第三十六話 小鳥の鳴き声
『カサドラ嬢、婚約破棄したら誰も相手がいない状態ですね? それならあなたの婚約者として私が申し込んでも大丈夫ですか?』
フィオナは悲鳴をあげそうになったが、相手は他国の王族なので、必死に堪えた。
フィオナのことを顔以外何も知らない相手から急に結婚を申し込まれるのは、ダミアンのこともあって恐怖以外何者でもなかった。
『も、申し訳ないです。実はまだ公にはできないのですが、次の婚約者がもう決まっているんです』
咄嗟にフィオナは嘘をついていた。
レナードの小鳥が鳴いて騒がしいが、気にしているどころではなかった。
『そうでしたか。カサドラ嬢は有能な魔法使いなので引くて数多ですから仕方がないですね。潔く身を引きます』
『申し訳ございません。あと以前、服の代金を払ってくれて、ありがとうございました。お礼が遅くなり、大変失礼しました』
礼状を送ってはいたが、今まで直接は会えないでいたのだ。
『いえ、お礼を言われるほどではないです。こちらこそ助けていただいたのにまだ十分なお礼をしてなくて大変申し訳ないです。またお会いしましょう』
以前も婚約者がいると言ったらあっさりと引き下がってくれたので、今回の嘘は有効だったようだ。
でも、嘘に対して罪悪感はあった。
「カサドラ嬢、少し二人で話がしたい。時間はいいだろうか」
レナードから話しかけられるが、先ほどとは打って変わって暗い顔をしている。
フィオナは彼の表情を見て、何か問題が発生したのかと心配になる。
「はい、大丈夫です。では、移動しましょう」
レナードからの相談だと思い、フィオナは真面目な気持ちで彼に続いて歩く。
着いた場所は、いつも探索課で利用する会議室だ。
「カサドラ嬢」
レナードは椅子に座らず、立ったままフィオナを見つめる。
その思い詰めた表情から、話題の深刻さを感じる。
「急な話で驚いたら申し訳ないが、俺が盾になってカサドラ嬢のことを守るぞ」
「どういうことですか?」
何から守るのかフィオナは分からず、首を傾げていた。
「さっきカサドラ嬢が嘘をついたのは分かっている。本当は次の婚約者なんていないんだろう?」
「はい、確かに嘘はつきましたが、婚約者がいないことが何か問題はありましたか?」
「大アリだ。相手は王族だろ? 嘘をついて誤魔化して万が一バレたら侮辱行為になるぞ」
「ええっ」
「しかも、カサドラ嬢の場合、フリーになったら、続々と求婚が相次ぐぞ。ここまで有能な魔法司書だと広がったんだから、本当に引くて数多なんだからな」
「ひ、ひぇー」
「だから、そんなのほほんとした顔をしていたら、あっという間に誰かに捕まるぞ。目の前で求婚されたのを見て、俺は自分の認識が甘かったと気づいた。だから、君が添い遂げたいと思える相手が見つかるまで俺を上手く使えばいい。便宜上の婚約者でも構わない」
レナードは完全にフィオナを心配して、どうやら婚約を持ちかけてくれたようだ。
彼の気持ちはありがたいが、便宜上の婚約者と言う彼の言葉から、全くフィオナのことを想っていないことも同時に分かって、胸の奥がじわじわと痛み始めていた。
「セレストさん、ありがとうございます。私のことをすごく心配してくれて、とても嬉しいのですが、セレストさん自身にも私は幸せになって欲しいので、どうか婚約は本当に好きな人となさってください」
フィオナは必死に笑顔を浮かべる。
でも、失恋のショックで泣きそうになり、慌てて会議室から出ようとしたときだ。
「違うんだ」
セレストに腕を掴まれて呼び止められる。
「俺はこの先の人生も全て母親の汚名を晴らすことだけで終わると思っていた。でも、カサドラ嬢のおかげで、俺はこれから先の別の人生を貰えたんだ。だから、君の役に立てるなら、盾になることくらい全然構わないと考えている。だから、俺のことは気にしなくていい」
フィオナは真剣なレナードを見つめながら目を瞬かせる。
フィオナは彼の言葉にただ驚き、二の句を失っていた。
もしかして、とんでもなく彼に好かれているのでは?とその可能性に気づいたからだ。
フィオナの役に立てるなら、自分の人生を捧げてもいいとまで言ってくれている。
この心配そうに見つめている彼は。
それはすごい自己犠牲なのではないか。
でも、それはただ単に恩返しをしたいだけなのか、それともフィオナに配慮して自分の気持ちを隠しているだけなのか判断がつかなかった。
フィオナ自身としては、彼に愛されていたい。
彼の行動の動機を深く知りたいと思った。
「私はセレストさんのことが好きです」
「えっ……?」
レナードが驚いたように赤い目を見開く。
「そ、そうなのか?」
「はい。以前、迷宮でセレストさんを見かけたときに声をかけなかった理由は、恥ずかしながらセレストさんが他の女性と親しげにいたので嫌な気持ちになっていたからです」
「嫌な気持ち……」
