90話 ヴィーダー・バイ・ディア9─本当のトラウマ─
身体のあちこちに怪我を負った姿で、突然シモンは現れた。しかも。デリックたちが倒れたのは、〈恐怯〉で撃ち抜いたからだと言う。出血多量と脳に酸素が足りていないヤコブは、情報過多で少々混乱した。
「助けに来たって。どうやって……」
「ギターの音が聞こえたから、辿って来たんだ。でも、辿り着いたのはいいんだけど、ガラスみたいな透明な壁があって入れなかったから、矢で穴開けたんだ」
どうやら。融合した棺の中の二つのトラウマの世界は、マジックミラーのような壁で区切られていたようだ。
「それよりもヤコブ、かなり酷い状態だよ。大丈夫?」
シモンは案じた面持ちで、ようやくヤコブの身体を心配した。今までなら、血塗れの姿を目の当たりにすれば狼狽えていたはずだが、一切取り乱していない。
血相を変えずに訊かれたヤコブは、不快そうに眉頭を寄せる。
「大丈夫なわけ……。ぐっ……ゴホッ! ゴホッ!」
無理に起き上がろうとしたヤコブは、吐血した。口を覆うが、指の隙間から漏れて芝生に血が滴った。
「ヤコブ!」
吐血に驚いたシモンはさすがに不安になり、介抱しようと近寄る。だが。
「来るな! お前が干渉するようなことじゃねぇ」
「でも」
「俺は今、裁きを受けてる最中なんだ。その邪魔をするんじゃねぇよ」
ヤコブは口の端から垂れる血を手の甲で拭い、自力で上半身のみを起こした。
ヤコブは、シモンの大して心配していない余裕な態度が癇に障り、腹立たしく思った。けれどシモンは、ケンカの仕返しで冷たくあしらおうとしたのではない。
その時。シモンが開けた穴が崩れ落ち、墓地の林だった景色はガラガラと音を立ててなくなった。そして、青々とした芝生の延長線上に、別世界の戦場が現れた。
「どうなってんだ……」
「ボクが穴開けたせいで、二つのトラウマの世界が繋がっちゃったみたいだね」
「もぉー。何て事してくれるんだよぉー」
ソファーに寝そべる引き籠もりのごとく影にだらりと横たわった姿で、やる気のない愚痴を吐きながら、シモンを追って来たタデウスが戦場の世界から現れた。
「君の所為で、バルトロマイの棺とおれの棺がくっ付いちゃうし。おまけに、君の非常識な行動で棺の境界が崩れちゃうし。滅茶苦茶だよー」
「お前が、獲物を遊ばせているからだろう」
ヤコブのトラウマ世界の方には、眉間に皺を寄せて不機嫌そうな憎悪のバルトロマイが姿を現した。
「お陰で、我の人形達が被害を受けたではないか」
「其れは二次被害だよ。おれは悪くないしー」
「お前が怠けているから、こんな事になったのだろう。其の怠け癖、早々に改善して貰わねば以降の計画遂行にも響くぞ」
「おれは、此儘変わる積もりは無いよ。気に入らないなら、やる気が有る皆でやりなよ。おれは、ハブられても気にしないからー」
「ならせめて、目の前の獲物だけは確実に仕留めろ」
「分かってるよ。此れだけはちゃんとやらないと、マタイに怒られちゃうもん」
タデウスは寝そべりながら、自身から黒いダート〈極霖無天〉を複数出現させた。表情と態勢はやる気が皆無だが、戦う意欲はまだあるようだ。
シモンは再びタデウスを迎え撃つべく、〈恐怯〉を構える。
「ヤコブ。さっきは助けたけど、ヤコブの邪魔をするつもりはないよ。ボクには関係ない罪だから」
「わかってんなら……」
「でも。言いたいことがいっぱいあるから、堕ちないでよね」
一瞬だけヤコブを見遣ったシモンの瞳は、ヤコブへ揺るぎない信頼を寄せていた。
