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40:あの女の影 2




「クルード様……?」

 小走りに駆け寄る彼女の表情が、近づくとともに曇っていく。

 こちらの余裕のなさが伝わったのだ。



 煌めいていた紫の瞳に戸惑いと不安を浮かべ、じっと見上げる彼女に、クルードはそっと息をつき、




「──リュネット。今、城下で賊が現れた。おまえの名前を使われている。何か心当たりはあるか?」

「……わたくしの、名前?」




 リュネットの紫の瞳が揺れ、困惑が泳いだ。

 見るからに心当たりがない──いや、寝耳に水といった表情だ。




「心当たりなど、ありません……。そんな命令を出した覚えもありませんし……!」

「──だろうな。だと思っていた。臆するな。俺はおまえの仕業だと思っていない」




 不安を取り除くように一蹴し、彼はリュネットの両肩に手を置いた。 

 そこに込める、言葉通りの思い。


 僅かな安堵の中に緊張を宿しながらこちらを見上げるリュネットに、クルードは深く頷くと、そこに居る全員に述べるよう顔を上げた。





「だが、今の状況は最悪だ。城下で賊が名乗りを上げ、おまえの名前を使った。それだけで十分、城中に不穏が走っている」

「誰かが……わたくしを陥れようとしているのでしょうか?」

「恐らくはな」




 不安げに視線を下げるリュネットを視界の隅に、クルードは鋭く述べた。


 


「──想像はついている。確証はないが。奴は必ず俺が叩く」




 確証はないが、おそらくアイツだろう。

 ナルシア・ド・ローズ。

 ダルネスの愛人であり、神の教えに背くもの。

 夫のダルネスを隠れ蓑に落ち延びた餓鬼畜生だ。


 今どこで何をしているか知らぬが、アイツで間違いないだろう。



 

 やり方が姑息なのだ。

 戦時・あるいは敵国の力を削ぐために、『噂』の力を使うことはある。

 しかしそれは国や軍をかく乱するために行う戦術であり、個人を貶めるために使いはしない。




 こんなものを思いつき、手段として採るのは、武力を持たぬ非力な者か、臆病な策士かのどちらかだ。



 どちらにしても忌々しい。

 愛する女をこんなに苦しめる相手を、今すぐにでも捕らえて処断したかった。



 そんな苛立ちを、腹の中で育てるクルードの隣から。

 戸惑いと迷いに満ちた声は、小さく届いたのである。




「クルード様……わたくし、ここにいない方が」

「くだらん」




 一刀両断で一蹴した。

 瞬間、彼女がかすかに肩を震わせる。


 

 怖がらせたかもしれないが、そこを隠すつもりはなかった。



 彼女の気持ちは理解できる。

 状況を客観的に見れば、確かに「身を引く」ことが最も無難に思えるだろう。

 しかし──そんなものは、クルードにとって論外だ。

 そんな犠牲は望んでいない。



 

 静かな空気を切り裂くように、クルードはリュネットに向き合うと、重々しく──いや、決意を込めて口を開け、




「……何度でも言うぞ、リュネット。俺はおまえを手放す気はない。誰が何と言おうとも、だ。おまえを手放すぐらいなら、家も立場も捨ててやる」

「「なっ……!?」」




 はっきりと述べた。


 嘘などついていなかった。

 リュネットとショーンが驚きで染まる。


 そんな二人の反応を視界に収めながら、クルードは意思を固めるように腕を組む。




 そうだ。彼女を失うぐらいなら家も立場も要らない。



 しかし、ヤツの狙いはクルードの失脚ではない。

 わかっている。

 ──どこまでも姑息に、リュネットを傷つけるつもりなのだ。




「──これ以上好きにさせてたまるか。賊を向けたこと、後悔させてくれる」




 喉の奥に潜めた怒りが、言葉に出る寸前で止まる。

 睨み据える先にあるのは、まだ姿を見せぬ敵──おそらく、ナルシア・ド・ローズ。



 直接会ったのは一度きりだったが、あの日の不遜な態度が今でも脳裏に焼き付いている。

 黒幕が彼女である確証はない。

 だが、事態を裏で操る存在がいることは間違いなく、誰であろうと容赦するつもりはなかった。




 ──次の一手を打たねばならない。




 ひりつく空気を纏いながらも、クルードは冷静に思考を巡らせた。




 ここでただ怒りに任せて動けば、相手の思う壺だ。

 冷静に、しかし迅速に対応する。

 それこそが、状況を打破する唯一の道だった。


 しばしの沈黙の後。

 クルードはショーンとリュネットのへ向き直ると、静かに次の指示を告げた。





「──まずは賊を追い、裏にいる者を暴く。それから……」



 クルードは一瞬言葉を切り、確固たる決意を抱えながら述べた。



「リュネット。おまえには城の牢に入ってもらう」

「クルード様!」





 驚きの上げたのはリュネットではなく、傍らに控えていたショーンだ。

 ショーンは困惑を隠せないまま、一歩前に出て声を張り上げる。




「なぜですか! ワタシには貴方がわかりません!」


 困惑を露わにして声を張り上げたショーンは、まるで理不尽な命令を突きつけられたように眉を寄せ、激しい眼差しを向けると、


「家も爵位も捨てるとまでおっしゃったのに、なぜ牢に!? 『信じてる』って!」

「──信じている。だからだ、ショーン」




 クルードは静かにショーンを見据え、低く静かな声で言った。




「裏にネズミがいることは解っている。しかし、それを今すぐ証明することは不可能だ。加えて、先の報告を受け、城内の空気は酷いありさまだ。何か対策を講じなければならない」

 非常に苛立たしいが、まずは城内の整理だ。

「ひとまず彼女を牢に入れ、皆の留飲を下げる」




 云う声には重さがあった。




 理屈では最善の手だとわかる。

 しかし、愛する者を守るために投じた策が、同時に彼女に不名誉を与えることへの葛藤は拭えない。


 しかし、そんな葛藤を散らすように。

 リュネットの静かな声は、間もなく響いたのである。






「見世物になれ、ということですね?」


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