86話 ヴィーダー・バイ・ディア5─トラウマの欠片─
ヤコブとともに棺に囚われシモンは、痛哭のタデウスが創造した戦場に再び閉じ込められていた。
街の至る場所から炎と煙が立ち、昇った灰色の煙は空を覆い隠している。街の建物もことごとく破壊されて鉄筋が剥き出しになり、道は瓦礫で埋め尽くされ、燃えた車が何台も沈黙している。
灰色一色となった街に、逃げる人々はいない。硝煙と砂煙が立ち込める中、シモンはたった一人で敵対勢力の男たちからの攻撃を凌いでいた。
「射貫く! 泡沫覆う惣闇、星芒射す!」
狙い撃って来るミサイルランチャーを、シモンは〈恐怯〉の光の矢で何度も撃ち落としていく。空中で爆発しても、お世辞でも花火のような美しさや儚さはない。痛みや悲しみを呼ばないための破壊だ。
「此方にも居るよー」
正面のミサイルランチャーに集中していたが、横からタデウスの黒いダート〈極霖無天〉が散弾銃のように降って来た。迎撃に間に合わないと判断したシモンは後退して回避し、追い掛けて来るダートを半分撃ち落とした。
「っ!」
撃ち漏らしたダートはシモンの身体を掠め、空中で軌道を360度変え、再びシモンに向かって来る。正面から飛んで来る五つの細長い刃を、今度は撃ち漏らすことなく全て落とした。
「変だよなー」
タデウスは、自身の影の黒い帯をソファーのように使い、いつものようにだらりと空中で寛いでいる。
「何で君は、自分のトラウマの世界に没入しないのー? まだ克服してないよねー?」
「没入してるよ。でもボクには、やらなきゃならないことがあるんだ!」
「おれも、君の相手は面倒なんだけど、一応やらないといけないんだよねー」
後のことを考えてやる気スイッチは半分だけ入っているタデウスは、新たなダートを二十個作り出し、シモンを追い掛けさせる。シモンは跳躍し、崩壊した建物に飛び移り回避行動を取りながら、空中で身体を捻り狙い落としていく。
(タデウスとバルトロマイの棺が至近距離で同時に展開されたなら、たぶんヤコブもこの世界のどこかにいるはず!)
ヨセフの忠告を受けてペトロが提案した今回の作戦は、〈バンデ〉が一緒に戦えるステージを意図的に作るというものだった。わざと二つの棺が同時に至近距離で展開されるように仕向け、その中に〈バンデ〉の二人で入ってお互いのトラウマを体験し、上手く行けば絆が復活してトラウマも克服できると考えた。
ヨセフに相談した時、死徒の棺が至近距離で展開された場合、融合して一つになるかは五分五分だと言っていた。その五分の可能性に賭けて作戦を決行したが、今のところ計画通りにいっていた。
(一刻も早く、ヤコブを見つけないと!)
シモンは戦いながら辺りを何度も見回すが、自分の記憶にあるもの以外見当たらず、ヤコブのトラウマの欠片が見つからない。
(ヨセフの話だと、トラウマがミックスされるか、境界線で分離されるかはわからない。分離してる場合は、相手のトラウマの欠片が自分のトラウマの世界に落ちてる可能性がある、って言ってた。この場合だと、分離してるパターンだよね。だとしたら、どこかにヤコブのトラウマの欠片があるはず。それを探していけば、ヤコブに辿り着ける!)
