38話 再び会える日を
オイゲンは、妻のエミーリエと何度も話し合いを繰り返した。
なかなか曲がらないオイゲンの意思を柔らかくするのは、エミーリエでも困難だった。ヴァネサもハーロルトの味方で、オイゲンが理解するまでハーロルトも素っ気ない態度を取るようになった。
家族の中で孤立しかけたオイゲンは、已むを得ず、ハーロルトを再びベツィールフ州へ送り出すことに同意した。
その理由には、きっかけがあった。
ハーロルトから話があった、その日の深夜。オイゲンの書斎に突然、白髪の青年ヨセフが現れた。
「やはり、あなたの息子には責任感が芽生え始めていたようですね。血が覚醒する、いい兆候です」
相変わらず表情筋は動かず、瞳の赤と水色はただの色として感情を一切表さない。白髪だけは暖色のフロアライトを受けて、ほんのり暖かそうな黄色に染まっている。
デスクに座っていたオイゲンは立ち上がり、カーテンの前に立つ見張り番に、真っ向から意趣の瞳を向ける。
「また、盗み見ていたんですか。趣味の悪い神の使いだ。あなた方は、家族の幸せが壊れることを何とも思わないのか!?」
「何度も、同じことを言わせないでください。クアラデム家の責務の前に、人間の強欲など意味を成さないんですから。それに。ご子息があなたに幻滅されていることにも、まだ気付かれていないのですか? 完全に嫌われる前に、理解を示す姿勢に正した方がいいですよ」
「人の心もわからないあなたに、親子関係をとやかく言われる筋合いはない!」
するとヨセフは「わかりました」と、親子関係に口出しするのはやめると言った。だが。クアラデム家の見張り番の彼が、自身の役割を疎かにする手段に切り替えるわけがない。
「その代わりに、決断してください。あなたより素晴らしいご子息の意思を尊重して、ご自身で送り出すか。それとも、自分に連れ出されるか」
「なっ……」
強硬手段に出るのを厭わないと、サイコパス犯罪者と同じ思考をヨセフはさらっと言った。実際彼の思考は、それに近いのかもしれない。
「それは誘拐じゃないか!」
「誘拐になりますかね。今のご子息に自分の正体を明かせば、彼は自分に付いて来ると思いますよ?」
「……っ」
その可能性を否定できず、オイゲンは押し黙る。今のハーロルトなら、ヨセフの正体を知れば、責任感の種を芽生えさせ実を付けてしまうだろう。
「今一度、あなた方の先祖の罪科を思い出してください。自らできないのであれば、自分が思い出させましょうか?」
ヨセフはオイゲンに近付き、額に手を伸ばす。
「近付くなっ!」
オイゲンはデスクの上のファイルを投げたが、ヨセフの身体を擦り抜けた。後ろの窓に当たった衝撃でファイルのストッパーが外れ、挟んでいた紙が散乱する。
「では。ご自身で熟考なさってください。それでも拒むと言うなら、自分がご子息をベツィールフへ送り届けます」
「私の前から消えろ!」
「彼は、優秀な後継者になるかもしれませんね」
ハーロルトを見込んでいるセリフを言い残し、ヨセフは書斎から消えた。
このやり取りがあり、誘拐されるより自分の意思で見送る方がましだと、判断するしかなかった。
故に、心から了承してはいない。それに。エミーリエとヴァネサも、ハーロルトに危険が降りかかることはないと完全に信じているわけではない。
そして、出発の日。高い空に鱗雲が流れている。
地元民と観光客が往来するでフルスウーファー中央駅で、ハーロルトは家族に見送られる。
「ハーロルト。忘れ物はないの?」
「大丈夫。足りないものがあったら、向こうで買うから。ていうか。同じ会話、大学入学する時もしたよ」
「そうだったかしら」
「母さんは何か心配事があると、同じこと何度も訊いてくる癖あるよね」
