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65/68

65:あなたのまえでは

(……ああ、そういうことなのね)



 これは、選別の最後の試練。

 自らの足でこの結界を越えなければならない。


 かつての自分なら──迷いなく駆けていた。

 彼の腕の中に逃げ込むように、すがるように。

 だけど、今は違う。




 静かに、ゆっくりと足を踏み出す。




 もう、仮面を被る必要はない。

 もう、疑う必要もない。

 そこが、自分の帰る場所。



 結界の向こう、クルードの紺碧の瞳が揺れる。



 胸の中を愛しさで満たして、彼女は境界を越えた。

 途端。光の膜が、きらめきを放ち霧散していく。

 彼の視線と自分の視線が絡まり、彼が手を伸ばした時。

 

 リュネットは、そこで一瞬立ち止まり、自ら彼の胸に舞い込んだ。

 ──引き寄せられるのではなく、自分から。


 ああ、暖かい。

 愛しい人の胸の中。



「……クルードさま」

「……おまえ……! ど、どうした」



 頭の上で動揺の声がする。

 そんな音も愛おしい。


 たくましい彼の胴に、腕を回して。

 リュネットは声に甘えを乗せた。



「ただいま戻りました、クルードさま。……ああ、素敵。またあなたに会えるなんて」

「ど、どうした? なにがあった」

「ふふ、何もありませんわ。ただ」



 恥ずかしさを宿して顔を上げた。

 彼の瞳が驚きに揺れ、わたしを映している。



「素直になろうと決めましたの。あなたの前では」



 私には、かわいらしさが無かったけれど。

 あなたの前では、愛される女性になってみたい。 



「あなたの前では、可愛い女性ひとでありたいのです」




 願うようにそう告げると、クルードの顔が戸惑いに染まった。

 困惑を湛え、眉を寄せる彼。

 だが、リュネットは知っている。

 彼の鼓動が、早く脈を打ち始めたこと。



「……何を、言っている」

「……だめですか?」

「……駄目だ。それ以上俺を動揺させるな」



 問いかけた先で、クルードの瞳が冷静に乱れ揺らめいた。

 そんな矛盾に鼓動が跳ねる。

 自分を包む腕の力はそう強くないのに、離れることなど出来ない。

 彼の視線そのものに縛られて、身動きのとれぬ自分の目と鼻の先で。


 彼の表情が悩みと迷いに染まりゆく。



「おまえが戻ってきたことを誇らしく祝うべきか、この手に抱きしめ攫い帰るか、判断がつかなくなる」


 そんなことを言われて、胸が高鳴らないわけがない。



「……おまえを失うかもしれんと焦っていたところ、甘えられたら……俺はどうしたらいい」



 震える声に鼓動が跳ねる。


 迷っているのだ。

 この方が、私のことで……



 理性と感情のはざまで、どうしようもなく揺れている。


 ──それが、嬉しい。

 幸せが胸に満ちてどうしようもない……

 


「クルードさま……」


 愛しいその名を呟いて、彼の瞳を覗き込んだ。



 ──もう、耐えられない。

 あなたの口づけが欲しい。


 

 触れるよりも近く見つめ合って、一拍。

 惹きつけられるように唇を求め──



「──────お取込み中すみません」


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