第8話 火の用心 阿呆が一人 火事の元⑤
騒がしくも楽しい(?)時間はあっという間に過ぎ去り、気づけば時計の針はそれぞれ真上と真下を指していた。
周囲は少しずつ暗くなり、昇った月と共に、空には星々が目立ち始めている。
辺りはまだほのかに明るいというのに、山の中だからか、星は肉眼でもはっきり見ることができた。
そんな山の澄んだ空気の中、梛は一人でもくもくと夕食の用意に勤しんでいた。
昨日は倒れてしまったせいで、全て楓に任せっきりになってしまった。それどころか、今日だって朝も昼もキッチンに立ってすらいない。
楓が優秀すぎるあまり、どうにも頼りすぎてしまっている。そんな罪悪感に耐え切れず、梛はこうして一人で準備することを選んだわけだ。
最初は躊躇っていた楓も、梛の心情を察したようで、少し申し訳なさそうにしながら「ありがとね」と引き下がってくれた。礼を言うのはこちらの方だというのに。
そうして楓は現在、凜桜や美卯と一緒にお風呂に入っている。
普段なら「梛と一緒に入る」とわがままを言う凜桜も、今日は珍しく素直に引き下がってくれた。おそらく昨日のことがあったからだろう。
高校生組三人はお風呂でのんびり身体を休め、秋穂と雛菊の大人組は夕食に備えて部屋で胃を休めている。
よって、料理中とはいえ、梛は久しぶりに一人きりの時間を過ごせていた。
「さてと……こっちの方はどうかな」
ぽつりと呟きながら、梛は冷蔵庫からピザ生地を取り出す。
本場や釜焼きの専門店では、通常一日から数日間かけ、長時間低温でじっくり発酵させるらしい。
本来ならば昨日のうちに仕込んでおくべきだったのだが、休むことを余儀なくされたため、本格的な生地を用意することができなかった――はずだった。
梛には、なんとも優秀で、なんとも頭の上がらない、家事面においては完璧とも言える幼なじみが存在する。
そう――楓が昨日のうちに用意してくれていたというのだ。
それを知ったつい数十分前の梛の反応は、感謝よりも恐怖が勝っていた。
いったい、この幼なじみは何なのか。
もはや『優秀』という言葉では足りない。表現するには、「怖すぎるくらい」や「化け物と称されるほど」などの修飾語が必須なレベルにまで達していた。
とはいえ、ありがたいことには変わりない。
おかげさまで、夢にまで見たピザ窯で、本場さながらのピザを作ることができるのだ。
ただ一つ。問題があるとすれば――
「俺、ほとんど何もしてないよな……」
別に、全部自分の手で作りたかったとか、そういうわけではない。
もちろん、協力してくれるのは非常にありがたいのだが、今回の旅行ではほとんど楓に任せっきりになってしまっているのだ。
梛が唯一取り組んだことと言えば、せいぜいピザの具材を用意したくらい。しかもシーフードミックスの下準備を除いて、だ。
明日の朝食くらいはさすがに作りたいところではあるが、それも凜桜次第なので、「明日こそは俺がやる」と断言もできない。
要するに、この旅行中に梛がすべき仕事のほとんどを楓に任せてしまっているということだ。なんとも情けない話である。
楓は「大したことじゃないから気にしないで」と言うが、そういう問題ではない。単純に、自分が楽しすぎていることが申し訳ないのだ。
しかし、今さら何を言ったところで過去に戻れるわけでもない。というか、戻ったところで凜桜をどうこうできるとも思えない。
凜桜が梛に引っ付くのをやめない限り、楓に頼りすぎてしまうのは変わらないだろう。
つまりはまあ……どうしようもないということだ。まったく、なんとも厄介な問題である。
梛は頬杖をついて、大きなため息を吐いた。
「……と。あとは付け合わせの用意もしないとな」
いくらピザと言えども、それだけでは少し寂しい。
ポテトやナゲットのように、何か合間につまめるものも欲しいところだ。
梛はぐっと身体を伸ばして「よし」と気持ちを切り替えると、再び調理に取り掛かった。
――そうして梛が調理に励むこと一時間半後。
高校生組だけでなく、大人組までがお風呂から上がる頃には、ピザはトッピングして焼くだけ、付け合わせも揚げるだけの状態にまで仕上がっていた。
無論、梛だけの力ではない。楓に押し切られ、結局いつものように二人してキッチンに立つことになってしまったのだ。
とはいえ、残る工程である焼いたり揚げたりする作業を、楓にやらせるつもりはない。
せっかくお風呂に入ってさっぱりしたのだから、油や煙など浴びたくないはずだ。
「んじゃ、各々好きにトッピング……でいいよな?」
梛はテーブルの上にピザ生地と具材を並べながら、確認するように言う。
