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26:禊を終えたら 2



 いくらクルードが『可』だと言っても、周りはどうだろうか?


 家の中であの騒動を知っているのはネネとショーンだけだが、きっとどこかで漏れ出し、『クルード伯爵は売られた妻を娶った』という事実が流れるはず。


 さすれば、彼の品格に、家名に、傷がついてしまう──



 そんな思いに揺れる彼女にとって、クルードが「身辺を整えるまで」という理由で別宅での生活を提案してくれたことが有難かった。



 ──これからの振る舞いをじっくり思案できる。どう動くのが最良なのか、考えることができるからだ。




 分厚い革張りの本を見つめ、リュネットはひとつ、息を吐くと、不安を振り払うように立ち上がった。


 向かうは部屋の隅。

 魔道仕掛けの時計に目をやる。


 時刻は午前9時。

 いつも通り、礼拝堂へ通う時間だ。



「リュネット様、今日も礼拝堂へ行かれるのですか?」

「ええ。もちろんです」

 近づいてきたネネに、迷いなく頷いた。


「我々カルディアの民は、大いなる神カルデウスのご加護あってこそ、今があります。祈りを欠かしてはなりませんわ」

「ふふっ、リュネット様ほど敬虔なお方は見たことがありませんよ」



 くすくすとほほ笑むネネの、数歩後ろで、不安そうに眉を下げるのはショーンである。

 彼は遠慮がちに踏み出すと、伺うように口を開いた。




「しかしリュネット様。お言葉ですが……」

「ショーン、構いません。どうぞ」


「輿入れ前とはいえ、貴方は伯爵夫人になる方です。下々の民と交流を持たれるのは控えてください。命に関わります」

「……あら。そうかしら」

「え?」



 間を置かずに答えたリュネットに、ショーンの丸まった目が返る。「どういうことですか?」と目で語る彼に、リュネットは一笑。穏やかな表層に、一抹の影を湛えて呟く。



「……逆ですわ、わたくしの場合は、きっと……」

「「……?」」



 伏目がちにこぼしたそれに、ショーンとネネは不思議そうに首を傾げるばかり。



 そんな彼らを横目にもう一度、くすりとほほ笑んだリュネットは、外套を手に取り歩き出す。



 ’種を埋めるのです。花が咲くよう祈りを込めて’。






リュネット・サルペント(17)


クルード・フォン・プレニウス伯爵の恋人。

伯爵夫人候補(当確)。

「ダルネス子爵に売られた妻」の烙印を背負うもの。


性格:虎視眈々。演技の女。

異名:能面の蛇

備考:絵がとても個性的







「リュネット、今日は良い日和だ。馬で少し遠くまで出かけないか?」



 穏やかな昼下がり、クルードが屋敷を訪ねてきた。


 長い金の髪に紺碧の瞳。鍛えられた立派な身体を覆うのは、彼の身分をあらわす胸当てに外套。


 まさに騎士のような装いで現れたクルードにリュネットは慌てて立ち上がると、窓際から彼に駆け寄り微笑みかけた。




「まあ。よろしいのですか?」

「もちろんだ。……長く一緒にいられる日は、そう多くないからな」



 その言葉と不器用な微笑みに、リュネットの心が跳ねる。

 彼が来ることは聞いていた。けれど、いつも少しの時間しか取れなかった。


 今日もそうだと思っていたのに、遠乗りなんて……



 

 嬉しい。嬉しい。

 心の奥に花が咲くようです。

 けれども同時に痛みも感じます。

 

 この方は、いつもこうですわ。

 わたくしの胸に甘い棘を刺し、離れないようにと痛みを残していかれる……




 胸の中を満たすように広がる、くらりとした感覚に目を細めて。リュネットは荷物を抱きかかえ、彼の隣に着いて歩き出した。






 





 貴族の逢瀬といえば、遠乗りである。

 馬車や馬を走らせ、ふたりだけの時間を楽しむのだが、侯爵や伯爵ともなればそれもなかなか難しい。


 だから今日は特別な日だ。


 遠乗りの先。カルネアの丘の木陰。

 風がそよぎ、草花の香りが漂う中、リュネットとクルードは馬を近くの樹に繋いでいた。



 馬の扱いには慣れていたつもりだったが、クルードの手際の良さには敵わなかった。もたもたしているうちに、彼は手綱をすばやく取り、手際よく馬を繋いでしまった。その鮮やかな動きに、リュネットの胸は高鳴った。

 

 思えばあの日から、こんなことばかりだ。

 彼の一挙手一投足に目が行く。

 綺麗な金の髪。紺碧の瞳。

 年上の余裕、武骨ながらも微笑みが柔らかく、目が合うたびに鼓動が早鐘を鳴らしていた。




 今もそうだ。

 どこまでも広がる青々とした草原を背景に、幹に背を預ける彼は、緊張感の抜けた自然体で有りながら、とても神々しい。片足を立て悠然と座っているだけなのに、どうしてこんなにも魅力的に見えるのだろう──



 そんな、余裕のクルードに緊張しながら。

 持ってきた本を鞍袋から取り出し、抱きかかえ、リュネットはすとんと腰を下ろした。



「リュネット、本を持ってきたのか」

「あら、気づいておられたのですか?」




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