91話 ヴィーダー・バイ・ディア10─空気を読まない─
夜明けが迫る、シュプレー川に掛かる橋の上。時折吹く冷気が積もった雪を撫で、耳や鼻の頭から熱を奪っていく。
しかし。夜明け前の厳冬が奪うのは、1秒毎の時間も同様だった。
「拒絶! 阻碍せん冥闇を抗拒する!」
防壁内でも感じる気温は大差なく、アンデレは凍えそうな気温に耐えながら、回転する刃の円盤〈氷野疼獄〉を〈護済〉でことごとく弾いていく。
「矢張り防御の一点張りかよ! それしか出来無いなんて、馬鹿の一つ覚えだな!」
ビビリの惨苦のトマスの性格は裏返り、瑠璃紺色の双眸は帳の中を躍動している。
「おれの力は防御だけじゃないし、バカかもだけどバカって言うな! お前に言われると何かムカつく!」
「馬鹿にされたく無いなら、他の芸も見せてみろよ! 有るならだけどな!」
暗い青色に灯る眼光が、獲物を狙って明星のように輝きを放つ。それに負けない輝きは、アンデレの中にも熱とともに存在している。
(ムカつく〜! でも、今は我慢だ! ていうか、こいつ。前もそうだったけど、顔半分隠してた三つ編み退かすと性格変わるんだな。どういう仕組みなんだろ……)
「それよりも今は、早くヨハネさんのところに……」
アンデレがトマスとの戦闘を始めて数分。ヨハネはまだ、辛うじて橋の欄干に立っている。だが、表情は先程までよりも思い詰めたように見え、いつそこから消えてしまうかわからない、一刻を争う状況だ。
防御をしながら、アンデレは視線をヨハネの方に移した。すると、その傍らには嫉妬のマティアの姿が。
「お前! ヨハネさんに何する気だ!」
「貴方には全く関係の無い事よ、勘違い野郎さん。トマス。アタシの邪魔にならない様に、ちゃんと仕留めなさいよね」
「あんたに命令されなくても、分かってるって!」
トマスが生意気な口調で言うと、マティアは黒髪を掻き上げ、顎を上げて金糸雀色の双眸で流し見する。
「何よ、其の口の聞き方。アンタの所為で、こんな面倒な状況に成ってるんでしょ」
「ぼくだけの責任かよ。此方の接近に気付かなかった、あんたの方が悪いだろ!」
「はあ!? アンタ、マタイに気に入られてるからって、調子乗らないでくれる!?」
「乗ってねぇし。勘違いして嫉妬すんなよ、見苦しいな」
「勘違いはアンタの方よ。マタイは仕方無く、アンタのお守りをしてるだけなんだから!」
「お守りじゃねぇよ! あんた等より一目置かれてんだよ!」
と、二人はそれぞれの標的そっちのけで口論を始めた。
(この状況でケンカかよー。でも。仲間割れしてくれたら超ラッキーかも!)
「いいぞー! もっとやれー!」
これは形勢逆転のチャンスありと、アンデレはつい心の声を口から出してしまった。
煽られたトマスとマティアは、人間如きが調子に乗るなと鋭い視線で一瞥する。双方から睨まれたアンデレは、ちょっとビビってぎゅっと口を閉じた。
「兎に角! 情報共有してあげてるんだから、ちゃんと役目を果たしなさいよね!」
「分かってるよ、半端野郎」
最後に余計な一言を言われるが、マティアはぐっと堪えた。
「情報共有?」
「お前の性格とか思考パターンを、教えて貰ったんだよ」
「個人情報流出だ!」
「流出って。お前は矢張り、自分の事しか考えてねぇんだな」
薄ら笑うトマスは、刃の円盤でまだ崩れそうにない防壁へ物理攻撃を継続しながら、アンデレの精神操作を始める。
「今、仲間を心配したばかりなのに、もう自分を守る事しか考えてない。こんな状況でも、仲間の事は二の次なんだな」
「何言ってるんだ。おれは情報流出に怒ってるだけだ」
「空気読めって話だよ!」
回転しながら防壁に斬り込んでくる威力が、一瞬強まった。アンデレは〈護済〉へ力を送り、防壁維持に傾注する。
「お前の相棒は可哀想だなぁ。望んだ訳でも無いのに、こんな外れを引かされて。其の上、世話を焼かされて、ストレス溜めさせられて。お前が相棒の事を此れっぽっちも考えて無かったから、相棒は又病んで、死の淵に立ってんだぞ」
「何度も言われなくてもわかってる。だから、ヨハネさんにはこれから謝る」
「此れからぁ? 馬鹿で自己中な人間は、呑気に人の死を待てるんだな」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
「今直ぐ詫びる気持ちは有るってことか。じゃあ行って来いよ」
トマスが右腕と左腕を振り上げると、振り袖のように伸びた部分が分離し、直径1メートルはある大きな刃の円盤が三つ作り出された。
「ぼくを倒せたらの話だけどな!」
両腕が大きく前に振られると、アンデレの前方と左右から回転しながら防壁を破りに掛かってくる。
「っ!」
防壁と回転する刃がぶつかり、鉄を裁断するような音とともに、互いの力が削れて火花が散る。
「後回しにしてる時点で、お前は大して相棒を心配してねぇんだよ! そんなお前の何を信用出来る? 言葉や行動以外に、お前は何で周りから信頼を集められる? 何も無いよなぁ? 言葉も行動も適当なんだから、信頼なんてされる筈が無い。そんなお前の存在に、価値を見い出せ無いんだからな!」
「確かに適当なとこあるかもだけど、お前が言ってることも適当だからな!」
「おれの言葉が適当?」
