第29話 条件
トキの部屋でテーブルを囲んでいた3人のところにルーネが転がり込んで来たのは、10の刻を少し回った頃だった。
肩で息をしながら言葉を探すルーネに、エレンがニヤつきながら、真新しい麦酒のマグを勧める。
ルーネが一気にそれをあおると、エレンからは口笛が、キャシーからは喫驚の声が漏れた。それもそのはず、ルーネが酒類に手を着けること自体、非常に珍しいことなのだと二人は知っていた。
「やるじゃねえか、ちっとは飲めるようになったか?」
「走ってきたから喉が渇いてたんだよ!やっぱあんまり美味しくない!」
ルーネは手を叩きながら爆笑するエレンをひと睨みし、キャシーとトキの方へ向かって静かに話し始める。
「不味いことになった、流石にこれはどうしようもない。トキ、棄権しよう、君の命が危ない」
トキもキャシーもまるで意味がわからなかった。隣でようやく笑い終えたエレンも、当然、同じ感想だった。
「待てよ、暑さで頭おかしくなったのか?こいつなら負けねえって言ったろ、いい加減信じろよ」
「……あぁ、ちょっとは信じてもよかった。『得物を持ち込んでの勝負』ならね」
それを聞いてここにいた全員の顔が引き攣る。
「ねえ、それって……」
「あぁ、書類にサインし終えて、場所は東に30分のところにある闘技場、時間は昼の0の刻からってことを聞いたあと、忘れてたかのように抜かしてくれたよ。武器は持ち込めない、己の手足だけで戦えってことらしい」
ガタンと音を立てて立ち上がるエレン。キャシーとルーネが、それに素早く気付き、飛びついて止めた。
「放せ!野郎共、そこまで性根が腐っていやがったか!」
「落ち着けよエレン!君一人行ったってどうしようもないだろ!」
「うるせえ!こうなりゃ高等法院の連中皆殺しにしてあの盗賊の頭を取り返す!俺とアルネがいれば、やってやれねえ相手じゃねえ!」
ここまで静かに目を瞑って聞いていたトキがようやく口を開く。それは、今まで以上に落ち着いた声だった。
「なあ、エレン。信じろって言ったのは君だろ?だったらさ、最後まで信じてよ」
「あ?なんだと?」
振り向いたエレンの目に宿った殺気に圧されそうになる。だが、一呼吸すると、確かに言葉を紡ぎ出す。
「黙って俺を信じろって言ってるんだよ。それとも、怪我した君でも、得物なしでの戦いなら万全の俺にでも勝てるって思ってる?」
目の殺気が更に強まる。エレンを掴んでいたルーネとキャシーにも、それと気付くほどに。しかし、ふっとそれが消え、エレンが笑った。
「いいねぇ。昨日言ったこと、掴んだんだな?」
「あぁ、バッチリ」
ルーネとキャシーをどけると、椅子へと座り直す。
「昨日言ったが戦場で二番目にやっちゃいけないのは、自分を過小評価することだ。その点は、クリアしたみてえだな」
「お陰さまでね」
「そうか、それは重畳。昨日言ったあの言葉の意味はな──」
「それは聞かないでおくよ。これは、俺なりに出した結論だ。結果は、君の目で見て欲しい」
一瞬キョトンとした顔でトキを見つめる。しかしすぐにそれは、悪戯っぽい笑みに変わる。
「言うじゃねえか。それじゃ俺たちから言うことはないぜ。お前らも行こうぜ、しばらく集中させてやろう」
「でも……!」
「いいからいいから。じゃ2時間くらいしたらまた迎えに来るぜ、飯はいるか」
「あぁ、頼んだよ。これ、結構時間忘れちゃうからね。飯は大丈夫、短い戦いだろうから、食べない方が集中できる」
親指を立てると、文句をぶつけるルーネを黙って連れていきながらエレンたちが部屋を出ていく。
バタンと音を立てて閉じられたドアを見ながら、トキはまた床に座り足を組むと、深呼吸する。さてどうやって闘うか、我ながら無謀にもほどがあるな。そんなことを思いながら、また自分のなかを深く潜っていく。
約束通り彼らが来たのは、11の刻を回った頃だった。
「迎えに来たわよ。馬車を待たせてあるから、支度して下に降りてきてちょうだい」
ドア越しの声を聞いて、立ち上がりドアを開けると、3人の顔があった。相変わらずムスッとしたルーネと、ニヤついているエレン、そして疲れた表情のキャシーのコントラストが、いつになく可笑しく思えた。
