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百年戦争異聞録 ―没落貴族と十人の英雄―  作者: 乱坂 螢音
盗賊の街
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第16話 流泪

大変遅くなりました。本話は非常に長くなってしまいましたが、お付き合いいただければと思います。

 確かに、あの時、肉を切る感触があった。流派の中でもこれほどの使い手は幾人もいないと師匠にも褒められた、目録位・無二之太刀。心臓を真っすぐに捉え、突きの一太刀を以てそれを抉り抜く、殺人剣を標榜する裏京八流の、文字通りの必殺技。しかし、肉を貫いたと思った次の瞬間、内臓を抉るかのような衝撃が腹に走る。気づくと、遠くで戦うリュウと、先ほどの黒い長剣を構える剣士の姿が見えた。そして、トキの記憶はここで途切れる。


 次に目覚めたとき、遠くで何か口論するような声が聞こえた。重い体を起こそうとすると、腹部に激痛が走る。胸からした骨の軋む音で、肋が数本やられたことを覚る。痛みに耐えながら、周りを見渡すと、仲間の姿は一つとしてない。遠く、街の中央の方で喧騒が聞こえる。今も戦っているのか、それとももう全て終わってしまったのだろうか。中央のギルドを無事に落とすことは出来たのだろうか。


 手元を確認すると、状況を確認するために身を隠しながら歩を進める。相も変わらずの内臓が飛び出んばかりの痛みに耐え、思い通りに動いてはくれないその体を引きずりながら、ようやく大通りを臨める場所へと辿り着く。しかし、そこで見たのは、今にもリュウを殺さんとするかのような、魔術師の姿だった。その濃青色のローブは、国定魔術師の証。そして、その色に似た髪色。それは間違いなく、昼に見たあの魔術師だった。


 痛みも忘れ、叫び声を上げながらルーネに突撃するトキ。ルーネも気付いて咄嗟に左手の盾を展開する。その斬撃こそ盾で止めたものの、体格は所詮一般人、むしろそれ以下であるルーネは衝撃で後方へと吹き飛ばされる。

 咄嗟に体勢を立て直すも、純粋な体術においてはトキに敵うはずもなく、どうにか盾を巨大化させて斬撃を凌ぐ。しかし、盾の重みと、剣を受け止める衝撃に左手は悲鳴を上げる。



「おい……なにやってんだトキ!やめろ!」


 ろくに動きもしない体を引きずってリュウはトキを止めようと叫ぶ。しかし、その声は赤い長剣と氷の盾のぶつかり合う音にかき消され、トキには届かない。


(もっかいいけるか……?でもオレが死んだら……いや、それでも……!)


 リュウはありったけのマナを足に集める。しかし、マナは即ち命の奔流。それを必要以上に失えば死あるのみだということは、リュウも分かっていた。

 短距離の跳躍であればそれほどのマナは必要ない。だが、今のリュウにはそのマナを捻出することすら、命の危険につながる状況だった。

 それでも、捨てた短剣を拾うと、マナを更に集めるべく、集中を図る。

 魔術師の戦況は非常に良くない。盾の再生が追い付かず、それには罅があちこちに入っている。魔術師自体も大量のマナを使っていると見え、その顔には疲労が色濃く見えた。


(届けよ……!)


 ついには足に必要量のマナが集まる。術式なんてものはわからないが、やればいいことはその体にしみついている。




 リュウ。東の超大国ミンの言葉で、流と書くその名前は、彼らの言葉で"流れる"という意味を持つ。それは、もしやすればミンで生きることになるかもしれないと思った親の計らいだった。

 その半生を知るものは殆どおらず、トキですら、共に過ごしたのは数年に過ぎない。


 リュウの幼いころの記憶は、屋敷の中で殆どが完結していた。中でも記憶に残っていることといえば、爺と呼ばれた人物による、教育だった。剣や短剣、様々な暗器の扱いから、気配の消し方、体術や短弓術、毒の扱いやその原料、果ては拷問や諜報、潜入の技術や、旧世紀を含めての歴史及びその遺物、世界の地理、情勢、マナーといったことまで、ありとあらゆることを覚えさせられた。

 食事は十分に、というよりも十分すぎるほど出たし、必要なものは何でもそこにあった。特に不自由こそなかったが、家には爺以外、毎週変わる女中以外おらず、会話の相手もやはり爺以外にはいなかった。最も、爺は非常に博識であり、質問は何でも答えてくれたし、またジョークの類いも嗜んでいたため、退屈することもなかった。

 父母の記憶などそれまでなかった。ある日、数人の供を連れて父が訪れてくるまでは。


 それは、少し涼しげな初夏の頃。リュウがいつも通りに体術の修練で爺に転がされていた昼のことだった。

 急に女中が慌ただしく爺の元へと駆けてくると、何かを耳打ちする。普段は厳しくも好好爺然とした表情を崩さない爺が、それを聞くと血相を変えて玄関へと駆けていく。後を追ったリュウが見たのは、泥にまみれ、所々血を流す伴に囲まれる、男の姿だった。

