第8話 火の用心 阿呆が一人 火事の元③
「朝早くから掃除とは、精が出るな」
朝食を終えた梛が、ピザ窯の中からかき出した枯葉を袋にまとめていると、二日酔いから目を覚ました秋穂が、あくびをしながら声をかけてきた。
その濡羽色の髪はあちらこちらで爆発しており、なんともだらしない姿である。
……まあ、程度が違うだけで、日頃から寝癖は跳ねているのだが。
「おお、随分と綺麗になったじゃないか。さすがは彩峰だな」
秋穂は梛の隣まで歩み寄り、ピザ窯の中を覗いて感嘆の声を上げる。
「今の時代、スマホで調べれば掃除方法なんていくらでも出てきますからね。あとはその通りにやるだけなんで、誰だってできますよ」
と、梛が謙遜で返すと、秋穂は「ほお」と呟き、肩にずんと腕を置いてきた。
「それは調べてもできない私への嫌味か?」
「いや、違いますけど……まあ、自分で掃除しろとは思うのでそれでいいです」
「否定するなら最後までちゃんと否定しろ」
秋穂は肩をすくめ、梛の手から袋をひったくる。
「これは私が捨てておくから、彩峰は月宮の手伝いをしてやれ」
「……手柄を横取りして、自分も頑張ってますアピールですか?」
「純粋な、善意だ」
言って、秋穂は梛の頭に手刀を落とした。
「まったく……君は私をなんだと思っているんだ」
「……教え子の前で酔い潰れて情けない姿を晒した人、ですかね?」
「間違ってはない。間違ってはいないんだが……」
秋穂は納得いかないというように顔をしかめる。
そんな秋穂に、梛は苦笑を返した。
「冗談ですよ。……いやまあ、事実ではあるんですけども。でも、ちゃんと敬ってはいますし、感謝もしてます」
「……彩峰にそんなことを言われると、それはそれで違和感がすごいな」
「俺が何をしたって言うんですか」
「冗談だ。ちょっと仕返しをしたくなってな」
秋穂は悪戯っぽい笑みを浮かべると、安心しろと言わんばかりに、頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
おかげで、秋穂とお揃いみたいに髪が乱れてしまった。
「んじゃ、ゴミは捨ててきてやるから、彩峰は思う存分、月宮の手伝いしてやれよー」
秋穂は悪びれる様子もなく、サンタクロースのように袋を背負って立ち去っていく。
もっとも、その袋の中に詰まっているのはゴミだし、梛にもたらされたのも、プレゼントと言うにはあまりにも悲惨な結果なのだが。
と、手にはめていた軍手を放って室内に戻ると、美卯と楓だけでなく、凜桜と雛菊までもがちょうど串焼きの用意をしていた。
「あ、お兄ちゃん戻ってきた」
気づいたように声を上げる美卯につられるようにして、全員の視線が一斉に梛へと向く。
そして、そのうちの一人は梛を視認した瞬間、一直線に駆け寄ってきた。もちろん凜桜である。
「なぁぁぁぎぃぃぃ!」
凜桜は立ち止まることなく、そのまま梛に抱きつこうとする――が、それは許されなかった。寸前で美卯に取り押さえられたのだ。
「掃除してきたばっかなんだから、お兄ちゃん汚いって。というか、お姉ちゃんもお肉とか触ってるんだから、その手で抱きつこうとしないの」
「むー……」
凜桜は不満そうに頬を膨らませながらも、しぶしぶキッチンへ戻っていく。まるで「ハウス」と言われた大型犬のようだった。
「おつかれさま。すまないね、全部任せてしまって」
と、雛菊が鶏肉を串に刺しながら言ってくる。
秋穂と同じく寝起きのはずなのに、髪は寝癖のひとつもないほど綺麗に整えられていた。
「アキとは会ったかい? 少年を手伝ってくると言って、出ていったんだが……」
「会いましたよ。俺の代わりにゴミを捨てに行ってくれてます。……と、そういえば、雛菊さんは二日酔い大丈夫ですか? 笹塚先生はもう元気そうでしたけど」
