92話 ヴィーダー・バイ・ディア11─死の淵で見るもの─
陰雲漂う墓地に、刃と刃が交わる金属音が何度も響いては土の中に消える。
斧と鎖鎌では、殺傷能力に差がある。しかし、赤い滴を撒いているのは、二つの鎖鎌の方だった。
使徒は、自分で自分の怪我を治癒できない。故にヤコブは、重傷の状態で憎悪のバルトロマイと対峙する他なかった。だが、さすがに無理な選択だった。深手では思い通りの立ち回りができず、二つの鎖鎌〈蛇蝎厭霧〉を斧の〈悔謝〉で弾くのが精一杯。反撃も、動き回ることもできないおかげで、余計な傷を増やすばかりだ。
「どうした。我とやり合う積もりで、立ち上がったのではないのか」
「くっ!」
自分を刺したデリックたちも、ナイフも、この痛みも、血も、全て幻覚だ。それがわかっていても、ヤコブの罪悪感が消えない限り、感覚が正常に戻ることはない。トラウマを克服するかバルトロマイとの決着が着くまで、消えることはない。
「手負いで何が出来る。そもそもお前は、償う積りで此処に居る筈だ。何故、武器を手にしている」
(そうだ。俺は、何で……)
「罪人は、大人しく罪を償えば良い!」
飛んで来た鎖鎌は、ヤコブの手から斧を弾き飛ばした。
「くっ……! ゴホッ!ゴホッ……」
斧が飛ばされる遠心力に負けたヤコブは倒れ、また芝生に血が落ちる。
影に二本の鎖鎌を収めたバルトロマイは、眉間の皺を増やし、無様に芝生に横たわるヤコブに紅桔梗色の双眸を向ける。
「抗うな、頑愚。先程の懺悔位では、其の手足の枷は軽くならんぞ」
「わか……てる、って……」
ヤコブは、腹の傷を抑えて蹲る。
出血は一時的に止まっている。恐らく、バルトロマイと一戦を交える気力が作用したのだろう。だが、それまでに多量出血している。痛みの他にも、身体がふらつき力が入らず、起き上がることもきつかった。
呼吸も苦しく、肩が大きく上下する。死にかけの身体で、なぜまた敵に立ち向かっているのだろうと、自分でも不思議だった。
(俺は、償うためにここにいる。俺の本性は、醜くて、薄汚くて、家族の信頼なんか簡単に裏切るやつだ。今まで、生きて罪から逃げようとしてきた。だけどもう、生きて罪悪感で苦しむのはやめるんだ。意趣返しをされて、血塗れになって、みんなの気持ちは十分身体に染み込んだ。俺は、全ての罪を認める。そして、兄貴にも、親父にも、おふくろにも赦してもらって、縛られた心を解放して、楽に生きるんだ……。なのに何で、抗おうとしてるんだ。俺は、普通に生きるに値しない、罪人なのに……)
「本当に分かって居るのか。所詮は罪人の戯言。そんな言葉では信用ならん」
(信用できない。か……)
自分がこの世で孤立している状況が突然おかしくなり、ヤコブは薄っすら苦笑いを浮かべた。
「分かって居るのなら、行動で示せ。此の場で自決して見せろ」
バルトロマイは、冷徹な一言を放った。
「……」
ヤコブは、頭の近くに転がっていた斧に目を遣る。そして、柄を掴もうと、血が付いた左手を伸ばした。
その時。
「……っ!?」
伸ばした左腕が、大量の針に刺されたような痛みを覚えた。
痛みの正体が気になったヤコブは、ジャケットの袖を捲った。見ると、腕に刻まれたシモンの名前が、消え掛かっている。
(消えそうだ)
そっちに意識が向かった時、ヤコブの耳に、近くて遠い場所から爆音が聞こえてきた。それまで隣の世界の存在なんか忘れていたが、飛んで来たミサイルランチャーが墓地の芝生と土を吹き飛ばし、その存在を再認識した。
「棺が融合してしまったお陰で、騒々しい事此の上ない。だが、タデウスもやるべき事はやっている様だ」
隣の世界を思い出したヤコブは、首を伸ばして顔を向けた。
不自然に繋がった戦場では、痛哭のタデウスを相手に、負傷しながら懸命に戦うシモンがいた。
「はは……」
(助けに来たって言ったくせに。ざまぁねぇな)
風が吹くと、戦場から硝煙と砂っぽい匂いがしてきた。それに混ざって、少し血の匂いもする。血の匂いは自分のものじゃないと、ヤコブはわかった。
「……」
ヤコブは、戦場で戦うシモンを目で追った。
抗戦する手段を持たない人々に戦車が狙いを定め、シモンは守ろうとするが、迎撃も防御も砲弾には敵わず、人々は瓦礫の下敷きになる。シモンは青褪め、愕然とする。
「何だー。もう怖くないって言ってたのに、まだ怖がってるじゃんー」
「これは違う!」
「無理して強がってただけなんだね。そう言うの、痩せ我慢て言うんだよ」
タデウスの揺さぶりに酷く動揺を見せるシモンは、どんどん追い込まれていく。追い打ちとばかりに、逃げ遅れ地面にへたり込むシモンの母親に戦車が迫る。
「お母さん……!」
「敵の戦車だー。早く逃げないと、殺されちゃうー」
「お母さん! 逃げて!」
シモンは声の限り叫ぶが、母親は動こうとしない。
「何してるの! 早く立ち上がって!」
