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45/68

45:牢獄の中で




 ──石と土の冷えた匂い。

 ひんやりとした湿気が肌にまとわりつくような感覚。

 気晴らしにと視線を向けても、そこにあるのは荒い造りの石の壁。

 壁から生えた燭台で揺れる炎だけが光源の独房で、リュネットは後悔していた。


 ──「自分で選んだこと」と言い聞かせても、じわじわと胸を襲う不安は消えることはなく、増していくばかり。



 独房の中。

 粗雑な椅子に腰かけ、じっと見つめる石の壁。



 ああ、独りの時間が長く、重い。

 何もない空間がこんなにも心を濁らせるなんて。


 決意も、自信も崩れていく。

 闇が囁く。『おまえはここで終わるのだ』と。



「クルード様」

「ネネ」

「ショーン……」 


 浮かんでは消えるその名を呟いで、リュネットは足を抱えて俯せた。

 

 どれぐらい経ったのかしら。

 食事の回数から数えて、二日と少しかしら。

 時間がわからない。

 窓の一つもない。

 小鳥のさえずりも、風の音も聞こえない。

 ただただ耳に入ってくるのは、微かな怒号のようなものだけ──



「……甘くみていました。これが最善と、判ってはいるのですが」

 

 後悔を湛えて呟いてしまったそれすら、誰にも届かず石壁に吸われ消えていく。



 ──ああ。

 クルード様は今どうしているだろうか。

 ネネやショーンは、自分側の人間として酷い扱いをされていないだろうか。

 自分が投獄されたことは、街の人々も知ったはず。

 彼らはどんな反応をするだろうか。



 プレニウス領に来て今日まで、できることはしてきたつもりだ。

 受け入れられるには、生き残るには、誰かに施す──いや、誰かの役に立つのが一番いい。そう「計算の上」でやったことに代わりはないが──



 それだけではなかった。

 笑顔で言われる「ありがとう」。

 朗らかな挨拶。

 迎えてくれる陽気な声。


 利用するだけじゃない。

 『誰かの役に立つこと』。

 それが、嬉しかった。

 


 それらを持ち帰り、談話室で語らう時間も、クルードの柔らかい笑みも、リュネットの宝物になっていた。



 ──しかしが報われるとは限らない。

 「リュネットが投獄された」「あの女の子が牢に入れられた」。

 その知らせがどのように、街のみなに響いているかはわからない。


 仮に誰かが声を上げてくれたとして、力の持たぬ民々が領主の元へ訴えるのは勇気が要ることだ。──それをするのは……勇気がいる。


 裏切られるかもしれない。

 あだで返されるかもしれない。

 

 うっすらと聞こえる怒号のようなざわめきは、リュネットの断罪を求める声かもしれない。



 父も母も奪われ

 前夫に虐げられ

 愛人に馬鹿にされ


 やっと──自分を大切にしてくれる人に出会えたのに。

 大切にしたいと思える相手に出会えたのに。

 脳を麻痺させるようなときめきに出会えたのに。



「──世論の動きによっては……、もう、クルード様と会うことすら……叶わないかも……」


 その言葉が零れ落ちた瞬間、リュネットは息を詰まらせた。

 

 口にした途端、現実が輪郭を帯びて迫ってくる。

 想像が、ただの妄想ではなく、ひどく現実的な恐怖へと変わっていく。


 後悔が押し寄せる。 

 声を出したことで、辛うじて保っていた均衡が崩れた。

 ぐらりと揺らいだ心は、牢獄の闇に誘われるように、まっすぐ堕ちていく。



 

 そもそも、自分から「投獄してくれ」と進言したわたくしのことを、クルード様はどう思われているのかしら。あの時に向けてくださった、光に満ちた瞳を信じていいのかしら。策略と演技は、本音と真実とは対極にある手段もの。今更遅いけれど、あんな小賢しいところを見せて、クルードさまは……わたくしを、信じてくださるのかしら?

