65:あなたのまえでは
(……ああ、そういうことなのね)
これは、選別の最後の試練。
自らの足でこの結界を越えなければならない。
かつての自分なら──迷いなく駆けていた。
彼の腕の中に逃げ込むように、すがるように。
だけど、今は違う。
静かに、ゆっくりと足を踏み出す。
もう、仮面を被る必要はない。
もう、疑う必要もない。
そこが、自分の帰る場所。
結界の向こう、クルードの紺碧の瞳が揺れる。
胸の中を愛しさで満たして、彼女は境界を越えた。
途端。光の膜が、きらめきを放ち霧散していく。
彼の視線と自分の視線が絡まり、彼が手を伸ばした時。
リュネットは、そこで一瞬立ち止まり、自ら彼の胸に舞い込んだ。
──引き寄せられるのではなく、自分から。
ああ、暖かい。
愛しい人の胸の中。
「……クルードさま」
「……おまえ……! ど、どうした」
頭の上で動揺の声がする。
そんな音も愛おしい。
たくましい彼の胴に、腕を回して。
リュネットは声に甘えを乗せた。
「ただいま戻りました、クルードさま。……ああ、素敵。またあなたに会えるなんて」
「ど、どうした? なにがあった」
「ふふ、何もありませんわ。ただ」
恥ずかしさを宿して顔を上げた。
彼の瞳が驚きに揺れ、わたしを映している。
「素直になろうと決めましたの。あなたの前では」
私には、かわいらしさが無かったけれど。
あなたの前では、愛される女性になってみたい。
「あなたの前では、可愛い女性でありたいのです」
願うようにそう告げると、クルードの顔が戸惑いに染まった。
困惑を湛え、眉を寄せる彼。
だが、リュネットは知っている。
彼の鼓動が、早く脈を打ち始めたこと。
「……何を、言っている」
「……だめですか?」
「……駄目だ。それ以上俺を動揺させるな」
問いかけた先で、クルードの瞳が冷静に乱れ揺らめいた。
そんな矛盾に鼓動が跳ねる。
自分を包む腕の力はそう強くないのに、離れることなど出来ない。
彼の視線そのものに縛られて、身動きのとれぬ自分の目と鼻の先で。
彼の表情が悩みと迷いに染まりゆく。
「おまえが戻ってきたことを誇らしく祝うべきか、この手に抱きしめ攫い帰るか、判断がつかなくなる」
そんなことを言われて、胸が高鳴らないわけがない。
「……おまえを失うかもしれんと焦っていたところ、甘えられたら……俺はどうしたらいい」
震える声に鼓動が跳ねる。
迷っているのだ。
この方が、私のことで……
理性と感情のはざまで、どうしようもなく揺れている。
──それが、嬉しい。
幸せが胸に満ちてどうしようもない……
「クルードさま……」
愛しいその名を呟いて、彼の瞳を覗き込んだ。
──もう、耐えられない。
あなたの口づけが欲しい。
触れるよりも近く見つめ合って、一拍。
惹きつけられるように唇を求め──
「──────お取込み中すみません」