 一瞬リュウはそこにいたのが誰か、全くわからなかった。それもそのはず、リュウが両親に面と向かって会ったことはなかった。物心ついた頃には、爺が親に等しい存在だった。

しかし、リュウの直感が告げていた。この男こそ、我が父に違いないと。

 声をかけようかと迷うリュウ。しかし、息を整え終わった父と思しき男は、厳かな声で爺に告げた。


「ジュシェンは終わりだ。サハリアン・ウラは奴らの手に落ちた」


 それが何を意味するのか、リュウには理解できなかった。だが、爺の表情から、それが並々ならぬものであったことは、察しがつく。


「閔娃様は?」

「自害した。私の足手まといにならぬようにと書き置きを残して」


 そういって父は硬く拳を握った。その表情は、苦悶と後悔に満ち溢れていた。

 爺もまたそれは同様だったが、毅然とした態度で、父に対して質問を続ける。


「追っ手は?」

「撒いたが、じきにここにくるだろう。連中は弱者をみるととことんまでいたぶらなければ気が済まないらしい」

「して、この後は?」


 一拍おいて再び父は口を開く。その言葉は、爺ではなく、リュウに向けられたものだった。


「リュウ、お前は西方へと逃げろ。絹の道を遥か越え、歐州の地で生きろ。そのための知恵も力も、お前にはあるはずだ。……辺慈、例のものを」

「はっ」


 爺が奥の間へと下がるのを見て、リュウはそこで初めて爺の名前を知った。だが、今はそんなことはどうでもよかった。仄かに香る血の匂いが、リュウの心をざわめかせた。そして父のその背中に、どこか懐かしいものを感じていた。


「これを」


 戻ってきた爺がリュウに靴と上着を渡す。


「リュウよ、お前に会うのが最初で最後になることを申し訳なく思う。父としての役目を何一つ果たしてやれなかったことを、許してくれ。それは私からの贈り物だ。我等が民に伝わる、神鳥の羽で作られたといわれる服と靴。服は如何なる妖術をも受けつけず、それは鋼のように固い。靴は千里を軽く走り、水の上をも難なく歩く。使ってみればわかることだ、受け取ってくれ」


 頭がそれを拒否していた。これを受け取ってしまえば、それが今生の別れになることをリュウは幼いながらに理解していた。

 しかし、それを受け取ると、その場でそれを身に着ける。それは不思議なくらい、自らの体に合っていた。


「流石は我が子だ、既にそれはお前を持ち主と認めたようだな。本当によかった、これで後顧の憂いはない。ジュシェンはお前さえ生き延びていればいつかまたこの世に顔を出してくれるだろう。辺慈、お前はリュウを守り、無事に砂漠を越えさせてやってくれ」

「……覚羅様はいかがなされるので」

「はは。辺慈、お前がそれを察せないとは思っていなかったぞ。辺慈、今までありがとう。私を育ててくれ、そしてリュウもこうして立派に育ってくれた。今私に続く彼らもまた、お主が育ててくれた、一騎当千の兵たちだ。なぁに、ちょっとばかりミンの追っ手を撒いたら合流するさ。それまで、リュウをどうかよろしく頼むぞ」

「覚羅様!追っ手が!」


 見張りをしていたとみえる兵が駆け込んできて父へと告げる。爺が唇を噛んで涙を堪えるのをリュウは横目で見ていることしかできない。


「それではな、リュウ。さぁ、辺慈、行け!」


 声を押し殺して爺がリュウの手を握る。体が浮き上がるような感触と共に、景色がぐにゃりと曲がる。遥か遠くで父の首が刎ねられるのが、見えた気がした。



 景色が再び止まる。そこは先の屋敷から50kmほど西にある、山岳地帯だった。ポツポツと、雨の降りだす音が聞こえる。


「ふぅ、ここまで来れば……くっ」


 爺が呻き声をあげて崩れ落ちた。額から冷や汗をかく姿は、いつもより十も二十も老けて見えた。


「爺!どうしたんだ!?」

「気にすることなどありませぬ。これは少しばかり気力を使う技術でしてな。何、しばらくもすれば回復するでしょう。先を進みなされ。行商の方にこれを一つ渡せば喜んで鷗州へと連れて行ってくれることでしょう」