心配事が頭から離れないエミーリエを安心させるように、ハーロルトはハグをする。
「心配だよね。ごめんね。でも前みたいに、急に連絡取れなくなったりしないから。ちゃんと毎日連絡するよ。何もなくてもするね」
「ええ。待ってるわ」
ハーロルトに言い残すことがないよう、次はヴァネサが約束を交わす。
「お兄ちゃん。あたしがベツィールフに行ったら案内してくれる約束、まだ果たされてないんだけど」
「あっ。そうだっけ?」
「そうよ! クリスマス休暇だと、今お金ないし無理だから……。来年二月の冬休みか、イースター休暇までに、旅費溜めて行くね! 約束!」
「わかったよ」
今度は約束を果たすよと、ヴァネサともハグをする。
「寂しい思いさせて、ごめん。今度のダンスコンテスト、見に行けないけど頑張れよ。ヴァネサのダンスはエネルギーに満ち溢れて、僕は大好きだ」
「絶対優勝して、メダル取った写真送るね。お兄ちゃんも、気を付けてね」
身体を離すと、ヴァネサはとびきりの笑顔で大好きな兄に応援を返した。
最後に、オイゲンと顔を合わせる。
言うことを聞いておけば、間違いなかった。けれど。違う世界を見て、今までにない感情が湧き、気持ちが擦れ違い、お互いに望まないかたちで再び離れることになってしまった。
「父さん。僕は、親不孝者になっちゃったよね」
だけど。嫌いになっていないことだけは、ちゃんと言っておきたかった。
「ハーロルト……」
「言うこと聞かない息子になって、ごめん。僕はきっと、父さんの理想の息子像を壊したよね。理想の息子になれなくて、本当にごめんなさい」
きっと、経験をする前までのハーロルトは、オイゲンの理想とする息子だった。言うことを聞くよう誘導して、思い通りの息子に育て上げるのではなく。思い遣りの心を持ち、誰にでも優しく、傷付けたり傷付けられることなく、彼らしく生きられるよう導いてくれていた。
ハーロルトは、オイゲンの自分への愛情を勘違いしたわけではない。その愛情をしっかり受け取っていたから、我儘を通してしまったことを申し訳なく感じていた。
愛する息子の中に混ざり合う責任感と罪悪感を、オイゲンも複雑な面持ちで受け止める。
「だが。行ってしまうんだろう?」
「うん。こんなモヤモヤした気持ちじゃ、この先を生きて行けないと思うから」
「いつか、帰って来るのか?」
「帰って来るよ。どんな姿になったとしても」
「どんな姿になってもって?」
その言葉の意味を知らないヴァネサは、無邪気に訊いてきた。
「髭まみれになってるかもしれないし。もしかしたら、すごく太っちゃってるかも」
「髭はまだ許せるけど、太ったお兄ちゃんは嫌かも」
ハーロルトはジョークで返し、ヴァネサとエミーリエから笑いが溢れる。それは、いつも家の中にある、これからも変わらない風景……。そうあってほしいと、やはりオイゲンは願わずにいられない。
「ハーロルト。そろそろ電車の時間じゃない?」
「うん。じゃあ、行って来ます」
「本当に気を付けて。いつでも帰って来ていいから」
「お兄ちゃん、行ってらっしゃいー!」
エミーリエとヴァネサに手を振り、ハーロルトはキャリーバッグを引いてホームへ向かう。
その背中を見送ろうとしたオイゲンは、少しためらってから追い掛けた。
「ハーロルト」
「何。父さん」
「大事なことを一つ、言っておく。全てが終わるまで、絶対に誰にも好意を抱くな。好意を抱かれても応えるな。それが異性でも、同性でも」
「よくわからないけど……わかったよ。覚えとく」
まだ、色恋ごとが絡んでいると思い込んでいるのか。好きな人くらいいて当然な年齢なのに、どこまで心配性なんだろう。
オイゲンの言葉をそんなふうに受け取ったハーロルトは、家族に見送られ、再びベツィールフ州へと旅立った。




