第26話 雨上がりの街
「でも、『スランジの井戸水』は基本的には傷のケアにしか使えないわよ。痛みを止め、傷口を塞いで、再生を促し、感染を防止する。だから、感染症や毒なんかには効果がない。例えば、最近人間に流行ってる黒死病なんかは治せないわ」
「そうなのか……踵のスジを切られちまったんだが、『アルミドの涙』の方がいいのか?」
「あー、あれはしばらくは手に入らないわよ。私も、母から貰ったあの一瓶しかまだ見たこともないくらいだわ。それに、あったとしてもスジには効くかはわからないわね。あれって基本的には致命的な毒や瘴気に犯された時に使うようにって母から渡されたものだし」
「そうだったのか、改めてあの時はそんな貴重な薬をもらってしまってすまないな」
「もういいって言ってるじゃない、済んだことは忘れましょ。で、踵のスジを切られたんだったわね、アキレウスだったら死んでるわよ」
「なんのことだ?」
「ジョークよジョーク、わからないならいいの。それにしても、なんであなた踵のスジを切られて立ってるのかしら、やっぱりあなたティターンか何かなの?化け物に片足突っ込んでるわ」
「それでもやっぱり今でも走ると激痛だぜ。それで、何かいい薬あるか?」
「激痛で済むのがおかしいのよ、普通半年くらいは立てないものよ。ま、もうあなたの体質はいいわ、とりあえずちょっと待ってて」
そういうと手元にある幾つかの箱から、とりわけ質素な箱を空けて調べだす。エレンが少し覗くと、見たこともないような何かの塊や、様々な色の薬が小瓶に入っているのが見えた。その中から幾つかの瓶を取り出してエレンの前に並べる。
「私も正直薬については詳しくはないけど、怪我の時に使えって言われてた薬はこの3つね。でも、基本的にはどれも痛みを和らげるのと再生の促進だけよ……あ!あれを忘れてたわ」
そういうと再び箱から、今度は白く小さな塊が幾つか入った小瓶を取り出す。
「『火蜥蜴の骨』よ。普通死ぬと灰になる火蜥蜴を生きたまま捕まえて、骨を抜くの。これは逆に怪我の痛みが半日近く倍増するけれど、その後は痛みが消えて、怪我も多分治るわ。ただ本当に激痛だし、私これほんとに嫌いだから忘れてたのよね。でも薬効は確かよ、前に足を挫いて立てなかった子が、これを使って2日後にはもう一緒に遊んでたくらいだもの。でもこれ、ほんと死んだ方がマシかもってくらい痛むのよね」
なるほど、治りさえすればいい今回にはうってつけの薬だとエレンは思った。しかし少し別の考えが頭をよぎる。
「なるほど、ちなみに肋だとどのくらいで治るんだ?」
「私も医術者や癒術者じゃないからわからないけど、基本的には変わらないんじゃないかしら?1,2日もあればもとに戻ると思うわ。指が折れた子も、少なくとも3日後には治ってたみたいだし」
「相変わらず凄い薬だな、それだけ何でも治せるなら行商なんかやってないで薬売りにでもなった方がいいんじゃないか?」
「なんでもは無理よ、そんなに万能じゃないわ。それに『スランジの井戸水』みたいな薬は私でもそうそう手に入るものじゃないのよ」
「そういうものか。ま、でもこれで今回もなんとかなりそうだ。それで、代金は?どうせすごい値段なんだろ?」
彼女は言葉につまった。実は値段なんて考えてもいなかった。たしかに、火蜥蜴の骨粉は人間界では知る人ぞ知る霊薬である。しかし、深い森にあってその存在事態が危険因子となる火蜥蜴は、アールヴの子供達にとってはいい小遣い稼ぎくらいの感覚で狩るものだった。
繁殖力もそこそこ高く、コツさえつかめば生け捕りも出来るこの生物の骨など、正直ウェンピツカにとってはたいした品でもないのだ。どちらかというと自分たちで困ったときに使うような、常備薬のようなものである。
そうだ、いっそ、と思い切って逆に聞いてみる。
「じゃ、じゃあさ、あなたならこれ、いくらで買う?」
「そうだなぁ。安く見積もっても80リーヴルは固いからなぁ。100リーヴルくらいなら喜んで出すぜ」
「……そ、そうね。じゃあ特別に80リーヴルで譲ってあげる」