「ああ。おかげさまである程度回復したよ。このあと、ビールでも飲ませてもらおうかな」
「…………飲みすぎないでくださいね?」
昨日の惨状を思い出すと少しは控えてほしいと思わなくもないが、唯一の楽しみとも言えるものを奪うのも酷だろう。梛は譲歩して、軽い注意だけに留めた。
「はは、善処するよ」
「……ぜひお願いします」
無謀な願いだと理解しながらも、念には念をと釘を刺す。
そしてキッチンに割り込んで手を洗い、四人に並んで作業に加わろうと串に手を伸ばしたところで、楓に止められた。
「私たちだけで大丈夫だから、梛は少し休んでていいよ」
「え、いや、さすがに任せっきりには……」
昨日は倒れたせいで、すべて楓に丸投げてしまったのだ。さすがに二日連続で楓に頼りっぱなしというわけにはいかない。
「任せっきりじゃないよ。ピザ窯のお掃除してくれたでしょ?」
「いや、それは昨日休んだ分で……」
「別に遠慮しなくていいんじゃないの? というか、五人だと狭くて普通に邪魔だし」
と、梛を追い払うような手振りをしながら、美卯が容赦なく言う。
「なら、雛菊さんに代わってもらえば……」
「今の今まで寝ていたんだ。少しくらいは手伝わせてくれないかい?」
「……」
そう言われてしまえば、引き下がるしかない。
梛は食い下がらずにソファへ腰を下ろした。――凜桜を伴って。
「……なあ、姉貴。あっち手伝うんじゃなかったのか?」
「あ、お姉ちゃんはお兄ちゃんが帰ってくるまでの契約だから」
「いや、契約て……。てか、それなら姉貴と俺が代わればよかった話じゃねえか」
しかし時すでに遅し。凜桜は梛の膝に乗って動かないので、梛はソファから立てなくなってしまった。
――そうして身柄を拘束されたまま、楓たちがバーベキューの下準備を終えるのを待つこと十数分。
「準備できたぞー」
と、秋穂がウッドデッキからひょこっと顔を覗かせる。
ゴミ捨てに手間取っているのかと思えば、どうやら外でバーベキューの準備をしていたらしい。……あの秋穂が一人で、だ。
「どうしたんだ、彩峰。そんな顔して」
「……まだ火つけたりしてないですよね?」
「ん? ああ、揃ってからの方がいいだろうから、まだつけてないが……いや、やはり先に炭を温めていた方がよかったのか?」
頭を悩ませる秋穂を見て、梛は安堵するように息を吐いた。
「笹塚先生は絶対に、一人のときに火を使ったりしないでくださいね」
「どうしてだ?」
「だって絶対やらかすじゃないですか。火事とか起こしそうで怖いんですよ」
「君は私のことを馬鹿にしすぎていないか?」
秋穂は梛の向かいに腰を下ろし、不服そうに見つめてくる。
だが、掃除すらまともにできないほどに生活力の乏しい秋穂に、火の扱いを任せるのは不安で仕方がない。
「笹塚先生。ひとつ、質問してもいいですか?」
「なんだ?」
「枯葉、燃やして処理しようとか考えませんでした?」
「……私がそんなことをするわけないだろう?」
どうやら図星だったらしい。秋穂は「何か手伝うことあるかー?」と、露骨に話題を逸らしながらキッチンへ逃げていった。
この調子で、この先も一人で暮らしていけるのか心配になってくる。秋穂には掃除や料理の前に、まず火の扱い方から学んでもらう必要がありそうだ。
そんな親心にも似た何かを秋穂に覚えながら、梛は気を緩めた凜桜をひょいとソファに投げ出して、なんとか拘束から抜け出す。……が、自由時間は一瞬で終わり、凜桜に再び抱きつかれてしまった。
とはいえ、動けるようにはなったので問題ない。
そう割り切って、梛は凜桜を引きずりながらウッドデッキへと向かった。




