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28:禊を終えたら 4





「──……おまえもそんな顔をするのだな」


「どんな顔をしていたのですか?」

「どちらかといえば……そうだな、困り顔だ。だが悪くない」



 きょとん。

 さらりと言い放つその態度に、リュネットは一瞬虚を突かれて目を見開いた。

 

 面白がられている。

 正直、意外だ。

 クルードは普段、鍛え上げられた騎士を体現したかのような顔つきで、戦略めいた笑みや含み笑いこそするものの、純粋にこちらの反応を楽しんでいる様子など、見たことがなかった。



 ……そんな顔もするのですね。



 そんな彼に、鼓動が小さく早く音を立て始めるのを感じて。

 リュネットはさっと視線を反らすと、瞼を閉じて彼に述べる。


 

「……もう。はあ、意外です。クルード様が、恋物語にこんなに興味を持たれるなんて」

「おまえが読むのだ。俺が興味を持つのも自然なことだろう」

「…………もう。甘えていらっしゃいます? わたくし、こんなふうに殿方におねだりされる日が来るとは思いませんでしたわ」



 呆れたように言うリュネットだったが、本心は嬉しかった。

 『殿方』と表現をぼかしたが、本音は『クルードに』、だ。


 自分にも周りにも厳しい性格の彼が、自分に朗読をねだっているこの状況は……なんというのだろう。嬉しさとこそばゆさが胸に舞い、口元が緩んで仕方ない。


 

 そんな華やかさを味わうリュネットの隣、待ちかねたと言わんばかりに、クルードの声が飛ぶ。



「さて、続きを聞かせてもらえるのか? 今のところは、靴を投げる女が出てきただけで終わっている」

「……ええ、そうですわね。けれど、えぇと……」



 問われ、リュネットは戸惑いがちに視線を落とした。

 とたん、ざぁ……と風が木の葉を揺らし、リュネットの躊躇いを煽る。

 どうにも気がすすまない。この先『彼ら』がどう動くのか、頭の中で考えてみても筋道が見えない。


 しかしそんな迷いは次の瞬間、現れた彼の手によって消え去った。



「貸せ。俺が読んでやる」

「……クルード様がですか?」



 意外な提案に驚いて、リュネットは顔を上げ目を丸めた。

 まさかそんなことを言うとは思わなかった。

 驚く彼女の視線をもろともぜず、クルードはやる気なのだ。

 いつの間にか引き抜き、手中に収めた本を両手で開き、鼻を鳴らして述べるのである。



「俺も領主だ。書物に親しむ習慣くらいはある。それに……興味が湧いた」

「……まあ。ふふふ」



 弾んだ声で云う彼に、リュネットは思わず笑いを零していた。


 クルードは騎士団長であり伯爵だ。

 いつも神秘的で厳格な空気を纏っている彼が、無邪気な青年のような顔をしている。そんな彼に──幸せを感じないわけがない。



「……では、お願いいたします、ふふ」

 


 静かにこくんと頷いて。

 リュネットは静かに目を閉じ、物語に耳を傾けた。

 青々としたカルネアの丘に、クルードの紡ぐ物語が、静かにゆっくりと流れ始めた。 









 リュネットは元既婚者でありながら、「男性と過ごす穏やかな時間」を知らない。


 元夫のダルネスは彼女を「貧相な身体だ」「生意気で気味の悪い蛇能面」と言って冷たくあしらってきたし、それが普通なのだと思ったこともあった。



 しかし、クルードの元で味わう時間は、世界がひっくり返ったような暖かさで。彼の武骨で不器用な物言いも、時折見せる熱を帯びた視線も、何もかもがリュネットの胸に淡い針を刺していくのだ。




 それは今日も例に漏れず、ぎこちなく始まった音読に嬉しさを覚えた。



 低めの声が紡ぎ出す物語。

 彼の声が心地いい。

 そんな状況に、リュネットは空想の世界に入り込んでいたのだが……


 クルードの声は、先に進むにつれ、次第に途切れていった。

 彼はリュネットは置き去りにしてしまったのだ。



 想定外の展開にため息である。


 ──確かに、本は面白い。

 その物語に集中すると、読み上げるどころではなくなるのもよくわかる。けれど、彼がまさか集中してしまうとは思わなかった。


 リュネットは存在を思い出してもらおうと、そっと彼の顔を覗き込んでみるが気づかない。声をかけるが聞こえていない。


 少し寂しさも覚えたが、リュネットはこれで良いと思った。



 本に没入する彼が、「騎士団長」でも「伯爵」でもなく、ただの青年に見えたからである。


 時折震える肩。

 真剣な顔。

 小鳥のさえずり、ゆったりと流れる時間。


 そっと彼の肩にもたれかかると、腕を回され引き寄せられて、それがまるで、許されたように感じ──やわらかな充足感が彼女を満たした。


 しかし。

 人は、幸せであればあるほど闇を作り出す生き物だ。

 

 幸せが彼女を優しく包めば包むほど、「売られた妻」の烙印は、暗く重く──リュネットの奥底で広がり、充満していく。




「……クルード様。わたくしは、本当に貴方の隣に立つ資格があるのでしょうか?」

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