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44:芽吹き



 ──変わり始めた空気を眼下に、クルードは胸の高鳴りに息を呑んだ。リュネットの言葉が蘇る。


 『きっと大丈夫。発芽の時ですわ』。

 当時の彼女は、確信めいた顔つきをしていた。

 ──そうか。

 彼女はこれを信じていたのだ。



 日々の行いが、交わした言葉が

 人々の心に芽吹き 強い絆となることを


 そしてそれは 願いにも似た試みであり

 必ずしも応えてくれるものではないということを



 そんな、揺らめく不安をかき消すかのように。

 ──空気が変わっていく。

 民々の言葉は、城の人間の表情を変えていく。


 

 「信じてくれた彼らに、まずは感謝を」。

 万感の思いで、クルードが口を開いた──その時。


 


「しかしだ! 盗賊たちが奴の名前を使ったのは事実だろう!!」



 リュネット擁護に流れ始めた民衆の空気を切り裂くように、男の声が響いた。


 クルードが素早く目を向ければ、そこに居たのは──反リュネット派・城内警備隊・隊長のコヴンである。彼は、まるで民衆が間違っていると言いたげに鋭く彼らを視線で払うと、



「お前ら庶民は知らんだろうが、アイツは『売られた妻』である! 烙印女だ!」

 ──ざわり。

 その一言にどよめいたのは、民衆の方だった。

 「え」「うそ、売られたの?」「神が定めた半身に?」「なにしたんだよ」。


 口々に沸き始めた疑念と裏切りの色。

 先ほどまで息を巻いていた武器屋も薬屋もパン屋も皆、所在なさげな顔で閉口している。


 まずい、このままではリュネットの行為が水の泡だ!

 クルードは強く息を吸い込み、そこで──躊躇った。

 

 『彼女は潔白だ!』と宣言したい。しかし、それは正しい判断なのだろうか?


 例え針の筵でも、リュネットを切り捨てなかった自分が述べてもそれは、『惚れた男の戯言』だと捉えられ、逆に信用を無くすのではないか?


 そんな考えに支配され、クルードが奥歯を噛みしめた──その時。



「え! ション、それ本当なの!?」

「──……!」


 

 沈黙を散らし、興味を引くように響いた女の声に──クルードは、跳ね上げるように顔を上げた。


 ──今のは、ネネか……!?

 

 妙に高めに作ってあったが、あれはネネの声だろう。

 ぐるりと群衆の中を探す。しかしその姿を捉えることは出来ない。

 眉を寄せ、目を皿のようにして探すクルードに、ネネ(と思わしき人物)の声は更に高らかと響いた。



「ええ!? リュネットさん、ダルネスとかいう中年子爵に虐げられまくって浮気された挙句、浮気相手に虐待めいたことされてたの!? え!? 相手最悪じゃない!?」

「そうだよネル! ダルネスが悪いんだ!」



 ──これは……ショーンか!

 これが好機と言わんばかりに。

 響き渡った芝居めいたセリフに、クルードは拳に力を込めた。



 そうか。

 そうか。

 なんと心強い。

 こんな援護は初めてだ。



 ──当事者が何を言っても無駄だが、第三者の意見は通ることがある。

 それは、こと恋愛や家庭問題において明確に効果を表す。

 今回も例外ではなく、ふたりが言い出した途端空気が変わった。


 それはまるで魔法のようで、今や皆、誰もが続きを待っている。

 彼女を庇う庶民はもちろん、否定していた城内の者たちもだ。 


 それらに応えるように、ショーンの声が広場に響く。



「ダルネスは自分のことを棚に上げてリュネットさんを厄介払いしたんだ!」

「うぅぅわぁぁぁぁ! 最悪ぅ……! じゃあこれもそいつらの逆恨みかもしんないね!?」

「そうかもしれないよな!」

「そーかもしんない!」



 まるで喜劇のようなセリフが響く中、クルードは変わりゆく空気を前に思う。



(この状況を覆したのは、リュネットの努力だ。そして、彼女を支えたいと声を上げてくれる民たちと……あいつらのおかげだ)



 自分だけではどうにもできなかった。

 いくら「言うな」「止めろ」と言ったところで、それは押さえつけているだけに過ぎない。ひっくり返すどころか、揺らすことすらできなかっただろう。

 

 それを動かしたのは──リュネットの、民に寄り添う活動と、彼らの一押しだ。小さな行動と信頼の積み重ねだ。


 ──なんと、誇らしいのだろう。


 それらを受け止め、万感の思いに浸るクルードの前。


 事態は更に流れていく。

 彼らの希望通りの方向へ。



「…………そうだ」

「きっとそうよ!」


 誰かが呟いたそれは、瞬く間に波紋のように広がり、抗議の嵐と姿を変える。





「……エディル。この民の反応をどう受け止める?」





 援護の怒りを受け止めて。

 クルードは、彼らを見下ろしながら、執事頭のエディルに問いかけた。


 振り返らずともわかる。

 説得をするつもりで現れたエディルが、後ろで狼狽していると。

 それを裏付けるように、エディルの慌てた返事が届く。



「──いや、しかし、でも」

「…………」


 ひっくり返った声に振り向き、目線で刺した。

 エディルはじりっと退き目を泳がせる。


「────りゅ、リュネット殿が、この反応すら計算に入れ、盗賊をけしかけた可能性も」

「…………………………」

「………………なぃことはなぃ、と思ぃ…………ます…………が」



 どんどんと尻つぼみ。最後は自信なさげに口を閉ざしたエディルに一瞥をくれて、クルードは、すぅっと息を吸い込んだ。

 彼がどこまでも彼女に疑いをかけるのならそれでもいい。

 組織の中にはそういう意見も必要だろう。

 だがしかし、今、この場でははっきりと言える。


 クルードは胸を張った。

 群衆の援護を背に、エディルに向かって誇らしげにほほ笑むと、



「──これが、『リュネット』だ。彼女の作り上げた信頼の成果だ」

 

 百の陰口に勝るは、積み上げた「ひとつずつの真実」。

 それは千の声援となり、彼女の名誉を確立していく。

 

 クルードは静かな声で云った。


「エディル。執事頭のおまえに告げる。『皆、民たちの言葉を心に留めろ。真相が明らかになるまで、軽々しい憶測は口にするな』」








 ──石と土の冷えた匂い。

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