ダートが真っ直ぐな軌道で飛んで来ると、シモンは光の矢を放って応戦しながら戦場の方へと消えて行った。タデウスも直ぐ様後を追い、二人の戦闘が再開された。
「……チッ。一言多いんだよ」
首の皮一枚残された状況から助けられたヤコブだったが、感謝の言葉は一言も出ない。出るのは、命を削る血液だけだ。
そんな愚かな姿の弱った敵を見下ろして、バルトロマイは言う。
「素直に、救助を求めた方が良かったのではないか?」
「誰が求めるかよ」
「其れは、覚悟が出来て居ると捉えて良いのだな」
バルトロマイは、二つの鎖鎌〈蛇蝎厭霧〉を自身から生み出し手にする。
治癒もできず未だ瀕死状態のヤコブは、腹の傷口を抑えながら斧を支えにしてどうにか立ち上がる。その目には、少し生気が戻っていた。
タデウスとの戦闘が仕切り直され、第二ラウンドが幕を開けた。
シモンは瓦礫だらけの街を駆け、灰になった車の陰や、外壁が崩れた廃墟に時折身を隠しながら、黒いダートを撃ち落とす。
戦場には、先程現れた人々がまだ存在していた。しかし、彼らは危険から逃げず、目でシモンを追い掛けている。
「ほら。同胞達が君を見てるよ」
「報復……」
「報復……」
「ほうふく……」
彼らは、シモンに向かって呪文を唱えるように、口を揃えて言い続ける。その彼らに、三発のロケットランチャーが放たれた。
「射貫く! 泡沫覆う惣闇、星芒射す!」
全て撃ち落とすが、背後から襲って来た黒いダートに腕や脇腹を割かれた。シモンは一瞬の痛みは気に留めず、回避とともに残りを撃ち落とす。
しかし、黒いダートはタデウスから無限に生み出され、立ち止まっている暇はない。
「ねえ。君は本当に、もうトラウマは怖くないの?」
「怖くないよ。ボクが恐れてるものが何なのか、わかったから」
「じゃあ、教えてよ。君は何が怖かったの?」
質問しておきながら、タデウスは攻撃の手を緩めない。シモンは仕方なく、回避と迎撃をしながら答えてやった。
「ボクが恐れてたのは死じゃなくて、平気で人殺しをする大人たちだったんだ。犠牲が出ることを知りながら、躊躇なくミサイルを撃って街を壊して、無関係の人の命を奪う。血を流して倒れてる人を見ても無視するし、まだ息があったとしても救助の手を差し伸べることすらしない。あの人たちは、目の前の目的と敵しか見てないんだ。目的を果たすためなら、人の命が何百何千てなくなっても何とも思わない。敵も味方も、戦争を始めれば犠牲を厭わない。戦争は正義だと勘違いして、殺人を犯してるなんて微塵も思ってない。そんな悪魔のような人間が、心底恐ろしかったんだ」
「そんな奴等を、恨んでるんでしょ?」
「恨んでるよ」
「復讐して、根絶やしにしたいと思うでしょ?」
シモンの頭上から、ダートの黒い雨が襲い掛かる。シモンは後退しながら撃ち落とすが、別の軌道を取った四本が脇から迫る。
急ブレーキを掛け飛び上がり空中から狙い撃つが、肩に一本刺さった。
「くうっ……!」
歯を食いしばって自力で抜き、投げ捨てたダートは霧のようになくなった。
「復讐したいよ。あんな人間、この世からいなくなればいいと思うよ」
「じゃあ矢張り、報復した方が良いよ」
すると。道の向こうから、鋼鉄の板がコンクリートを踏み付ける音がしてくる。悪路をキャタピラで乗り越え、一台の戦車が向かって来た。距離を取り停まった戦車は、ごく当たり前に大砲の口を人々に向け、発射態勢を取る。
「ダメだ!」
シモンは人々の盾になろうと、〈恐怯〉を構える。
ドン゙ッ!