「でも、そんなこと正直に言えなくて、誤魔化しただけなんです」
フィオナはレナードの反応を探るが、戸惑った彼から何も返事がない。
「あなたが私にとても感謝していることは分かりました。でも、セレストさん自身の気持ちが分かりません。あなたは私のことをどう思っているんですか?」
「君への、気持ち……?」
フィオナが気になって尋ねると、レナードは視線を泳がす。何か迷っているような、困っているような、そんな仕草だ。
「私への好意は全くないんですか?」
「……いや、そんなことはない」
「じゃあ、好きなんですか?」
「……」
なぜそこで黙るのか。
自分の気持ちも分からないのだろうか。
「じゃあ、先ほどの提案は、プロポーズと受け取っても良いですか?」
「いや、そういうわけではなく、あくまで君の役に立ちたくて」
慌てて弁解し出すレナードの頭の上で、小鳥がチチチチと鳴いている。
やはり、と確信した。
「もしかして、この小鳥は嘘を言ったら鳴いて知らせてませんか?」
今までのことを振り返ると、そうとしか思えなくてフィオナはレナードと二人きりだったこともあり尋ねていた。
彼の目線が一瞬揺らぐ。
「すまないが、それについては黙秘する」
彼の気まずそうな表情から答えは丸わかりだ。
でも、なぜ彼が恋愛感情を認めないのか分からない。
フィオナはこの小鳥を利用させてもらうことにした。
「質問なんですが、私が仮に別の男の人と結婚しても、セレストさんは全然大丈夫なんですか?」
「……ああ、君さえ幸せなら」
「チチチチ!」
そんな苦しそうな顔で、そんな返事をしなくても。
フィオナは彼のことがますます分からなくなる。
「小鳥さんは違うと言っているみたいですよ」
レナードは否定もせずに、ただ困惑している。
彼自身も自分の気持ちが分かっていないのだと、フィオナは観察していてやっと気づいた。
「確かにカサドラ嬢のいうとおり、嫌な気持ちもあるが、それが君と同じように恋愛なのか分からない。そんな曖昧なままで、はっきりと、君に対する感情は言えない」
すごく真面目に考えているようだ。
理論的な思考の彼らしい回答だと、そんな彼を愛おしく感じる。
「セレストさん、難しく考える必要はないんですよ。前に誰かが言ってました。キスができるかどうかで相手への好意を判別できるらしいですよ」
想像をするのだ。この人とキスできるのかどうか。
生理的に無理なら、好意はまるでないと断言できる。
「キス、だと……?」
レナードは言いながら、激しく動揺してみるみる顔を赤く染めていく。
想像するだけで照れるなんて、意外に純情なようだ。
「そうです。頬でもおでこでもなく、口へのキスですよ」
「そ、そうか。カサドラ嬢は大丈夫なのか?」
「え? ええ」
脳内でお試しのキスをされるくらい、別に問題はなかった。
フィオナ自身が言い出したことでもあったからだ。
「そ、そうか。分かった」
そう覚悟を決めた感じのレナードは、フィオナに向き直り、両肩になぜか彼の手を置いてくる。
じっと真剣に固唾をのむように息を凝らして彼が顔を近づけてくる。
随分リアルな状況を想定していると思っていたら、どんどん顔が近づいてきて、目の前まで迫ってきたので、フィオナは慌てて彼の顔を手で塞いだ。
「セレストさん、ぶつかっちゃいますよ!」
「いや、カサドラ嬢がキスできるのか試せと」
「それは頭の中で、ですよ! 本当にしようとする人は初めてです!」
レナードはショックを受けた顔をしたあと、真っ赤になってしまった。
「それで、セレストさんは、私とのキスは嫌でしたか?」
「嫌、ではないと思う」
恥ずかしそうに答えるレナードがそろそろ可哀想になってきたので、フィオナはこの辺で彼を問い詰めるのは辞めようと思った。
「セレストさん、私も嫌ではなかったですよ」
「でも、止めただろう」
「あれは、予想外だったから驚いただけです!」
フィオナが微笑むと、少し拗ね気味だったレナードは機嫌を良くしたようだ。
「私はセレストさんと一緒がいいです。あなたと一緒なら自分らしくいられるんです」
フィオナが大喰らいでも、はしたなく蹴りを入れても、彼は眉を顰めなかった。
フィオナが再び気持ちを告げると、レナードは少し赤い目を見開き、やがて穏やかな顔つきになった。
「……そうか」
「嬉しいですか?」
「ああ」
そう言う彼には本当に嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「なら、私も嬉しいです」
フィオナは彼に手を差し出す。
「セレストさんの提案を喜んでお受けさせていただきます」
そのフィオナの手をチラリとレナードは見て、破顔する。
彼に手を握られたと思ったら、そっと引き寄せられて抱きしめられる。
「ドキドキするな」
彼の穏やかな声が耳元で囁かれ、しばらくは胸のときめきが治らなかった。




