50:──どうして、今、どうして
──「聖女」。
その在り方は国や地域によってさまざまで、歴史上では数々の聖女が語り継がれている。
アスレイア王国の「癒しの聖女ヴァリエル」は、幼いころから人々の病を癒す不思議な力を持っていた。そのチカラゆえ権力争いの王冠として巻き込まれ、結果国王がその身を引き受け加護したが、力を使いすぎたため、若くしてこの世を去った。
サンドリナ帝国の「シエナ」は祈りの聖女だ。古代サンドリナ帝国では干ばつが続き、民が飢え国自体が傾いた。そこでシエナは小さな神殿で祈りを支げ、奇跡的に雨を呼び寄せたのだという。
最も有名な聖女は、ゼフィラス公国「献身のエヴリナ」だろう。
彼女には婚約者がいたが、ある日突然神官として招集され、大いなる厄災を止めろと言われる。彼女はその使命を全うするために神への献身を選び──
婚約者とは、生涯、会うことはなかった。
どれもこれも、悲惨な話だ。
彼女たちの人生を捧げることにより、より多くの命が救われ、今日まで繁栄を続けられたのだろうが、自分たちに降りかかってくるなら話は別だ。
大局的判断など出来なくなる。
離れたくない思いと、どうして何故という憤りと、寂しさが溢れて仕方なくなる。
『リュネットが聖女選抜に呼ばれてしまった』。
これを伝えるのは自分の役目だ。
ショーンとネネにもそう伝えた。
──プレニウス城の奥。
クルードは執務室を通り過ぎ、護衛に軽い目くばせをし、彼女の部屋の前で足を止めた。
見上げた扉に掘られたカルデウスの紋様が、今日はいやに重苦しい。
こんな知らせを告げなければならないとは──。
心に生まれた躊躇いを、素早く屈強に振り払って。
扉を押し開けた先、目に飛び込んでくるのは、淡い青と白を基調とした清らかな部屋。カーテン越しに差し込む柔らかな光が、静けさの中で優しく輝いている。
奥のソファに腰掛けていたリュネットが、ゆっくりと顔を上げた。
本を読んでいたのだろう。
静かに閉じられた本が、パタンと小さな音を立てる。
彼女の瞳がこちらを捉えると、クルードの胸に言い知れぬ痛みが広がった。
──この顔に、いったいどんな表情をさせてしまうのか。
だが、告げなければならない。
寂しさと覚悟をたたえて、彼は低く静かな声で言葉を紡ぐ。
「……話がある」
■
──その日は、ノックの音からして、いつも違った。
「リュネット。話がある」
「……どう、されたのですか? 顔色が優れません……」
届いた固い声に、リュネットは本を閉じて立ち上がり、クルードに問いかけた。
様子がおかしい。
いつも厳格、冷静なクルードが今、不安と深刻をたたえて佇んでいる。
彼の踏み出す一歩一歩さえ、なにか影を孕んでいるように感じて、リュネットは息を呑んだ。
ただ事じゃない。何かあったのだ。
そう察するリュネットに、クルードは躊躇いがちに口を開くと、
「……おまえに、聖女選別の招集がかかった」
「え……」
耳に届いた言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
クルードが、静かに……けれど決して揺るぎない声でそう告げているのは分かる。けれど、自分にとっては余りに非現実的な響きだった。
──聖女選別?
聖女……?
頭の中で繰り返してみるが、『納得』に行きつかない。
思わず彼の前まで歩み寄り聞き返す。
意味が解らなかった。
「水の都・聖オルセリアの……ですか?」
「そうだ。聖女選別があるとは聞いていた。それが近しいことも耳には入っていた。しかし、その文におまえの名があったのだ」
「……どうして……」
どうして──わたくしが?
リュネットは視線を落とし、指先をそっと組み合わせた。
あり得ないことだ。聖女選別の年齢規定は16まで。それを一度も聞き間違えたことはない。それなのに、なぜ、わたくしの名がある……?
「記憶に定かではありませんが、聖女選別の資格は16までではなかったのですか……?」
「その通りだ。だが、おまえが選ばれた。神の意向らしい」
神意──。
重苦しいその響きが、胸の奥深くに突き刺さった。
──どうして、今?
今の状況が、どこか他人事のようにも感じて。
リュネットはしばらく呆けた。
夢の中で聞かされているような感覚だ。
けれど──クルードは怒っている。
「……ふざけた話だ」
「……怒って、いらっしゃるのですか?」
「当たり前だ! 規定を破ってまでなぜおまえを呼びつける理由がある!? 何のための規定だ!」
問いかけたその瞬間、爆発するように叫んだ彼に、リュネットは小さく息を呑んだ。




