40話 できれば避けたいこと
その後。ちょっとだけ気不味い感じを引き摺りながら、ペトロは事務所の業務を手伝い始めた。
相変わらず、イベント参加依頼や、誕生日を迎える友人へのサプライズを手伝ってほしいなどの依頼メールが来る。親近感を抱いてくれているのは、本当に、大変ありがたいのだが、なんでも屋と勘違いしていないだろうか。
自然と背中が丸まり、パソコン画面に顔を近付けるペトロは、両手を使って一文字ずつゆっくり返信を打ち込んでいる。
「あのさー。オレやっぱ、こういう事務仕事向いてない気がするんだけど」
「しょうがないだろ。手伝えるのが、ペトロしかいなくなったんだから」
これまではヤコブが、アルバイト前に時間が空いていれば手伝ってくれていたが、開店前のシフトに入っていたアルバイトが一人辞めてしまったため、ティウブに頼まれて、今週から朝からのシフトに固定されてしまったのだ。休みの日も必ずいるとは限らなくなったので、頼れるのはペトロのみだ。
「オレだって、バイトしたいのに」
「だから。お前はバイトする必要ないだろ、って言ってるだろ」
「バイトはオレのライフワークなの、って言ってるだろ」
昼休憩になると、二人は近所のイタリアンレストランに行き、ゴルゴンゾーラのリガトーニと、牛肉が入ったトマトクリームソースのリガトーニ、サラダ二つをテイクアウトして、二階のリビングルームに上がった。
昨夜観ていたテレビ番組の話をしながら向かい合って食べているが、ヨハネは誰かとメッセージのやり取りをしていた。
「何してんの、ヨハネ。SNSのチェック?」
「いや……。あ。SNSで思い出した。ペトロって今、SNSやってないよな?」
「うん。全然」
「アカウント作らないのか? って、前から事務所公式に幾つか要望が来てるんだ。結構名前も知られて一定のファンもいるし、そろそろやってみないか?」
事務所では、公式アカウントの他はヤコブしかSNSをやっていない。シモンはまだ学生という観点から、誹謗中傷などから守るために控えるよう事務所の契約事項に記載していて、彼も規約を守ってくれている。
所属モデル一人だけやっているのもなんだか寂しいので、ヨハネは勧めてみるが、ペトロは一瞬も考える素振りもなく嫌そうな顔で拒否する。
「えー。オレ、そんなマメなことできないよ。呟くようなネタもないし」
「ネタなんて、何でもいいんだよ。ヤコブのSNS見てみるか?」
ヨハネは、ヤコブのSNSアカウントを見せてやった。
自分のカメラで撮った写真が多く、何気ない日常の街角や、雲が浮かぶ空や食べ物。シモンの隠し撮りや、もちろん自撮り写真も載せている。
投稿コメントを見ると、「今朝はめちゃくちゃ目覚めがいい! 今日の撮影は絶好調な俺で挑むぜ!」「最近、韓国料理の本当のウマさに気付いた! マッコリがあれば、無限サムギョプサルいける!」と、いかにも彼らしい。
「なんか、ヤコブっぽいな。韓国料理の本当のウマさって、なんだよ。無限サムギョプサル無限は、腹がはちきれるだろ」
「な? こんな感じで、適当でいいんだよ。深い言葉もいらないし、難しく考えることないし」
「でもなぁ……」
ヤコブの適当投稿を見ても、ペトロは気乗りしない。しかし、ヨハネがSNSを勧めるのには、ある事情があった。
「実は。ペトロの名前を語る、偽アカウントがあるんだよ」
「オレの?」
ペトロはSNSをやっていないとなぜか知っている、事務所のアカウントのフォロワーが教えてくれて、ヨハネもそれを知った。
そのプロフィールには「みんなを守る正義の使徒、ペトロです☆ モデル活動もやってます☆ みんなが応援してくれると、めっちゃ嬉しいな〜♡」と、絵文字満載で書いてある。
投稿内容はというと、「みんな、おはよう! 今日もみんなが幸せで過ごせますように☆」「辛くても大丈夫だよ! オレがみんなの心の中にいるからね☆」「今日は雨だけど、オレの笑顔でみんなをハッピーにするよ!」などなど。
「…………誰。これ」
ペトロは真顔になり、きれいな碧眼は死んだ目になった。
「引くよな。僕も、捏造し過ぎてて引いた。アイコンも、広告を加工したものだし。これでフォロワーが、六七人いるんだぞ」
「誰なの、フォローしてるの……。これがオレの偽者だって、みんな知ってるの?」
「事務所公式アカウントと、ホームページから忠告してある。『ペトロは一切SNSをやってません。偽アカウントとのやり取りで問題が発生しても、当方は責任を負いません』て。他にも幾つかあるらしいぞ。ヤコブも」
「いろんな意味で、すっごい迷惑」
フレーミング効果としては悪くはなさそうだが、ペトロにとっては悪質な印象操作だ。
仕事で付き合いがあるルッツたちなら嘘だと見抜いてくれるが、ほとんど接点のない一般人が見れば、これがペトロの本質だと思い込みかねないし、実物とのギャップにガッカリするかもしれない。
だが。公式に注意喚起はしてあるし、偽アカウントのこのフォロワー数なら、そんな問題は起こらないだろう。
