27:禊を終えたら 3
「リュネット、本を持ってきたのか」
「あら、気づいておられたのですか?」
金の文字で題名が書かれた表紙に目をやりながら、リュネットは平静を装い答えた。若干声が上ずってしまったが、バレていないとしらをきった。
リュネットは馬の鞍袋から取り出した一冊の本を、クルードに向けて掲げた。表紙には細やかな装飾が施され、タイトルが金の文字で浮かび上がっている。
『盟主のキミに恋をした』
「盟主相手の恋か……?」
クルードの眉が僅かに上がる。
それに、リュネットはくすくすと笑うと、背表紙を撫でながら言った。
「ええ。身分違いの二人が惹かれ合う恋物語です。遠い異国で、盟主の妻として愛された女性の日記から書き起こしたものだと聞いています」
「やはりおまえも女なのだな」
「恋物語は嗜みませんか?」
「ああ、どこに気持ちを入れたらいいかわからない」
「……あら。それでは少し読んでみましょうか。わたくしも、貴方のように「よくわからない」と感じておりましたのよ? けれど……」
──「今はわかる」。
それは喉の奥に秘め、噛みしめるように目くばせをした。
ふと、頬に触れる温かな感触。
それが彼の大きな手だと気づいた時には、まるで秘めた言葉を探るように、あるいはそれを許すように、指でそっと撫でられ、酔いにも似た感覚に襲われた。
粗さのない動きが、彼の無骨さと優しさを語っていた。
触れられたその箇所がじんわりと熱を帯びる。
リュネットは驚きに目を瞬かせながらも、その行為にどこか愛情深いものを感じていた。
「……」
二人の視線が静かに絡む。
クルードの瞳は、いつも通り冷静に見えながらも、その奥には熱がこもっているようだった。
まるで、「おまえの言葉を聞かせろ」と言わんばかりに──
リュネットはそっと唇を開いた。
だが、言葉を紡ぐ前に彼が先に口を開く。
「なら、聞かせてもらおうか。おまえが紡ぐ恋の物語を」
「……え?」
クルードの低い声には、どこか遊び心が混じっている。
「俺も、「今なら」……登場人物に感情移入できるかもしれん」
「まあ……ふふふ。では、読み上げますね」
冗談めいて笑うクルードに、リュネットも思わず笑いを漏らして。穏やかな風が二人を包む中、彼女はそっと本をめくると、凛とした声で話し出す。
「──『晴れ渡る空の下、ミリアの指先から靴が飛んだ。『中途半端なことしないで!』、怒りに燃えた声は空を切り裂き、靴は放物線を描いて相手の肩を正確に捉えた。男は反射的に肩を押さえ、「ちょっと。どういうつもりだ」。怒りを宿し振り返る彼は、エリック・マーティン——この国の盟主である。その名を知る者ならば、彼を怒らせることがどれほど……』
………………?」
最後は尻つぼみ。
読みながらリュネットは静かに首を傾げた。
恋物語を読み始めたはずである。
しかし始まったのは派手ないざこざ展開だ。
思わず中拍子のあらすじを確認するリュネットの視界の隅で、クルードも不思議そうな顔で黙っている。
「「……?」」
「……俺は、良く知らんのだが。恋物語ではなかったか?」
「恋物語のはずです……そう書いてある……のですが……」
リュネットは困惑を隠せなかった。
あらすじには確かに「書くも美しき恋物語」と書いてあるのに。
そんな内心を汲み取ったのだろう。
クルードは首を傾げるリュネットに、問いかけるように手を出すと、
「そこから始まる恋仲など……あるのか?」
「ですよね……わたくしもそう思います。靴を投げるような女性と領主が、どうして惹かれ合ったのかしら。少々無理があるようにも思いますけれど……」
「男女の出会いは様々だと言いたいのだろうか」
「そういうことなのかしら? それともこれは喜劇なのかしら……?」
──ふふ。
眉を寄せながら表紙を確認するリュネットの耳に、小さな吹き出し笑が届いて顔を上げる。するとそこにあったのは、クルード・フォン・プレニウスの──優しい笑顔。