 そう言って爺は懐から袋を渡した。その中には、幾つかの美しい宝石が入っていた。


「なにをいうか、雨の山で一人でいることほど危ないことはないと言ったのは爺ではないか!」


 そういいながら、爺を背負おうとするリュウ。しかし、年の割に膂力のあるその体でも、これまた年の割に筋量の多く体重の重い爺を背負って歩くのは流石に無理があった。


「無理をしなさるな。私も直に追いかけましょう。さぁ、行きなさい!」

「嫌だ!私は……!」

「聞き分けのないことを言ってはなりませぬ!それではお父上に申し訳が立ちますまい!」


 やはり父は……リュウは爺の言葉に静かに慟哭した。それが一目みただけで別れることになった父であっても、父であることに変わりはないからだ。

 爺の息に喘鳴が雑ざりだす。それはまるで、その吐息から魂が漏れだしているかのようであった。リュウはその背後から、死神の足音が聞こえてくるような気がした。

 放っておけば流れ落ちそうな涙を堪えて、リュウは気丈に振る舞う。


「爺、ミンに下ろう!まだ間に合う!私は大丈夫だから!」


 その瞬間、パンッと小気味の良い音がした。遅れて、リュウの頬に痛みが走る。目の前には、涙を流しながら、リュウに平手打ちをした爺の姿があった。


「あなたは我々ジュシェンの王家の最後の生き残りなのです!それがミンに下るなど、御父上を裏切るおつもりか!それに私はもう老い先短い身、この命を全うしてあなたを歐州へと連れていけるのであれば、この世に後悔などありますまい!」


 ここまで捲し立てて、再び爺は崩れ落ちた。もはや気力も、尽きかけようとしていた。だが、再び爺は立った。もう少し生きてリュウの成長を見てやりたかった、と少し思わないでもないが、もう十分この身は生きたのだろう。普段なれば体力を奪うだけのこの雨も、今は心地の良いくらいだった。


「……これを受け取ってください」

「これは……?」

「金剛石と言われる、金剛の如き固さを持つ短剣です。元はあなたの御父上のもの故、お返ししましょう。使い方は今までに良く教えたはずです」


 そう言ってリュウに二振りの美しい短剣を渡すと、厳しい口調でリュウに告げる。


「あなたに最後の授業をしましょう。道の指し示すものはかくも絶え間なく、それは各々が見つけ出さねばならぬ道なれど、その一端は伝えられるもの也。さぁ、足に気を集中させなさい。半端な覚悟では、私もあなたもここで死ぬことになります」


 それを聞いて黙ってリュウは足に気を集中させる。爺の授業というのは非常に厳しく、実際に死にかけたことも一度や二度ではなかった。一回異を唱えたときなどは、折檻として爺と決闘させられたこともあった。結果は、言うまでもない。


 気が両足に集中する。幸い、気の集め方は爺から体に叩き込まれていた。それを満足そうに見守る爺。一息つくと、やっとのことで立ち上がり、リュウの両の手を上から握って言った。


「今からする感覚を良く覚えなさい。二度とはこれは、出来ないことだから。目の前に木があるでしょう?そこを見つめて、そこに意識を持っていく感覚を自分のなかに作りなさい。二度目ですが、これは集中しなければ簡単に自らを死に至らしめます。では、行きますよ!」


 そういうと再び景色がぐにゃりと曲がる。その一瞬の感覚を、リュウは心と体で覚え込む。

 そして景色が元に戻った。目の前には、先ほど見つめていたはずの木があった。ハッとして確かめれば、両の手を握っていた爺の手の温もりがあった。


「流石は覚羅様の御子でいらっしゃる。私も今の今まで、これがどういう理屈で行われているのかはわからないのです。ですが、あなたはそれを見事に行われましたね。これで私の授業は全て終わりです。ですが、修練は怠ることなきよう」


 その声は隣にいるはずの爺の声だったが、どこか遠くから聞こえる気がした。その台詞はまだ続く。


「あなたに会えて、あなたの教導役を務められて、私は幸せでした。来世でもまたお会いできたら、爺は嬉しゅうございます」


 ふと隣を見れば、そこに爺の姿はなかった。手を見ても、そこに残っているのは手の温もりだけだった。

 あぁ、そうか、もう爺はいないのか。そう気づいても、不思議と涙は出てこなかった。爺は、この技と共に、自分のなかに生きているような気がした。

 気付けば雨も霧のように降るだけになった。そのなかから、また、爺の声が聞こえた。


「あぁ、そういえばその技には名前がございます。そこに意味があるかはわかりませんが、代々伝わってきたもの故、あなたにも教えておきましょう。それは──」



 其は旧世紀にあったといわれる古の技術。現在の人々ではそれを認識することの能わぬ、道の真理。先代から辺慈へ、辺慈からリュウへと、代々伝わってきたそれは、名を縮地と云う。




 一瞬にして切り替わる風景。目の前には刀を振り下ろさんとするトキの姿。その斬撃を手に持った短剣で受け止める。両の腕に重くのしかかる衝撃。しかし、その一撃は確かに受け止めた。

 直後リュウの耳に響く、短剣に罅の走る音。崩れ落ちるその刃は、リュウに別れを告げたかのように、美しく煌めいていた。



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