タデウスのダートを撃ち落としたかと思うと、間髪を入れずまたミサイルランチャーが三発撃ち込まれる。迎撃し、足場の悪い地上に降りた瞬間には、戦車から砲弾が飛んで来た。
「っ!」
迎撃しきれず瞬発力で回避した。道に着弾した砲弾は、猛烈な破壊音とともにコンクリートと土を吹き飛ばし、新たな瓦礫を生産した。
シモンは、走行不能となった車の陰で衝撃を凌いだ。その僅かな暇でも、ヤコブへ辿り着く手掛かりを必死に探した。
(ヤコブ……)
そうして一瞬気を抜いた時、車に鋼鉄の黒い帯が突き刺さった。危険を察して離れようとしたシモンだが、駆け出して二歩で別の黒い帯が目の前に現れて地面に刺さり、行く手を阻まれた。間一髪、前髪を掠めただけだったが、あと一歩多かったら真っ二つになっていた。
「何処見てるのー? 没入してるなら、早く堕ちなよー」
「お願いされて、素直に堕ちると思ってるの?」
「思ってるー」
「言っとくけど。社会はそんなに甘くないよ!」
シモンは、余裕綽々の怠惰な敵ではなく、空に向けて光の矢を放った。落下する矢は一本から数十本に分裂し、雨のように降り注ぐ。タデウスは焦りもせず、光の雨の隙間をダラダラしながらのらりくらりとかわした。
「社会とか関係無いしー。て言うか。まだ学生の君に、社会の甘さを説かれたくないなー」
───こんな少年も使徒なのか。未成熟な身体付きで、なんとも頼りない。
───大人の社会を知らないお前が言ってることは、未熟な子供の我儘なんだよ。
タデウスの言葉で、ティウブとヤコブに言われたことをシモンは思い出した。未熟な子供というだけで、頼りないというレッテルや偏見を持たれ、一線を引かれた。まだ自分が子供なのが、悔しく思う。
「確かに子供だけど。社会なんてほとんど知らないけど。それよりも特殊な世界を知ってるし!」
シモンは光の矢を二回連続で放つが、これも簡単に回避される。
「特殊な世界って。此の戦場の事?」
シモンのすぐ側に、ミサイルランチャーが二発落下した。視界に敵の男たちの陰がなく油断したシモンは、迎え撃つことができなかった。
「くっ!?」
爆発で飛散したコンクリートの破片を、已む無く腕で防御する。しかし、それでは間に合わず、ダッフルコートの端は破れ、腕に掠り傷を負う。
「君にとって、此の戦場はどんな場所? 守りたい場所? 見捨てたい場所? それとも、矢張りぶっ壊したい場所?」
タデウスはまったりしながら、圧を掛けるように高所から問い掛ける。シモンは、屈折のない表情を怠惰の権化に向ける。
「戦場を守りたいとは思わない。でも、見捨てたいとも思わないし、壊してもいけないと思う」
「壊さないの? 此れを壊さないでどうするの? 君の居場所を奪って、父親も友達も奪って、生き残った母親の心を壊したのに。君だって、本当は物凄く心が傷付いて壊れてもおかしくなかったんだよ? そんな場所を、君はどうする積もりなのさ?」
タデウスからそう問われた次の瞬間、他には誰もいなかった戦場に突如悲鳴が上がり始めた。必死の形相で逃げ惑う人々も現れ、道端には死体が転がっていた。
タデウスはぬるっとシモンに近付き、背後で囁く。
「奪われたのは、君だけじゃ無いんだよ? 皆が何もかも理不尽に奪われて、皆が報復したがってる。でも、報復出来るのは君だけなんだよ。君は皆の代表だ。皆の代弁者だよ。誇り高い皆の指導者なんだよ」
爆音と金切り声の中、タデウスの声が一番素直に耳に入る。
「指導者……」
「君だけが、皆の無念を救える。君だけが、彼奴等に報復を赦されてるんだ。ほら。善人面してても、おれには分かるよ。君の腹の底には、全然錆びてない沢山の刃や銃が眠ってる。其れを使わないなんて、宝の持ち腐れだよ」
「でも。みんなにもあるんじゃないの?」