「情報共有って、ただ教えてもらっただけだし。又聞きも信用できないんだからな!」
「舐められてるなぁ……」
トマスの精神操作は、アンデレが考えているような単純なものではない。マティアから情報共有されたからできるやり方があるのだ。
「死徒を甘く見るし。周りにとって自分がどんな存在か分かってねぇし。『本当お前は何も学ばないよな』」
「それって。空気読まないから、迷惑掛けてるって言いたいのか。お前に指摘されなくても、改善しようと努力してるし!」
「『唯の努力だろ? だからまだ相棒に頼りっぱなしで、全然改善しない。相棒が同室だからって、甘えてるんだろ』」
「『そんなこと……』」
「『いい機会だから言っとくけど。誰もお前の面倒なんて見たくないんだよ! お前はその辺の餓鬼より面倒くさい!』」
「『おれ、そんな酷くない!』」
アンデレはその時、トマスとのやり取りの中の違和感にふと気付く。
(あれ。同じやり取りを、ヨハネさんとした気が……)
アンデレはヨハネとのケンカを思い出し、既視感を覚えて記憶を遡ろうとする。だが、トマスはそんな暇は与えない。
「『酷いんだよ! 空気は読まない。真面目に話を聞かない。相手が言ったことを曲解する。お前はずっと、思い違いをしてるんだよ。自分の都合のいいように物事を解釈してる。相棒に毎日迷惑を掛けていることを自覚して、反省しているように見せかけて、本当は相棒が迷惑に思っていないと勘違いしてるんだ!』」
「そんなこと……!」
「『気が合わない。性格も正反対。そんなやつと上手くやれるなんて、最初から思ってなかった』。相棒は最初から、お前に命を預けようなんて思ってない。『認めてないし、信用してない。いい加減なやつを、どう信用しろって言うんだ』。なあ。答えてみろよ」
「だから、それは……」
アンデレが気付いたように、トマスからの罵倒のほとんどは、ケンカした時にヨハネが言っていた内容と同じだった。マティアがヨハネの記憶から盗み、トマスにインプットしたのだ。
それに気付いたなら対処も可能なのだが、悪魔が憑依している状態でトマスから精神干渉をされているせいで、ケンカの際に傷付いた気持ちが甦り、思うように太刀打ちできない。
防壁に、僅かな亀裂が生まれる。
「お前がそんなだから、相棒はトラウマを打ち明けないんだよ。話してどうするんだ、ってな」
「お前がヨハネさんの代弁するなよ!」
「『トラウマがなくて、心が潰れそうなほど辛いことなんか一切経験していないお前は、何にも苦労なんてしてなくて、それなりに幸せに過ごして、何不自由なく生きてきたんだろ。そんな順風満帆な人生を送ってきたやつが、どうやって相棒の気持ちを理解するんだよ。相棒の何がわかるんだよ。楽しくて幸せな人生を送ってきたやつに、相棒の苦しみに共感できない。苦しみを1ミリも理解できるはずがない』」
「『そんなの、聞かないとわからないじゃないか』!」
相手がヨハネでもないのに、アンデレはムキになってケンカをした時と同じセリフで言い返す。
「『話しても、どうせ上辺だけの共感しかできないだろ! わかったつもりじゃ意味がないんだよ! 順風満帆な人生を送ってきたお前が羨ましくて憎たらしいよ。お前なんかに簡単に理解されてたまるか。大切なものを喪ったことのないやつに話すだけ無駄だ!』」
「おれに話すのは、無駄……」
本当のケンカではまだ言い合いが続いたが、傷付いたままのアンデレの心に同じ傷が重ねられた。
本来なら、〈バンデ〉の絆の力で撥ね除けられる程度の精神干渉だが、相棒となったばかりでケンカした二人の名前は、目を凝らさなければ読み取れないくらい薄くなっている。絆の力が微弱となっている現状では、総合的に見てアンデレは絶対的に不利な状況だ。
「そう。お前の情に訴えても無駄。冷酷無惨な本当の世界を知らない奴は、知った振りしか出来ない。だから、お前と相棒は相容れない。今後一生、死ぬ迄別世界の人間同士だ。相性最悪だから、それでも文句無いだろ」
脆弱化した絆のせいもあり、防壁の亀裂が広がっていく。集中力が欠如し始めたアンデレは、劣化した防御を立て直そうとしない。
精神干渉の効果が見えたトマスは、更に攻め込む。
「ああ、でも。褒める所は有るんじゃねぇか。空気を読まない天才で、仲間割れする天才でも有るよな。そんな奴が使徒だなんて、勿体無いなぁ。其の肩書きは、お前には一番相応しく無い。お前の居場所は、其処じゃないんだ。もっと相応しい居場所が有る筈だ」
「おれに、相応しい居場所……?」
「教えてやろうか? 孤立したお前でも、一人で生きて行ける方法」
三方向から襲う刃の円盤の猛襲で、防壁の亀裂が大きくなる。
(行ける!)
トマスは力を込め、亀裂に食い込ませる。そして、押し切られた防壁は破られ、三つの刃の円盤がアンデレに斬り掛かった。
ところが。
「なっ……!?」
トマスは驚愕し、目を疑った。
防壁を完全に破った筈なのに、杖を構えたアンデレにギリギリで円盤を止められた。回転する刃は、身体に1ミリも掠っていない。
「空気読まないって、本当にいろんな人に言われるんだけどさ。これも、空気読まない類に入るのかな?」
精神干渉をされ、脆弱な防御を維持していたはずだった。しかしアンデレは、わざと悪戯に気付かなかったというような調子で、気概に満ちた顔を見せた。