「だから。偽アカウント対策のためにも、やらないか?」
ヨハネは副社長の立場からも勧めるが、ペトロは「うーん……」と唸り、やはり、あまり気が進まないようだ。
すると、ヨハネのスマホ画面に、新着メッセージの通知が来た。
「一応、頭の隅に置いといてくれ」
ヨハネは誰かとのメッセージをやり取りしながら、トマトソースのリガトーニを口に運ぶ。
「で。ヨハネはさっきから、誰とやり取りしてんの? 仕事関係?」
「いや。知り合い。前に、ヨガ教えてもらった人」
「あー。アンデレが一緒に行けなくて、拗ねてたやつ」
ペトロがそれを言うと、ヨハネはちょっと眉間を寄せた。
「そ。ジョギングが日課なのも一緒で、仲良くなったんだ」
「夕食の時もイジってることあるけど、その人とやり取りしてたのか。アンデレが隣で、横目で見ながら不満オーラ出してたぞ」
「部屋でもやり取りしてたら、構ってくれって纏わり付いてきたよ。別に普通だよな。アンデレだって、学校の友達とやり取りしてるんだから、それで不満に思われるのは理不尽だ」
眉頭を寄せ、不機嫌そうにヨハネは口にした。
些細なことで不満を募らせるのは納得いくとしても、それでも世話を焼いていて、それが急にケンカに発展するのはやはりおかしい。きっとヨハネが見放すなら、もっと早く見放しているはずだ。
気になるペトロは、尋ねてみる。
「……なぁ。最近、ちょっと空気悪くないか?」
「え? 換気はいつもちゃんとやってるし、空気清浄機も付けてるぞ」
「そういう意味じゃなくて。お前たち〈バンデ〉同士の雰囲気が、ちょっと悪くなってる気がするんだけど」
「そうか?」
ヨハネは平然とした口調で返し、フォークを刺してサラダを食べる。どうやら彼には、そんな自覚はないようだ。
「昨日だって、二度寝したアンデレのこと無視したんだろ?」
「あれは無視したわけじゃ……。相変わらず夢見が悪かったのと、朝食の準備があったからだ」
「でもアンデレ、ヨハネさんの裏切者ー! って叫びながら学校行ったじゃん」
「裏切り者は誤解だ。アンデレはそういうやつだって、ペトロが一番わかってるだろ」
「まぁ。勘違いとか、言い間違いとか、早とちりとか、よくするけど……」
「アンデレが慌てて出掛けて行くのは、もう日常じゃないか。呆れ返るのも通り越したよ」
「はは……。ヨハネの苦労は毎日のように見てるから、同情はするよ」
「呆れ返るのも通り越した」と聞き、これ以上ヨハネのストレスの元の話題を掘り下げるのはやめておいた。
「ヤコブとシモンも、なんか微妙な空気感じないか?」
「そうだな……。言われてみると、スキンシップしてる姿をあんまり見てない気がする」
「今朝は珍しくケンカするし。初めて、普通に言い合ってるの見た」
「僕が知る限り、あの二人はずっと円満だったんだけど。本当に珍しいよ」
ヨハネも意外に思っているようだが、アンデレのことで手一杯だからなのか、二人の仲を心配する口振りではなかった。
「でもさ。シモンも不満垂れてたけど、二人で過ごす時間減ってるっぽいよな。ヤコブは週に一度は、バイト先の店長と食事して帰って来るようになったし」
「でも。バイト先の人と食事するのは、別に普通にあることだ」
「店長でも?」
ペトロは、デリバリー以外のアルバイトはやったことがないので、勤務先の上司との付き合い方はよく知らない。父親は、会社の同僚や上司と食事に行くことはあったが、それと同じなのかと疑問に思い、訊いた。
「店長と二人きりは、あんまり聞いたことないかもな」
「そうなんだ?」
「うん。滅多にない気がする。社員じゃないのに二人きりの食事に誘われるなんて、気に入られてるってことかもな」
「あのヤコブが?」
「バイト先では、真面目に働いてるからな」
今のヨハネの言い方だと、語弊があるが。ヤコブは仕事で関わる人たちとの礼儀を弁えて、内と外で少しキャラクターを変えているだけだ。
「でも、シモンは納得してなかったぞ。ヤコブは、シモンのことちゃんと考えてやってるのかな……」
「大丈夫だろ。ちゃんと、シモンのことも考えてるはずだ。あの二人が仲違いとか、想像できないし」
「だといいんだけど……」
その、仲違いが想像できなかった二人が、ケンカをしていたのだ。それは只事ではないんじゃないかと考えるが、ヨハネは歯牙にも掛けない様子だ。
本当に大丈夫なんだろうかと、ペトロは二組の〈バンデ〉のこれからが気掛かりで仕方がない。
昼食を終え、午後の業務を始めた。
始めて二時間ほどが経った頃。事務所のチャイムが鳴た。
「悪い、ペトロ。出てくれないか」
書類の整理を頼まれていたペトロは、ヨハネに言われて来訪者を出迎えようと、扉を開けた。
「はーい。どちら様で……」
来訪者の顔を見たペトロは碧眼を見開き、一驚した表情で固まった。
「やあ。ペトロくん」
コートを羽織り、キャリーバッグを持ったハーロルトは、何事もなかったかのように微笑み、軽い挨拶をした。