「有るけど、上手に使えるのは君しか居ないよ。君が先頭に立って其の力を奮って彼奴等を殺せば、皆が君に付いて行くよ。君が新たな指導者に成るんだ」
タデウスは、シモンに憑依している悪魔の力が上手く働くよう誘惑する。シモンはトラウマの世界に没入していないと言ったが、悪魔が憑依し、タデウスと相互干渉状態になれる棺の中では、自我を保つのは容易ではない。
「ボクは……」
シモンは、〈恐怯〉を強く握った。そして、徐に灰色の空に向かって構え、光の矢を放った。
矢は上空で幾つにも分裂し、目標に向かう。その全ては、真下のタデウスに向かって降って来た。
「わあっ!?」
まさか自分に向かって来るとは思っていなかったタデウスは、焦って回避する。しかし、乗っていた影の帯に何本か貫通し穴が空いた。
「変だな。お前の言葉に誘導されないないみたい」
「嘘だ。そんな筈無いよ」
自分に有利な状況のはずが、思い通りに運ばない。やる気のなさには折り紙付きのタデウスも、さすがに少しずつ苛立ってくる。
「ボクも意外だよ。案外、気持ちの整理ができてたのかも?」
「彼奴等は死んで当然なんだよ? 彼奴等を打ち殺せるのは、今後絶対に無いんだよ!?」
「人を殺すのは、世界一の勘違いをしてる人だけだよ。ボクは何があっても、目の前に仇がいても、勘違いだけはしない」
「何言ってるの? 君の殺人には正当性が有るんだよ?」
「それに、僕の中の刃や銃が宝の持ち腐れ? その審美眼、間違ってるよ。とっくに錆びてるものに、価値なんてないし。あとさ。指導者って聞くと、ムカついてくるんだよね!」
シモンは〈恐怯〉をタデウスに向けて構えた。タデウスも、黒いダート〈極霖無天〉を自身の影から多数作り、シモンを狙う。
そして、二人の矢が同時に放たれた。複数の矢を放ったシモンは、ダートを撃ち落とすとともにタデウスを狙うが、掠り傷を負う。タデウスも影の帯で防御するが、数本の光の矢が鋼鉄の壁を貫通し、腕と頬を掠めた。
不名誉な負傷にタデウスの敵愾心もふつふつと湧き、常磐色の双眸にも鋭さが表れ始める。
「彼奴等を殺せなかった事、死んでから後悔しても知らないよ」
「きっと後悔するかもね。でも今は、それよりも後悔したくないことがあるから!」
矢の応酬が始まる合図は、シモンの一歩目だった。
五本の黒いダートが地面に刺さり、残りのダートはシモンを追い回す。シモンは左右に蛇行し狙いを定め難くさせ、灰色の壁を登って行き、足が離れた瞬間に身体を捻って漏れなく撃ち落とす。
タデウスは、1秒の休憩も与えずシモンを串刺しにしようとする。矢継ぎ早の攻撃にシモンは懸命に対処し、どうにか互角の応酬を続けた。
そんな、気を逸らす余裕もない状況の中。シモンの耳に、楽器の音が聞こえてきた。
(楽器の音……?)
弦を引くその音は、ギターの音だった。曲が奏でられているのではなく、ランダムに三音ずつ引いていて、どこか拙く聴こえる。
(何だか悲しげで、心が痛むような音だ……。でも、ボクの記憶には戦場でギターなんて……)
「そっか。これが、ヤコブのトラウマの欠片!」
そう。まさにこのギターの音が、ヤコブのトラウマの欠片。この音を辿って行けば、ヤコブが囚われているトラウマ世界を見つけることができる。
「又、気が逸れてるよー」
刃を鈍く光らせた複数のダートが、弧を描いて落ちてくる。シモンは、迎撃しつつ大きく後退した。
「ごめん! ボク、行かなきゃならないから!」
(向こうの方からだ!)
ヤコブ優先のシモンはタデウスを放り出し、ギターの音が聞こえる方へ走り出した。
「ええー。何処行くのー? 君を放棄すると、マタイに怒られちゃうんだよー」
先程まで逃げ惑っていた人々は立ち止まり、死体も起き上がって、口々に「報復、報復」と冀う。
(ごめん。ボクが今一番救いたいのは、別の人なんだ!)
「待ってて、ヤコブ!」
しかし、シモンは振り向かず、ヤコブの元へ急いだ。