緑色の巨躯を揺らすほどのエネルギーを放出し、火薬を積んだ鉄の塊が放たれた。
「射貫く! 泡沫覆う惣闇、星芒射す!」
身体に響く発射の重低音だけでも人間が敵わない威力だとわかる。だが、シモンは恐れずに、砲弾の発射と同時に大きな光の矢を正面から放った。
「そんなのじゃ無理だよ」
タデウスの言う通り、光の矢は砲弾の威力に負けて散り、シモンたちに直進して来る。
「防……!」
ドオォォンッ!
シモンは防壁を展開しようとしたが、間に合わなかった。着弾した砲弾は、爆音とともにコンクリートを蹴散らした。あたりは、硝煙と砂煙で満ちた。
「……っ」
コンクリートの破片を浴びたシモンは、頭から血を流しながらふらりと立ち上がった。防御が間に合わず、人々はどうなったかと後ろを振り向いた。
「……っ!」
守りきれなかった人々は、崩れた建物の瓦礫に潰されていた。近くに寄らなくても、手遅れだとわかった。同じ光景は、何度も見てきた。
だが、見慣れはしない。ブラウンの瞳は瞳孔を開き、青褪める。
それが、シモンの“スイッチ”となった。
その感情の機微を感知したタデウスはニタリと笑みを浮かべ、影の帯に乗ってシモンに近付く。
「何だー。もう怖くないって言ってたのに、まだ怖がってるじゃんー」
「これは違う!」
タデウスの指摘に、シモンは強く拒絶反応を示す。
「無理して強がってただけなんだね。そう言うの、痩せ我慢て言うんだよ」
「そんなことない! ボクは本当に、ちゃんと向き合えるようになった!」
「嘘吐かなくて良いんだよ。君と相互干渉が出来るおれには、ちゃーんと分かってるから」
タデウスは影の帯の中に消えたかと思うと、シモンの背後の影から現れ、耳元で囁く。
「君が本心の望みに素直になれるように、おれが手助けしてあげるよ」
そう言ったタデウスは、戦車とは反対方向を指差した。そこには、逃げ遅れて地面にへたり込む女性がいた。シモンの母親だ。
「お母さん……!」
「あー。大変だー。戦車が近付いて来るー」
タデウスがセリフを棒読みすると、停まっていた戦車がまた動き出し、母親に向かってキャタピラを回転させ始めた。
瓦礫をものともしない危険物を乗せた鉄の箱が、徐々に近付いて来る。
「敵の戦車だー。早く逃げないと、殺されちゃうー」
「お母さん! 逃げて!」
しかし、シモンの母親は動こうとしない。以前再現されたトラウマの時と同じ、逃げることを諦めてしまっている。
シモンは助けに行こうとするが、足が全く言うことを利かない。タデウスの影に縛られていて、身動きが取れなかった。
「何してるの! 早く立ち上がって!」
「わあー。どんどん近付いて来るよー」
「お母さん!」
タデウスはシモンの恐怖を煽る。これが幻覚だということを忘れるシモンは、心が焦燥と恐怖に覆われていく。母親を助けなければと、声が枯れそうなくらい叫び続ける。
「お母さん! お願いだから立って! 逃げてよ!」
「あー。もう駄目だー。完全に狙われてる。もう死んじゃうね」
タデウスがそう言った瞬間、身体に響く重低音が再び響いた。
放たれた砲弾は、母親のすぐ側に落ちた。
爆発とともに、母親は宙に高く浮く。そして、「べキッ」という音を立てて、シモンの数メートル前に落下した。母親は血塗れになり、腕や足は曲がるはずのない方向に曲がっていた。
糸が切れた人形のように、地面に転がった母親。屍と化した姿を目にし、強烈な動揺に襲われたシモンは放心状態となる。
「……お……おかあ、さ……ん……?」
「あーあ。死んじゃった。死んじゃったよ。どうしてかな? 誰の所為かな?」
「だれの、せい……?」
「ほら。あの戦車に乗ってる奴等の所為だよ」
タデウスは戦車を指差し、復讐の相手を教えた。シモンは、戦車に視線をやった。
しかし。その心に湧き上がってくる感情は、タデウスが期待したものではなかった。
シモンは、〈恐怯〉を手放した。弓は虚しい音を立て、消えてしまった。
「なんで……。なんで、こうなっちゃうの……。どうして……」
シモンの心に復讐心は生まれず、涙目で脱力し、地面に膝を突いた。
期待が外れて、タデウスは首を傾げる。
「あれー?」
(憎しみが大きくならない。戦争をする奴等が、怖かったって言ってたのに。憎しみが其奴等に向かない。何で?)