 

 牢に入ってもらうと言われた時、悲し気に首を振った方が可愛らしかったかしら。可愛らしい女性ならば、彼に縋ったのかしら。涙を流したのかしら。どうしてわたくしはそれができなかったのかしら。強がってしまったの。ああ、わたくしは可愛げない。


 小賢しいうえに、可愛げが無いのです。

 クルード様……、どうしてわたくしだったのですか……




 

 疑念が生まれるたび、喉がひどく渇く。

 心臓が強く打ち、身体の芯が冷えて、視界がじわりと暗く滲む。

 

 生まれた闇が、彼女を飲み込み、喰らおうとする。


 だけど。

 それに抵抗するように、リュネットの中で溢れ始めたのは、クルードへの想いだった。


 不安だからこそ溢れ、止まらない。


 会いたい。

 このまま断罪されたくない。

 彼に会いたい。

 もう一度抱きしめてほしい。

 あなたの体温を感じたい。

 

 会いたい。

 会いたい。

 寂しい。


 どれほど思っても、手を伸ばしても届かない現実に、涙が零れそうになる。

 

 でも──泣いてしまったら、もっと弱くなってしまう。

 泣いてしまったら、彼に触れたくて堪らなくなってしまう。


 

 強く瞳を閉じた、その時。


 ──突如、重い音が響いた。


 はっと息を呑む。

 鼓動が一瞬止まり、身体が硬直する。


 扉の音。

 理解するより前に、顔が上がる。

 闇を切り裂くように、差し込んだ光の先に現れたのは、クルード・フォン・プレニウス。


 彼女の想い人で、大切な人だ。



「──リュネット。待たせたな。冷えただろう? さあ」

「…………!」


 

 リュネットは求めるように歩き出していた。

 

 差し出された手が嬉しい。

 優しい顔に心が震える。

 包み込むように抱きしめる彼の腕が、愛していると伝えてくれているようで、リュネットは安堵に瞼を閉じた。



 たった二晩。

 一時的な投獄。

 けれど、リュネットが彼の大きさを感じるには十分すぎる時間だった。






あなたの隣は、本当に暖かいのです。

あなたのそばに居られて、わたくしは幸せです。

ずっとずっと、貴方のそばにいたい。

こんな小賢しいわたくしを、隣に置いていただけますか?







 リュネットが牢を出たことは、瞬く間に民に知らされた。

 その決断にいまだ懸念を示す城の者も居たが、これだけの怒号と抗議に、異議を唱える者はいなかった。


 リュネットは「民にお礼を」と顔を出すことを希望したが、クルードは首を縦に振らなかった。彼女の顔色がよろしくなかったからである。


 体裁とはいえ、彼女は二日ものあいだ、暗く狭い牢にいたのだ。

 普段、行軍演習などしていないリュネットにとってはそれだけで、十分苛烈なものだっただろう。


 案の定彼女は、食事をとった後すぐに、うとうととし始めてしまった。


 ソファーの隣で「すみません、すみません」と小さな声で謝りながら、必死に眠気に抗うリュネットは本当に可愛らしく、クルード伯爵の胸を打った。


 ──そして今。

 寝台の上、彼女は彼の腕の中にいる。



「……こんなに小さかったか」



 無防備に眠るリュネットを前に、クルードは愛おし気に呟いた。


 枕に広がる銀の髪。すぅすぅと寝息を立てるその顔は、いつもの凛々しさはなく、まだあどけない少女の残る顔。


 眠る彼女に、幸せを感じつつ。

 湧き出すのは劣情ではなく、庇護の思いだ。


 穏やかなリュネットの顔に重なる、「独房に迎えに行った瞬間の彼女」。

 まるで戦地に行った恋人の顔を見つけたかのように飛び込んできた。


 すがるような、甘えるような、安心と不安を宿した瞳。 

 そんな彼女を目の当たりにして、心が震えないわけがない。

 抱きしめて、キスをして、愛していると伝えないわけがない。



 ああ、愛おしい。

 愛したい。

 愛している。

 しかしそれ以上に──守りたい。そばに居たい。

 誰も傷つけやしない。必ず守りぬく。

 たとえそれが、どんな相手で有ろうとも。



「……おやすみ、リュネット。愛している」


 クルードは囁くと、両手で彼女の頬を包み、額へ口づけを落とした。

 腕の中で眠る彼女に、幸せを感じながら。






 ◇


 しかし、そんな幸せも束の間。

 盗賊の残党が「黒幕はナルシアだ」と吐いた直後。

 事態は思わぬ方向へ向かうこととなる。


 ◇


 




「──クルード様! 大変です!」

「またか騒々しい」


 

 捉えた賊の情報から、盗賊団の根城へ奇襲をかける算段を立てていたある日。血相を変えて飛び込んできたショーンに、クルードは静かに青の瞳を向けた。


 はぁはぁと肩で息を整えるショーンに、クルードが内心、(リュネットの名を使われた以上の知らせなど、到底考えられんが)と、知らせを見積もるその前で。


 ショーンはこう告げたのだ。


「聖堂から緊急のお触れです。聖女選別が行われます!」




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