「ああ、支度なら十分だ。さ、行こうか」
馬車に揺られながら外を見ると、人々の熱気と活気が伝わってくる。
50年ぶりの決闘裁判を楽しみにしている者、賭けに興じる者、露店を巡る者、様々な者がそこにはいた。
「それにしてもルーネ、そのローブは暑くないかしら。なんで着ているの?」
「そうでもないよ、僕は特に水を主元素として扱う魔術師だからね。このローブ、周囲のマナを集める力に長けてるから、少しくらい涼むのにマナを無駄遣いしても大丈夫ってこと」
「それは本当に大丈夫って言うの……?」
キャシーの真っ当なツッコミに小さく吹き出すトキ。つられて皆が笑い出す。
少しばかりあった緊張も、完全に吹き飛んだ。
「それにね、今回は僕が宣誓者だからさ、少しでも観客を味方に付けておきたいのもあってさ、やっぱり国定魔術師のお墨付きって大きいじゃない?」
「観客を味方に付けてなんか意味あるの?」
「そりゃそうでしょ、やっぱり歓声の中闘うのと、アウェーの中闘うんじゃ、気分も違うと思うよ?」
「あぁ、それは間違いないぜ、トーナメントでも実力をその場の空気がひっくり返しちまうことは少なくねぇ。ま、俺は罵声浴びせられたところで負けやしねえがな」
「誰もあんたのことなんか聞いてないわよ。でも、なるほどねぇ……」
そうこうしてるうちに、馬車は闘技場へとたどり着く。どうやら、ここが裏門らしかった。
「ルーネ・フェブルウス。被告人の代闘士、トキ・フジシロを連れ、裁判に臨みに来た次第です。お通し願いたい」
門番も、胸章を見て無言で門を開ける。やはりどこであろうとこの胸章は魔術師、ひいては貴族の証。その効力は絶大といったところか。
待っていた案内人に連れられ、選手と家族の控え室に通される。その昔、代闘士というのが血族に限られていた頃の名残なのだと、キャシーが得意気に語ってくれた。
「では、また半刻後にお呼び致します、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
そう言って案内人が去っていたあと、トキがゆっくりと目を閉じたのが、他の3人にはわかった。
ルーネはその場の空気が、無性に嫌で仕方なかった。言葉では言い表せない疎外感に、息苦しささえ覚える。
それから逃れようと、思わず何か、何でもいいから、口に出そうとする。しかしキャシーとエレンが、同時にそれを目で止めた。
息の止まりそうな静寂の中、静かに時が流れていく。
四半刻程過ぎた頃、会場に民衆が入ったのか、遠くからざわめきが聞こえてくる。ルーネはその音でようやく息が吸えた気がした。
隣を見ると、トキもまた伸びをしていた。どうやら瞑想を終えたらしい。
「もうそろそろかな?」
「うん、多分そろそろだと思う」
そんな会話をするや否や扉が開く。
「トキ・フジシロ様、お時間でございます」
「うん、わかった。案内してくれ」
キャシーとエレンもまた、トキについて行こうとしたが、案内人が静かにそれを咎めた。
「お連れの方の場内への立ち入りは代闘士推薦人の1名様のみとさせていただいております、他の方々は二階の観覧席へとお進みくださいませ」
「そっか……じゃあね、トキ。絶対、勝ってきてよ」
「うん、任せて」
その言葉は自らを鼓舞するでもなく、キャシーに言い聞かせるでもなく。そこにはただ、当然のことをしてくるだけという自信があった。
「楽しんでこいよ、お前の答えを見せて貰うぜ」
「ああ、期待しててくれ」
そうして去っていくトキの背中は、二人には随分と大きなものに見えた。
二人も遅れて、観覧席へと移動する。確かにそれは特等席とでも言うべきか、闘技場が端から端までよく見えた。
しばらくすると、執行人が現れた。ローブを深くまで被っているせいか、その表情まで読み取ることはできない。
「ただいまより、神の御名のもとに神明裁判を始める。被告人名省略。原告はトロイの街を代表して代官ナタニエル。罪状は国領への略奪。裁判法は決闘裁判とする。両者の代闘士、ここへ」
羊皮紙を高らかに読み上げる声は、先日聞いた女執行人のものだった。
喧騒が静寂へと変わる。いよいよ、決闘が始まる。




