59話 それぞれの片道心
ペトロも見たことのない、思い煩うような面持ちでアンデレはコーヒーカップを両手で包み、停滞しているヨハネとの関係の現状を話し始めた。
「おれさ。使徒になれて、本当に嬉しかったんだ。誰かを助けることでこんなに心って満たされるんだなって、実感してる。でもさ。おれ、肝心なヨハネさんを救ってないんだよ」
「でも。棺に囚われたヨハネを助けるために必死になって、助け出せただろ」
「確かに、あの時は嬉しかったよ。ヨハネさんと〈バンデ〉になったこと知って、これからはおれがヨハネさんのピンチを助けるんだって、気合いが入った……。だけど、おれ。〈バンデ〉として、致命的なことをできてない」
「致命的なこと?」
「ヨハネさんのトラウマを、知らないんだ」
「あいつ、お前に話してないのか!?」
初めてその事実を知り、ペトロとシモンは一驚する。まだ理解が浅いハーロルトも、まさかと話に集中する。
「使徒になるまで面識もなかったし、仕方なかったけど。引っ越して来てからも、ヨハネさんは事務所の仕事、おれは学校と職場に行って、帰って来ると復習とかするから、話す時間があんまり取れてなかったのもあるかも。だけど、ハーロルトさんのこともあったから、多分ヨハネさんはそれどころじゃなくなって……」
「ヨハネも、トラウマと向き合って気持ちの整理もあっただろうし。タイミングが難しかったのかもな」
アンデレの言う通り、お互いの仕事や学校、夜の時間の使い方───生活のリズムが違うことも要因の一つだろう。
だが。トラウマと向き合い、気持ちの整理をしなければならなくなったタイミングでの、〈バンデ〉の契約。そして、その後のユダとハーロルトの人格の入れ替わり。それによる、ヨハネの業務の多忙化……。恐らく、様々な物事が次々と重なり、ヨハネも話すことを後回しにしてしまっているのだろう。
アンデレは、さらに悩みを打ち明ける。
「理由はそれだけじゃなくて、おれ自身にもあるのかなって」
「アンデレくんにも?」
「改善もしてるけど、毎日のように迷惑掛けてるから。ヨハネさんは、こんなおれに呆れて、話す気にもなれないのかなって」
「だけどヨハネも、〈バンデ〉の成長には、トラウマの感情を共有することが必要不可欠だってことはわかってる。だから、アンデレからきっかけを作れば、話してくれるかもしれない」
ヨハネからのきっかけがなければ、アンデレから作るしかない。ペトロの過去を知るアンデレも、人のトラウマを第三者が覗く行為は、霜柱のように繊細なのはわかっている。しかもヨハネは、知り合いでもなく他人だった間柄だ。
使徒になりたての時のアンデレは、ヨハネが何を抱えているのか知りたがった。それは、仲間だから知る必要があると思ったからだ。だが〈バンデ〉となり、ヨハネのトラウマを知る必要性が重要だと聞かされてから、彼の心の傷を自分も半分抱えなければならない役割に、少し気が引けた。
それも、間近でペトロを見ていた影響だ。ヨハネの心の傷を、他人だった自分が触れるきっかけを作るのは慎重にならなければいけないと、アンデレなりに考えていた。
しかし、いたずらに時間だけが過ぎ、いつしかヨハネとの関係性に不安が芽生えた。
「そうかな……。ヨハネさんは、おれに話す気があると思うか?」
どんな状況でも積極的になれるはずのアンデレは、いつになく弱気になっていた。ヨハネの気持ちを忖度して、大きな一歩を踏み出すのをためらっていた。親友のそんな表情に、ペトロまで二人の先行きに不安が募ってくる。
「どうしたんだよ、アンデレ。いつもの積極的なお前は、どこ行ったんだよ」
「おれもさ、ヨハネさんと何となく距離を感じるんだ……。本当は、嫌われてるのかな」
「そんな態度を取られたの?」
普段見せない表情に、ハーロルトも心配になって尋ねる。
「そうじゃないっす。……あ、でも。そうなのかな。毎日イライラさせて、ストレス溜めさせて。いい加減にしろって、怒られたこともあるし。二度寝しても、起こしてくれることも少なくなったし……。おれ、見放され始めてるのかも」
