87話 ヴィーダー・バイ・ディア6─懺悔の時─
デリックからヤコブに、復讐という名のナイフが返報された。
「……っ」
ヤコブは足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ち、倒れ込んだ。
「……ぐっ……」
ナイフの刃は、腹部から半分ほど出ていた。ヤコブは柄を掴み、痛みの根源を自力で抜き、放り投げた。銀色の刃と鮮血が、黄緑色の芝生に落ちる。
「はぁ……。はぁ……。」
ヤコブは傷口を左手で抑えるが、脈打つ度に血が体外に溢れ、指の隙間から滴ってくる。呼吸する度に激痛が走り、歯をぐっと噛み締め、苦悶で表情を歪ませる。
刺傷され、まるで芋虫のような動きで苦しむ様子を、デリックは冷酷な目で見下ろした。
「どうだ、ヤコブ。僕からお返しをもらった感想は?」
ヤコブは頬を芝生に擦り付けながら、デリックに視線を上げる。その顔は、引きつり笑いを浮かべていた。
「……すっげー……びっくりした、けど……嬉しいよ……」
「嬉しい?」
「だって……これで少しは……兄貴の痛み、を……知れたから」
黙っていても血は溢れて来るのに、深く呼吸をしてしゃべると余計に出て来る。傷口を抑える手は、もう半分ほどが真っ赤だった。
「そうか。そんなに喜んでもらえるとは、思ってなかったよ」
「ビッグサプライズ、大成功……だな」
「いや。まだだ」
「まだ……?」
「サプライズは、まだ続くぞ」
デリックがそう言った刹那。
「ぐあ……っ!?」
今度は背中に、腹部と同じ痛みが走った。ヤコブは重ねられた激痛に悶え、右手で短い草を掴み、歯を食いしばって呼吸を止め、額を強く芝生に擦り付ける。
また刺したのは誰かと、呻きを押し殺しながら顔を上に向けた。
刺したのは、憎悪のバルトロマイが扮していたティウブにそっくりな、無表情の父親だった。
「これは、オレからのサプライズだ」
父親は、息子の血が滴るナイフを隣にいる母親に渡した。
「私からのサプライズも受け取って。ヤコブ」
母親も無表情で、より心臓に近い方を狙って、一切の迷いなく背中を刺した。
「あ"あ"……っ!」
三箇所を深く刺傷されたヤコブは、激痛に悶えることなく、ぐったりと芝生に横たわった。背中が、だんだんと鮮血に染まっていく。
ヤコブは、一点を見つめる。身体を動かす力はなかった。ここまでの痛みは、戦闘でもまだ経験していなかった。
激痛で普通に呼吸ができず、浅く短く繰り返す。ぱっくり開いた肉からは、脈に押し出されるようにどんどん血が溢れ出す。
「ふふ。喜んでくれたみたいで嬉しいわ。ね。アナタ」
「受け取ってくれてよかったよ、ヤコブ。突き返されるかと思ったんだがな」
両親は口元だけ笑い、表情は復讐心の鎖に固定されている。
致命傷を負い、ヤコブは瀕死の危機に立たされる。だが、嘘っぱちの笑みに対抗するように、無理やり負けず嫌いの笑みを浮かべた。
「はは……。まさか……親父と、おふくろまで……。サプライズ過ぎる、って……」
(まぁ、でも。当然だな……)
浅黒い肌が、1秒毎に血の気を引かせていく。唇の色も紫掛かってくる。
「お前が勝手に、僕への恨み辛みを募らせて発散させた分を返さないと、公平じゃないからな」
「あー……。だから、それなんだけど……。俺の言い訳……少し、聞いてくれよ」
「言い訳? 加害者の言い分を、被害者の僕が聞いてどうするんだよ。血縁者だから情に訴えて、無罪放免にしてほしいのか?」
「そんなんじゃないけど……。でも……。無罪放免じゃないけど……楽には、なりたい」
「いいよ。特別に聞いてやる。でも、最後だ」
「うん。それでいい……」
呼吸が苦しい。痛みはもう鈍く感じる。意識もぼんやりし始めた。自我を保っていられるまで、もう時間がない。そう悟ったヤコブは、地面に伏せたまま、集まってくれた家族に懺悔を始めた。
「あの日……俺の我儘な言動がきっかけで……兄貴は死んだ……。俺の言葉が呪になって……兄貴の運命を捻じ曲げた……。兄貴のことは好きだったし、尊敬してたよ……。でも……。俺にないものばっかり持ってて……親父とおふくろに褒めてもらえてるのが羨ましくて……妬ましかった……。その感情を抑えきれなくなって、兄貴を殺しただけじゃなく、アレンたちまで傷付けて、迷惑を掛けた……。自分のことしか考えてなくて、幼稚で短絡的だったって……思い返すと、恥ずかしいよ……。俺は癇癪持ちで、バカで利口じゃなかったけど……みんなに好きでいてほしくて、俺ができることを頑張った。でも……結果が伴わないことが納得いかなくて、苛立ちを募らせた……。それがあの日、爆発した……」
俯せた状態で呼吸をし辛くなってきたヤコブは、ギリギリ残った体力で重くなった身体を仰向けにした。広がる青い空から清々しさを分けてほしかったが、残念ながら、雨を降らしそうな雲しかなかった。
「世の中は、不公平だ。家族の中でも、平等なんてない……。俺がほしいものは、兄貴が全部奪ってく……。俺がどれだけ頑張っても、親父とおふくろは、ちょっとしか俺を見なくて……愛情のほとんどを、兄貴に捧げた……。あの家には、幸せよりも不満の方が多かった……。でも……兄貴がいなくなっても、俺は幸せにはなれなかった……。罪人になった俺には、実家も、地元も、牢獄のようなものだった……」