ソースは定番のトマトソースからバジルソースまで色々と。具材も、コーンやポテト、サラミやソーセージにその他十種類以上と、誰もが満足できるラインナップだ。
梛から遠い位置にシーフードがあるのは、おそらく楓の配慮だろう。まったく、できた幼なじみだった。
「うん。ひとまず一人半分ずつ載せてこっか」
梛たちは、それぞれ梛と凜桜、楓と美卯、秋穂と雛菊に分かれて具材を載せていく。
いつの間にか凜桜とペアになっていたのが疑問ではあるが……まあ、いつものことだと割り切るしかなかった。
「梛は何食べたーいー?」
「お兄ちゃんはシーフードが食べたいって」
「おい、やめろ。吐くぞ」
「あはは……」
「ジェノベーゼなんか良さそうだな。ヒナはどうする?」
「そうだね……クアトロフォルマッジなんかもワインに合いそうじゃないかな?」
などと、和気あいあいとした様子でピザ作りは進む。
そうして各々のトッピングが終われば、いよいよ夢にまで見たピザ窯の出番だ。
事前にしっかりと高温まで熱したピザ窯に、崩れないよう丁寧にゆっくりと生地を入れる。
そうしたらあとは、たった一分から一分半待つだけで、あっという間に熱々のピザが完成するというわけだ。
当然、生地はパリッと、チーズはとろっとろ。香ばしい匂いをぷんぷん漂わせている。思わずお腹がくう、と鳴ってしまうほどだった。
出来立て熱々のうちに食べたいところだが、梛にはまだやることがある。運ぶ作業は大人組に任せ、フライドポテトやナゲットを、ピザが冷めないうちに手早く揚げていく。
梛を除いた高校生組が、事前に作っておいたサラダや、秋穂たちのおつまみ、ジュースやワインなどを次々と運び、全員が席に着く頃には、なんとも豪勢な料理がテーブル上にずらりと並んだ。
「なあ、彩峰。君は将来レストランでも開くつもりなのか?」
「いきなりなんですか。将来のことなんてまだわかりませんよ」
梛が怪訝そうに言うと、秋穂は肩をすくめてみせた。
「いやなに、予想以上に豪華で驚いてな。金を払うから、私の家にも毎日作りに来てほしいくらいだ」
「毎日作ってほしいだなんて、遠回しな告白かい?」
「なんでそうなるんだ」
からかうように笑う雛菊に、秋穂は睨みながら肘で小突く。
「……ったく、まあいい。ヒナの冗談なんていつものことだからな。それより、せっかく作ってくれたんだ。早く食べるとしよう。冷めてしまってはもったいないからな」
言いながら秋穂は、梛に視線を向けた。
「ほれ、彩峰。乾杯の音頭を頼むぞ」
「いや、なんで俺なんですか。そういうのは大人がやるべきですよね」
「何言ってるんだ。彩峰と月宮が作ったんだろう? だったら、君たちのどちらかがやるべきじゃないか」
「それなら楓でいいじゃないですか。わざわざ名指しする必要なんて――」
「冷めちゃうから早くしてよ。どうせ誰がやっても同じなんだし、お兄ちゃんでいいじゃん」
と、美卯が痺れを切らしたように、梛の言い分を遮る。
「だったら、別に美卯がやってくれても……」
「冷めるから、早く、やって」
「……」
圧をかけるように肩に手を乗せてくる美卯に、梛は黙り込んだ。
なんとも情けないことに、妹には逆らえない。兄とは哀れな生き物なのだ。
梛は嘆息すると、覚悟を決めてグラスを掲げた。
「乾杯」
「……いや、それで終わりはさすがに短すぎないか? もっとこう……『本日はお日柄もよく〜』みたいなのはないのか?」
「結婚式じゃないんですから……。それに、そんなこと言ってたら冷めちゃうでしょ。ほら、乾杯乾杯」
梛が投げやり気味に言うと、秋穂たちも「たしかに」と頷きながら次々にグラスを掲げる。
こうしてバーベキューのとき同様、流れるようにピザパーティーは始まった。
大人組が初手にワインを口に運んで舌鼓を打つ中、高校生組は真っ先にピザへ手を伸ばし、デリバリーのものとは段違いな美味しさに思わず身を震わせる。こんなものを食べてしまっては、今後食べるピザが全て物足りなく感じてしまいそうだった。
その美味しさのあまり、最初に焼いた三枚は六人全員であっという間に平らげ、追加で焼いたピザも全て、秋穂たちがワインを一本空にする頃には、まるで神隠しにでも遭ったかのように皿の上から綺麗に消え去っていた。
さすがに食べ終えるまでが速すぎる気もしなくないが、それほどまでに美味しかったということだろう。気持ちはわかるし、喜んでもらえて何よりだ。
そんなこんなで、晩餐とも言える豪華な夕食は、質も量も文句なし。梛もまた、夢だったピザ窯での料理をすることができ、全員が大満足の結果に終わった。




