37話 父と息子─親離れ─
「父さんの心配事は、わかってるよ。僕が何を言っても、反対するんでしょ?」
「もちろんだ。お前を、ベツィールフに行かせるつもりはない」
「僕が、危険に飛び込むと思ってる? 僕にそんな勇気も根性もないことは、成長を見てきたんだから知ってるよね」
「お前は昔から、争いごとを好まなかった。協調性を大事にする、保守的な性格だった。そして、聞き分けのいい息子だった」
「そうだよ。僕は、ケンカとかは傍観するタイプだ。してるのが、友達じゃなければね。だけど。未だに“聞き分けのいい息子”は、かっこ悪いよ。そろそろ卒業しなきゃ」
オイゲンの面持ちは、心情をそのまま表したように固かった。一方でハーロルトの顔付きと話し方は、彼よりも余裕があるように見える。
「だが。保守的ならば、戻る選択などしないはずだ。お前に、あの街は相応しくない。戻っても、どうせすぐに帰りたくなるだろうから、行く意味はない。お前は、こっちで勉強を続ければいいんだ」
「すぐに帰りたくなるって……。それは父さんが望んでるだけで、僕は望まないかもしれないよ。一度は彼らの戦いを見てるから、危険も承知してるし。もう大人なんだから、自分で危機管理くらいできるよ」
「いくら危機管理ができるとしても、あの街ではすぐ隣に危険が潜んでいるんだぞ。お前はその時になっても、何もできない。使徒のような力はないんだぞ」
何がなんでもハーロルトを留まらせるつもりのオイゲンは、声音に圧が掛かり始める。
ハーロルトは正面から圧力を放たれても、踵すら浮かせない。ここでオイゲンを説得できなければ、恐らく強制的に地元の大学に編入させられる。
それならそれで勝手に退学してやってもいいが、遅れてやって来た反抗期で仲違いは望んでいない。だからこうして、母親と妹がいる場面で、腰を据えて落ち着いて話し合いたかった。
「それもわかってるよ。でもそれは、僕が無知だったからだ。危険に遭遇した時に自分がどう行動すればいいかを、教えられていなかったから。だから。目の前に悪魔が現れても、マグカップを投げるしかできない自分の認識を変えるために戻るんだ」
「お前は、ずっとここにいたいと言っていただろう。それに、嫌な思いもしたから帰って来たんだろ」
その通り。ハーロルトは、逃げ帰って来たのだ。戻るつもりなど、初めは毛頭なかった。
「また、同じ思いをするぞ。もしくはそれ以上の……」
しかしハーロルトは、「だけど」とオイゲンの言葉を遮る。
「それ以上の苦しい思いをしてる人たちがいるんだよ。悲惨な過去を引き摺って、それでも戦いながら生きてる人たちがいるんだ」
と、使徒のことを遠回しに言った。自分たちの代わりに人々を守っている彼らに、敬意を込めた眼差しで。
二人の話し合いを静かに見守り続ける母エミーリエは、以前と変わったハーロルトの雰囲気に、一人の人間としての成長を感じていた。
「確かに僕は争いごとは嫌で、協調性を大事にしてる。でもそれは、父さんの言うことを聞いて、父さんに守られてきたからだ。だから僕は厄介事は避けて、傍観者を貫いた。それは逆に取れば、ただの弱虫だ。これまでは、それでいいと思ってた。自分の平和が保たれれば、少なくとも自分の周囲だけは平穏だから。でも、それじゃだめなんじゃないかな。僕は、僕の周りの外で起きていることを体験した。ここにいていいって言ってくれた優しさは嬉しかったけど、どうしてか気掛かりなんだ。時々思い出す人が、今どうしてるのか」
それは、さっきも際立って姿が浮かんだペトロのことだ。街中などで目にする機会があるからなのだろうか、ふと思い出しては、一人になった彼はどうしているんだろうと、考えてしまうことがあった。
「まさか。その人のために戻ることが、本当の理由じゃないだろうな」
退屈そうに頬杖を突きながら聞いていたヴァネサは、兄の恋模様にアンテナを立てて「お兄ちゃんの好きな人?」と口を挟んだ。「ヴァネサ」しかし、エミーリエに黙ってなさいと注意され、また退屈そうに足をぶらぶらさせる。
オイゲンも女絡みなのかと勘違いし、眉間の皺を深く刻み声を荒らげる。
「そんな不純な理由で危険を選択するなど、あり得ん!」
「人を思い遣ることの、何が不純なの。僕はただ本当に……」
(本当に……)
怒鳴るオイゲンに反論しようとしたが、その先にどんな言葉を続けようとしたのだろうと、一瞬思考が止まった。
「……僕は、その人のことが心配なだけだ。お世話になったし、迷惑も掛けた人だから」
オイゲンは、テーブルクロスの上で拳を握る。
「納得できん! なぜ、そんな考えに至ったんだ! お前は、争いごととは無関係でもいいんだ! 傍観を続ければいいじゃないか! なぜ私の思いが届かない!?」
「父さん。さっき、僕は言ったよね。ケンカとかは、傍観するタイプだって。だけど、ケンカしてるのが友達じゃなければね、って。保守的と協調性は、今の僕の中では両立させるのは難しくなっちゃったみたいなんだ」
怒鳴るオイゲンの心底には、息子はこの世からいなくなってしまったのではないかという不安と、恐怖の時間が、針が止まった状態で沈んでいる。
それは、オイゲンのトラウマ。その感情の針をまた動かそうとしている自分は親不孝者だと、ハーロルトは少なくとも自覚していた。
「……私の跡を継ぐ約束は、どうなる」
「ちゃんと跡は継ぐよ。僕がするべきことをちゃんと見定めて、自分の心と会話して。そしたらいつか、父さんの代わりに跡を継ぐことになるだろうね」
「ハーロルト……」
その言葉に、オイゲンは愕然とする。人生の分岐点に立っていたハーロルトは、クアラデム家の宿命を背負う未来が訪れる道に、一歩進んでいるのだと。
退屈しながらも話を聞いていたヴァネサは、「へぇー」と感嘆する。
「お兄ちゃんがそんなに真剣に話すの、初めて見た」
「そんなことないだろ」
「ううん。絶対初めて。パパに反抗するのも、初めてだよ」
「そこまで覚悟して、戻りたいって言うなら……。私たちも、送り出せるように準備しなきゃね」
「お兄ちゃん。大学卒業したら、帰って来るのよね?」
「もちろん、帰って来るよ。その頃には、ヴァネサのダンスもプロ級になってるかな」
「SNSに動画上げるから、観てよ」
ハーロルトとヴァネサは、来るかもわからないお互いの未来の話をし始めた。
自分の意思に反したハーロルトの決意に、オイゲンの眉間の皺は消えない。テーブルクロスにも皺を作るその手に、エミーリエはそっと温かい手を添える。
「オイゲン。あなたの気持ちは、理解できるわ。またあとで、わたしと二人で話し合いましょう」
エミーリエは微笑んだ。その笑みの陰には、オイゲンと同じトラウマが眠っていた。