ヤコブの頭に、遠くなった故郷の風景が蘇った。そして、ふと思った。
「だったらいっそのこと、地元で公開処刑してもらった方が、よかったかな……。その方が、兄貴も、親父も、おふくろも、気持ちの整理がついたよな……。俺も、人生にきっぱり区切りをつけられただろうな……」
「犯罪者らしい言い訳だな」
「でも、これだけは信じてほしい……。兄貴のことは、羨ましくて、妬ましいと思ったこともあるけど……好きだったのは本当だ……。夢を応援してたのも、本当だ」
大事なことだからちゃんと目を見て伝えたかったが、ぼやけた視界を気力で少しばかり広げても、デリックの姿を見つけられず、気持ちを伝えきれない。そのせいではないが、デリックは冷然とした眼差しでヤコブへの懐疑を口にする。
「そんな言葉、信じられるわけがないだろ。あの日、全てを奪っておいて。父さんと母さんの希望も奪っておいて。お前の何を信じろって言うんだ。裏切られたのは僕の方だ。かわいい弟だと信じてたのに殺されて、嘘まで拡散されたんだぞ。お前なんて、嘘の塊じゃないか」
「はは……。そうだよな。そりゃ、当然だ……」
(最後だから信じろなんて、都合が良過ぎるよな。少しでも赦してもらって気持ちを軽くしてから裁かれたいなんて、罪人の分際で何言ってんだ。家族だからって、甘えようとしたのか)
「もう甘えられないって、出て来たのにな……」
故郷を離れると決めたきっかけは自分で作ったのに……と、ヤコブは自分に呆れた。
「言い訳は済んだか?」
そこへ、また別の人物が現れた。ヤコブは声だけでわかったが、最後に顔だけは見ておきたいと、首を伸ばして頭上に視線を動かした。
「アレン……。いないと思ったら、やっと来たのか」
人当たりが良いアレンも、怨恨で覆い被せた顔付きとなり、冷淡な視線を落としていた。
「オレもお前に報わないといけないから、それには何がいいか考えてたんだ」
アレンがそう言うと。
「痛っ!?」
誰も触れていないのに、ヤコブの手足に何かとても細いものが巻き付けられて縛られた。
(ワイヤー……? 違う。ギターの弦!?)
遠ざけていても、何度となくその目で見て触れてきたものなので、すぐにわかった。細いニッケル性の弦がきつく巻き付いていて、手首と足首の皮膚が切れて血が滲み出てくる。
「オレはこのくらいにしておくよ。仕上げはデリック、お前が」
「ああ」
アレンが空けた位置に、デリックが立った。その手には、手首と足首を縛っているものと同じギターの弦を持っていた。
デリックは弦の端を持って、肩幅くらいまで伸ばした。そして、両手でしっかり握り、ピンと張るように引っ張る動作をした。
「ぐ……っ!?」
途端に、ヤコブの首が締め上げられた。いつの間にか弦が巻き付いていて、首が持ち上げられる。自由を奪われているヤコブは、致命傷のせいで身悶えすることもできない。
「さあ。こっちへ来い、ヤコブ。同じところへは行けないだろうけどな」
「く……あ……」
(苦しい……。意識が、遠退く……)
景色がぼやけ、ヤコブの意識が離脱を始める。だが。脳に酸素が行き届かないせいか、ある種の心地良さを感じ始める。
(でも、これでいいんだ。これで、償える。背負ってたものを、ようやく下ろせる……)
長い間、苦しんできた。羨望が憎しみに変わり、憎しみが悲しみとなり、悲しみは消え罪悪感へとかたちを変え、自らが生み出した感情を誰にも言ってはいけないと、それをずっと抱え込んで生きてきた。変わらなければと思い、少しずつ努力した。けれど、罪悪感だけは変わることはなかった。
自分は赦されない罪を犯した。生き証人の両親がいることで、ヤコブの心に呵責を縛り付ける。両親がいなくなったとしても、一生呵責に苛まれ続ける。
だからもう、解放されたかった。苦しみを苦しいと感じられなくなるくらい、大したことはない。
「……」
ヤコブは目を瞑り、抵抗することなく身を委ねようとした。
その時。デリックの隣に立っていたアレンが、突然倒れた。
ドサッという音が聞こえても、ヤコブは何が起きているかはわからなかったが、アレンの次には両親も倒れ、そしてデリックも芝生に倒れ込んだ。
「ゴホッ! ゴホッ!」
その瞬間、首を締めていた弦が緩み、突然気道が確保されてヤコブは咳き込む。縛られた手足も自由になり、周りを見るとデリックたちが倒れていて、何が起きたのかと困惑する。
窮地の彼を助けたのは。
「ヤコブー!」
声がして見上げると、曇天の空の一部がガラスが割れたように穴が空き、その向こう側に、煙が立ち崩落した建物が少し見えていた。
その穴の下の林から、〈恐怯〉を手にしたシモンが飛び出して来て着地する。けれど、失敗して転がってしまった。
一体何がどうなっているんだと、ヤコブは唖然とする。
「シ……シモン……」
「ごめん、ヤコブ。ヤコブの家族とアレンさん、射っちゃった」
シモンは手を合わせて謝ると、立ち上がって服を払う。その身体は、あちこち傷だらけだった。
「何で、ここに……」
「何でって。助けに来たんだよ」
状況がいまいち飲み込めないヤコブに、シモンはキリッとした表情で言った。