「朝から疲れたヨハネの顔見ると、苦労してるのは見て取れるけど。それは、お前のためを思って厳しくしてるだけじゃないのか」
「でもさ。こんな世話の焼ける相棒なんて、みんなも嫌だろ。ヨハネさんはきっと、おれと〈バンデ〉になったのを後悔してる。だから、トラウマも話してくれないんだ」
アンデレは左腕のニットの袖を捲り、ペトロたちに見えるように前腕の裏を見た。〈バンデ〉となった日から、その名前は薄いままだ。
「ヨハネさんの名前、現れてから全然濃くならないんだ。これってやっぱり、ヨハネさんの心の痛みを知らないからだよな。戦いでいくら〈バンデ〉らしく戦っても、ヨハネさんの気持ちを理解してないと意味がない。おれは〈バンデ〉失格だ」
「アンデレ……」
冷めたコーヒーカップから手を離し、肩を落とし俯くアンデレ。まるで、燦々と照らす光を奪われ、朗らかな面差しを向ける対象を見失ったひまわりのようだ。
シモンはシモンで、トラウマに関する大事な話を隠され、ヤコブに疑心を抱き始めている。
二組の〈バンデ〉の関係に、暗雲が迫りつつあった。
「……二人とも。とりあえず、自分一人で考え過ぎるな。シモンはヤコブと、アンデレはヨハネと、ちゃんと話せ。で。また困ったら、オレたちを頼れ。な?」
関係性を安定させるには、お互いの気持ちを包み隠さず打ち明けるのが、一番の打開策だ。それをわかっているはずなら、これ以上の関係悪化は避けられる。
深く介入できず、相談に乗るしかできないペトロとハーロルトは、二組が以前の関係性に戻るよう祈るしかなかった。
その後。シモンとアンデレは、憂鬱そうにそれぞれの部屋に戻り、ペトロとハーロルトも気掛かりを部屋に持ち帰った。
「シモンくんとアンデレくん、大丈夫かな」
「最近雰囲気が悪いの、原因は二人だけじゃなさそうな気がする。ちゃんと話し合ってくれればいいんだけど……」
「僕たちが仲介するのは?」
「それもありかもだけど。さっきのお前みたいに、余計な一言で事態を悪化させるかもしれないし」
「……そうだね」
チクリと失態を刺されるが、十分に〈バンデ〉を理解できていない発言をしてしまったハーロルトは、今後は言葉選びに気を付けようと心に留めた。
「〈バンデ〉には、お互いにしか通じてない心の一本道がある。その道の途中に障害物があっても、完全に取り除くのはオレたちにはできない」
「見守るしかないってこと?」
「助言はしてやれるけどな」
ペトロはソファーに座って、テレビを観始める。偶然映ったのはバラエティー番組だが、今はあまり笑える気分でもない。
「……」
ソファーの側に立つハーロルトは、物憂げに画面を見つめるペトロを何か言いたげに見つめる。
そして、尋ねてみた。
「ペトロくんの心の一本道は、今はどうなってるの?」
「完全に、通行止めかな」
「気持ちの共有ができない相手がいなくて、寂しくないの?」
「仕方ないだろ。さすがに、どうにもできない」
その言葉遣いは、ハーロルトには投げやりに聞こえた。しかしペトロは、どんな状況だろうと自分が一度決めたやるべきことに手を抜いたり、いい加減には一切考えない。その言葉は、固められた意志の現れだ。
だがハーロルトは、その言葉が切なかった。
「あのさ……」
ハーロルトは、心中に生まれた気持ちを言葉にしようとした。けれど言い掛けて、一旦口を閉じる。
ハーロルトが何かを言い掛けて沈黙したので、ペトロは気になって振り向いた。
「何だよ」
その視線と表情は、どこか一線を引いている。中途半端な立場の同室の自分に、精神的に距離を置いていると感じる。
それでも、ハーロルトは言った。
「……僕は、心の一本道を繋いでもいいよ。きみと」
ハーロルトは、真摯な眼差しを向ける。その視線と交わり、ペトロは数秒無言になるが。
「無理」
無表情で顔を逸らし、付けたばかりのテレビを消して立ち上がる。
「お前は、オレの〈バンデ〉じゃないし」
ベッドルームから着替えを取って来ると、佇むハーロルトの横を無言で通り、バスルームに向かった。
(無理に決まってるだろ。お前とは、繋がるはずがないんだ)




