくる。
答え終わった途端に抱きついてくる凜桜の腕の中で、梛は恥ずかしさのあまり、全身がむず痒くなるのを感じた。
「んじゃ、次は彩峰だな。彩峰に聞きたいことがあるやつは多いんじゃないか?」
秋穂が言うと、美卯と楓は顔を見合わせて首を傾げる。
「お兄ちゃんに聞きたいこと……?」
「特にはないですね……」
「おや、そうなのかい? 少年は隠し事が多そうだし、聞きたいことも山ほどあると思ったんだけどね」
「別にそんなことないですよ。隠すことがなければ、隠す理由も特にないですから」
「お姉ちゃんに散々嘘ついてたのに?」
「だから、それは悪かったって。ちゃんと反省してるから、いい加減許してくれよ……」
何度も蒸し返してくる美卯に、梛はバツが悪そうに首をすくめた。
「では、凜桜くんはどうだい? 少年に聞きたいこと、この機会にはっきりさせておきたいことはあるかな?」
「んー……」
吟味しているのか、それとも思いつかないのか。凜桜は即答せず、首を傾げてひたすらに唸り続ける。
そんな凜桜をよそに、美卯と楓は梛のあるあるで盛り上がっていた。
「お兄ちゃんって変に隠し事はするくせして、すぐ顔に出るから全然隠し通せてないんだよね」
「わかるなあ。梛も自分でわかってるから顔を隠したりもするんだけど、その反応で逆に『嘘をついてる』ってすぐにわかっちゃうんだよね」
「そうそう。普段からそんな感じだし、問い詰めればすぐ白状するから、今さら聞くまでもないっていうか」
「うんうん。嘘発見器なんて使わなくても、最後には正直に答えてくれるもんね」
「ほんと、最初から素直になればいいのにね。自分でも無駄なあがきって気づいてるんだからさ」
美卯は頬杖をつき、「みんなそう思ってるぞ」と言わんばかりの呆れたような目を向けてくる。対する梛も、半眼で応戦した。
「嘘だって気づいてるなら、わざわざ問い詰めたりせずに、『何か隠してるんだな』でスルーしてくれていいだろ」
「それはつまらないじゃん」
「別に面白さは求めてねえよ……」
どうやら兄が嘘をついたときの反応を見て楽しんでいるらしい。なんとも性格の悪い妹である。
「……で、俺はいつまでこうしてればいいんですかね」
凜桜が真剣な表情で悩んでいる間も、梛は律儀に機械へ手を乗せたまま、質問されるのを今か今かと待ち続けていた。
無論、楽しみにしているわけではない。単に、さっさと答えて終わらせたいだけだ。
「そもそもこの遊び自体、無理に質問を考えてまでやるようなものじゃないと思うんですけど……」
「まあそう言うな。こういうのは楽しんでこそなんだからな。気長に待つのもまた一興だ」
「とはいえ、少年も待ちくたびれているみたいだし、凜桜くんが悩んでいる間に、余興として私から一ついいかい?」
と、雛菊が小さく手を挙げて言ってくる。
「先程、凜桜くんには少年が好きかを聞いただろう? なら逆に、少年は凜桜くんのことをどう思っているんだい?」
「好きですよ」
雛菊の問いに、梛は躊躇うことなく、あっさりと言ってのけた。
嘘発見器があるからそう言ったのではなく、正真正銘、嘘偽りのない本音。その証拠にランプは緑色のままで、電流も流れなかった。
それもそのはず。嘘発見器があろうとなかろうと、そんなくだらない嘘をつく理由なんてないのだから。
それに――
「あくまで家族として、ですけどね」
好きと言っても、そこに恋愛感情なんてものは存在しない。いわゆる家族愛というやつだ。
当然こちらも嘘発見器は無反応だった……が、それ故に納得していない者が一名。
眉間に皺を寄せ、頬を膨らませて。凜桜が明らかに不満そうな顔で梛を見据えていた。
そして、そもそも話を聞いていない者も一名。
「わかってはいたが、やはり相思相愛か。まあ、付き合ってるんだから当たり前だよなぁ」
と、付き合いたてのカップルを囃し立てる男子中学生みたいなノリで、秋穂が茶化してくる。
梛は機械に手を乗せたまま、呆れたように続けた。
「あくまで『フリ』ですよ。面倒事を最低限に抑えるためですし、二ヶ月の期限付きです」
「そうかそうか。……で、本当のところはどうなんだ?」
「いや、だから……」
「安心しろ。周りには黙っててやるから、な?」
「もしかしなくても酔ってますね?」
やはり一時間程度ではアルコールは抜け切らないらしい。人の話をまともに聞かないあたり、まだまだ酔いは残っているようだ。
もっとも、素面に戻ったところで、秋穂が話を聞いてくれるとは限らないのだが。
「……ともかく、姉貴のことは好きですけど、それはあくまで家族としてです。ちゃんと答えましたし、俺の番はもう終わりでいいですよね?」
酔っ払っている秋穂相手に、これ以上問答を続けても無意味だろう。と、梛が機械から手を離そうとした瞬間、すんでのところで秋穂がその手を掴んで止めてきた。
「なんだあ、その焦りようは。さては、まだ何か隠してるなあ?」
「別に何もないですよ。少なくとも、俺の思い当たる限りでは」
梛は抵抗することなく、手を乗せたまま答える。もちろん、嘘発見器は反応しない。
しかし秋穂は納得できないらしい。嘘発見器を手に取ると、故障でも疑うようにまじまじと見つめ始めた。
「その言い方だと、やはり何か隠してそうだな……。なのに反応しないとなると……これ壊れてるんじゃないか?」
「いくら信憑性に欠けるおもちゃだからって、そこまで疑いますか」
「当たり前だ! 彩峰が何も隠してないわけないだろ!」
「俺への評価がすこぶる酷いですね」
言い張る秋穂に、梛は冷ややかな目で苦言を呈した。
掃除をさせるためなら家に招くくせして、発言に関してはまるで信用していないらしい。評価基準がさっぱりわからなかった。
「ま、本当に何もないんだろうね。見た感じ、嘘ついてないみたいだし」
「うん。もし嘘ついてたら、梛はすぐ顔に出ちゃうもんね」
「それはお互い様だろ」
楓も人のことを言えないくらいには顔に出る方だと思うのだが、本人にその自覚はあまりないようだ。
「アキ。二人がそこまで言うくらいなんだから、やはり少年は嘘をついていないと思うよ?」
「まあそうかもしれんが、彩峰だぞ? 常日頃から演技を――いや、彩峰にそんな器用な真似ができるわけないか」
「まさか、掃除もできない人に器用さを語られるとは思いませんでしたよ……」
生活力皆無の代表格とも言える秋穂に言われ、梛は思わず苦笑を漏らした。