「わあー。どんどん近付いて来るよー」
「お母さん! お願いだから立って! 逃げてよ!」
「あー。もう駄目だー。完全に狙われてる。もう死んじゃうね」
タデウスがそう言った瞬間、戦車が放った砲弾が母親のすぐ側に落ち、つんざく爆音と粉砕されたコンクリートとともに身体が宙に飛ばされた。そして、受け止めるものもない瓦礫だらけの地面に、異音とともに落下した。
「……っ!?」
その光景にヤコブは目を剥いて息を呑み、全身が総毛立った。
「……お……おかあ、さ……ん……?」
放心状態となるシモンは〈恐怯〉を手放し、涙を浮かべ、脱力して地面に膝を突いた。
「なんで……。なんで、こうなっちゃうの……。どうして……」
シモンへの精神攻撃はそれだけに留まらず、タデウスは多くの人々が殺されていく様をシモンに見せた。阿鼻叫喚の地獄絵図に堪えられなくなったシモンは、耳を塞ぎ蹲る。
「あああ……っ!! やだ……。もうやだ……! なんでなの! なんで……!」
シモンは、絶望を叫ぶ。まだ未熟な身体は、いつもよりも小さく小さく見えた。その姿は、いつかのニュースで観た、戦場の子供と同じだった。
(これが、シモンのトラウマ……)
以前、棺に触れた際に断片的に記憶は見たが、補完した想像を遥かに越えた凄惨な世界。相互干渉状態では精神崩壊を起こすほどだとは、わかっていたようで全く無知の世界だった。
「お前の仲間も、間もなく堕ちる。威勢良く介入して来たが、タデウスの精神干渉下では唯の子供だった様だな」
タデウスの仕事振りが気になり様子を見ていたバルトロマイは、じきに勝負が着くと見ていた。
ヤコブは、走る激痛を堪えて上半身を起こした。そして、バルトロマイの発言に反論する。
「……あいつは、ただの子供じゃねぇよ。生死の狭間を生き抜いた、立派な一人の人間だ」
「だが。報復の意思すら無いのは、犠牲になった者達の命を軽視している」
「報復だけが正しいわけじゃない、ってことだ」
血だらけの手で〈悔謝〉の柄を掴み、自分に引き寄せる。
「否。あの子供は、命の重さを理解していない。子供故に命とは何たるかを知らず、悪と天秤に掛けても、何方が尊重するべき物かを見極められていない」
「見極められてないんじゃない。見極めようとしてんじゃねぇのか」
「遅過ぎる。だから子供だと言うのだ」
斧を支えにしてふらつきながら立ち上がるが、息を止め歯を食いしばらなければ力が入らなかった。
「……あのさ。さっきからあいつを子供子供言うけど、一応成人してるからな。俺らと一緒に酒飲める年齢だし、中等教育学校通ってて俺よりも頭良いんだからな」
「嫌悪していた者を何故庇う」
「もしかしたら。嫌悪を向ける先が、間違ってたのかもな」
ヤコブは、口元に薄っすら自虐の笑みを浮かべた。その瞬間、バルトロマイはヤコブの精神状態に回復の兆しを感知する。
(此の使徒、精神状態が変化した?)
「確かに、あいつはガキだよ。でも。気持ちは俺らと変わらなくて、立派な志を持ってる。そんな俺の相棒を、侮辱するんじゃねぇよ」
ヤコブはバルトロマイを見据える。そのブラウンの瞳には、生気と覇気が戻ってきていた。予想外の出来事だが、バルトロマイは動じず、眉間の皺だけを増やす。
「其の汚い口で庇い立てするのか。出来損ないの人間め。己の罪を償う事も出来ない頑愚だと、今一度思い知らせてやろう!」
バルトロマイがそう言うと、倒れたデリックがヤコブの背後に気配なく現れる。
「加害者は、加害者の責務を果たすが良い!」
「そうだ。オレを殺した犯罪者め」
背後に現れたデリックに気付けなかったヤコブは、再びギターの弦で首を絞められる。
「ぐぅ……っ」
自分より背の高いデリックに首を吊られ、ヤコブは爪先立ちになる。弦を緩めようと首元をまさぐるが隙間がなく、掻いた跡が赤くなるだけだった。
「オレを憎んだ末に殺したやつが、正義の味方気取りか。今さら、善人になれるとでも思ってるのか。実の兄を殺した重罪を犯しておきながら、人を救うことでその罪をなかったことにしようとしてるのか。善人の仮面を被って、人を騙して気分よくなることで、罪を忘れようとしてるのか。そんなこと、赦せると思うか。恩を仇で何倍にもして返されたオレが、お前の今の生き方を見過ごせると思うか」
「兄、貴……っ」
「この世界に、大罪人の居場所なんてないんだよ。お前に相応しいのは、泣き喚きながら罪の後悔を叫んでも業火に燃やされ続ける地獄だ。こんな悪人にオレの運命を捻じ曲げられたのかと思うと、悔やんでも悔やみ切れない。お前への怨みを抱いたまま、あの世へなんか行けない。お前も死ななきゃ、オレは死に切れない」
「……っ!」
デリックの怨みとともに弦を締める力が強くなり、はっきりしてきたヤコブの意識もまた遠くなっていく。
「お前は、オレの全てを奪った。今度はオレが、お前の未来も命も奪ってやる」




