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32/68

32:付きまとう烙印 1






 夜の静けさが城を包む中、クルードは一人、自室で酒杯を手にしていた。

 大ぶりな窓から差し込む月光が彼の硬い表情を照らす。

 瞳は遠くを見据え、何か考え込むように深い沈黙が漂っていた。




「クルード様……、少し、お時間を頂けますか?」



 そこに現れたのは執事頭のエディルである。

 執事として歴が長く、実力というよりは雰囲気で今の立場にいる。

 周囲の者から持ち上げられることも多く、今日もその延長なのか、何かを言い出すのをためらっている様子が見て取れた。





「何だ?」

「えぇと……その……、小耳に挟んだのですが」

「何を。早く言え」




 短く響く低い声に、エディルはびくりと肩を震わせたが、深呼吸をして続けた。




「……リュネット殿の……その……噂についてです」

「噂?」





 クルードの手が止まる。

 酒杯を置いたその仕草は冷静そのものだが、鋭い眼差しがエディルを貫いた。

 月明かりの下、その瞳は刃のように冷たく光っていて──エディルは後悔した。



 主人のクルードは、いつも武骨で近寄りがたい。

 しかし暴君ではなく、人望が厚いのも知っている。



 だからこそ、滲み出る剣幕と苛立ちに身がすくむ。

 まるで戦場で敵意を向けられているような心境の中、エディルは勢いに任せて問いを投げた。




「彼女は、あの『妻売り』に出された方なのでしょうか?」


「それがどうした」




 短い言葉が室内を切り裂くように響いた。

 その声は低く静かだったが、確実に怒りを孕んでいる。

 エディルは一瞬ためらった。

 しかしそれでも勇気を振り絞り、主に述べる。



 これは、主人のためなのだ。




「いえ、その……、クルード様は、由緒正しいプレニウスの血を引くお方です、本来なら、それにふさわしい、格式のある……」

「…………」



「──……、で、ですから、その、彼女は、その、『烙印女《うられた妻》』でありま」

「──だから何だ」




 その一言は、まるで刃のように鋭く、エディルの言葉を断ち切った。



 ──怖い。


 

 クルードが静かに立ち上がる。

 コツンと床を踏みしめる音が、妙に重く場に響く。

 こつ、こつ、こつ。

 迫る靴音と共に、クルードの怒りは矢継ぎ早に飛んできた。




「どこで聞いた。誰からだ。どこまで広がっている。答えろ」

「──ひっ……!」




 後ずさりしながらエディルは後悔した。

 貴族の婚姻なんて政略的なもので、その奥方本人に価値など無いと思っていたし、そんな噂が立つような女はふさわしくない。

 それを伝えればクルード様も憤怒に顔色を変えると思ったから報告に来たのだが──


 殺気を向けられるなんて。





「で、でで、出所については、わかりかねますが、城内で、誰ともなく話始めたようで、気が付けば皆が……!」

「噂の出所を探せ。広めた者を洗い出しここに連れてこい!」

「は、はい……!」



 ひっくり返った声そのまま。

 まるで脱兎のように、エディルは震える足で駆け出して行った。










 一人残された部屋で、クルードは静かに息を吐いた。

 苛ついていた。


 

 周りが言うこともわかるのだ。

 貴族である自分の婚姻が、家柄と釣り合いを重んじるものだということは、幼い頃から嫌というほど叩き込まれてきた。



 家名のための結婚、家柄にふさわしい妻。

 それが当然だと思っていたし、疑問を抱いたこともなかった。



 しかしそれは、過去の話だ。

 



 リュネットに出会ってそんなものはどうでもよくなった。

 頭に女の顔が浮かんで仕方ないなど経験したこともなかった。

 天使の旋律(ひとめぼれ)が本当に聞こえるとは思いもしなかった。




 彼の期待通り、リュネットは賢く立ち回り、時に無垢な笑顔も見せてくれるようになった。

 まだまだ、頼られているという自信や、甘えられているという喜びこそ少ないが、そんなものこれから引き出していければいい。




 流れるような銀の髪。

 神秘を宿す深紫の瞳。

 彼女がそこに佇むだけで、その場の空気が変わる。

 高い品格を持ちながら自慢に見せることはない彼女は、クルードの理想だ。




 これほど欲しいと思った女は居ない。

 手放したくない。

 ──のに。



(くだらん……『妻売り』がなんだというのだ)




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