正直、後ろめたさもある。例え5リーヴルでも売っていいとさえ思っていたくらいだ、80リーヴルもの高値がつくなどとは思ってもみなかった。なんなら今からでも50リーヴル、いや、それどころか5リーヴルくらいに値下げてもいいかもしれない。逆に100リーヴルでこれが売れるなら、もっと売りに出してもいいかも知れない。子供たちから安く仕入れて、戦場に近い街で売り出せば、簡単に……
「おい……どうした、受け取らないのか?」
顔を覗き込まれて、初めてエレンが金貨を差し出していたことに気づく。思わず、素頓狂な声をあげて後ずさってしまう。
「はぇ!?あ、ごめんごめん、ちょっと考え事してて……」
「大丈夫か?行商やるなら、体は大切にしたほうがいいぜ」
「う、うん、そうね。そうさせてもらうわ。あ、そうだ、他に必要な品はある?なければ、私もそろそろ次の街にいかなきゃ……」
金を受け取りつつ慌てて話題をそらす。やはり、後ろめたいことは考えるものじゃないなと思うウェンピツカだった。
そんな会話を遠くから見つめる人影があった。キャシーである。宿の窓から、慌ただしく走るエレンを見かけ、つけることにしたのだ。
すると、昨日会ったアールヴの行商人と親しげに会話するエレンの姿があった。まさかあのアールヴの少女と知り合いだったとは、なかなか隅に置けないじゃない。
「そうだな……今はどんなものがあるんだ?」
「うーん、あなたが使いそうなものと言えば……なんだろう、騎士に売るものって正直よくわからないわ。私、持ってるのも装飾品やが殆どなのよ。あ、あとは魔導具なんかはいっぱいあるわ、戦でも使えそうなものもあるかも」
「……いや、魔導具は遠慮しとく。すまないが、他に欲しいものは今はないな」
「そっか……また次会ったときは色々用意しておくわ、楽しみにしててね!」
「はは、会えればな。今回は運が良かったよ、こうして良いものを買えた。前回もそうだったが、貴女に会えるとどうやら何かいいことが起きるようだ」
いつものエレンらしからぬ応対だな、とキャシーはそれを覗きながら思う。やっぱり美人相手には緊張するのかしら、これはルーネに話したら傑作だわ、なんてことを考えていると自然と口許が弛む。
それにしても、あの少女の方も昨日のルーネに対する態度とは随分と違うものだと感じた。それは、更にキャシーの悪戯心をくすぐるものだった。今から出て行ってからかってやろうかなどという気にすらなる。
「それじゃまた、どこかでお会いできたら嬉しいわ」
「あぁ、それでは」
そういうとエレンは跪いて彼女の手の甲にキスをする。二度目のことだからか、それとも前のように部下を連れてでもないからか。2人とも前ほどの余韻を残しはしなかった。エレンは立ち上がり、ウェンピツカもまた、そこを去る。騎士が淑女に対してする礼儀、といわれれば、それだけともいえるのだが。
しかし、キャシーにはそれがとても眩しいものに見えた。少し遠くからでも、彼女の美しさは際立っていた。異国の王女と言われても不思議ではないくらい、気品と美しさを彼女は兼ね備えているように感じた。
また、エレンのその仕草も、立派に騎士としてのものだった。あの挨拶が様になっているなんて、どこか自分の知らない彼を見ているようで、言葉に出来ない感情が心に渦巻く。
「お、こんなところでぼーっと突っ立って何してるんだ?」
はっとして顔を上げると、エレンが不思議そうな顔をして立っていた。どうやら、少しばかり呆けていたらしい。アールヴの少女を探すと、既にもう見当たらなかった。
「あ、ううん、ちょっと散歩にでもって。ほら、やっぱり部屋に籠ってるといい考えもでないじゃない?」
「そうか、ぼーっとしてたが大丈夫か?あの雨のあとに晴れたからかちょっと蒸し暑いしな。どうだ、麦酒でも飲みに行くか?」
「えっと……ごめん、買いたいものもあるから、今日はやめておくわ」
「お、珍しい。付き合おうか?」
「ううん、一人でゆっくり見たいし、大丈夫よ」
「そういうことなら構わないぜ。じゃ、また後でな」
そういって去っていくエレンの後ろ姿を見るキャシーの手は、自分でも気づかぬうちに強く握られていた。そのことに気付いたのは、彼が完全に視界から消えてからのことだった。
あと10話前後で一区切りだと思います。少しサブタイトルや章分け等を変更するかもしれませんがご了承ください。