「うーん……。もう少し、揺さぶってみるかー」
シモンに報復という方法でトラウマを終わらせ、永遠に根を張る復讐心を植え付けて堕としたいタデウスは、追い打ちを掛ける。
「目の前で母親を殺されて、憎いでしょ。敵は、まだ彼処に居るよ。今なら仕返しが出来るよ。君の力で報復しなきゃ。憎しみを目一杯込めて殺すんだ。仲間の奴等も全員殺して、痛みを刷り込んで、此の世界をぶっ壊すんだ」
しかし、その誘導にシモンは首を横に振った。
「やだ」
「何で? 母親を殺されたんだよ? 街もこんなに滅茶苦茶にされて、報復しない理由が何処に在るの? 君には、報復する特権がある。其れは人殺しじゃなくて、正当な自衛だよ。君の正義を知らしめられるんだよ?」
それでもシモンは、首を縦に振らない。気力をなくし、項垂れたままだ。
ちょっとやる気を出していたタデウスだが、どういうわけか思い通りに操れず、見えていた決着がまた遠くなり、次第に苛立ちを募らせる。
「分かったよ。君の遣る気を、本気にしてあげる」
突如、項垂れるシモンの耳に、たくさんの悲鳴が飛び込んで来た。
顔を上げると、沈黙していた戦場に、人々が敵の兵士に襲われ逃げ惑う風景が広がっていた。背後からライフル銃で撃たれ、ミサイルランチャーを撃ち込まれて吹き飛ばされ、瀕死の状態でも容赦なく頭を撃ち抜かれていた。
老若男女、子供問わず、処刑場のように殺されていく。まさに、地獄絵図。
「此れでどう? 遣る気、漲って来た?」
「あああ……っ!!」
ところが、逆効果だった。シモンは叫び声を上げ、耳を塞いで蹲る。
「やだ……。もうやだ……! なんでなの! なんで……!」
これで完全に堕とせると思ったタデウスは、上手くいかずげんなりしてくる。
「えー。何では此方の台詞だよー。此れじゃあ、君を堕とせないじゃんー。どうしたら報復を選んでくれるのー?」
最後のやる気を出した苦労もなく、気力を奪われたタデウスは影の帯に身体を凭れ掛ける。
(でも。何だかんだで、精神的ダメージは結構与えられてるし。あと一押しすれば堕ちそうなんだよねー)
タデウスの思い通りにはなっていないが、見せた幻覚はシモンにとってはこの世の終わりと同等の絶望。その精神はかなり消耗しており、この状況を拒絶し、逃避を望んでいた。
「じゃあ。もう何でもいっか」
半ば投げやりのタデウスは、死んだ人々を蘇らせた。
「此れなら、精神的に殺せそうだし」
ゾンビとなった人々はシモンを囲い、腕を抱えて無理やり立たせた。その中には、腕が折れて血塗れの母親の姿もあった。
「一緒に楽になりましょ。シモン」
そして、二台の戦車の砲口を、生きる気力も失いかけたシモン向けられる。
「死が怖いなら、君自身が死ねば全部丸く収まるよね」
影の帯に無気力に凭れながら、タデウスはいよいよその瞬間を迎えた。
「さあ。屍の時だよ」




