第十二話 ヤキモチ ☆
「それじゃあ、僕はここまでだからお別れだけど、カサドラ嬢、無理しないでね。僕たち夫婦に何かあったら声をかけるんだよ?」
心配そうなハンスだったが、彼の仕事は迷宮での検証の立ち合いだけなので、以降の作業は別行動だった。
「ありがとうございます。頑張って愛人回避します!」
ハンスに暗い顔をさせたくなくて、フィオナはいつも以上に元気に振る舞う。
後ろ髪を引かれるような感じのハンスを見送ったあと、レナードと一緒に職場に戻る。
「それではさっそくこの同意書に署名してくれないか?」
探索課の執務室に戻って、書類関係の戸棚からレナードが用紙を取り出すと、フィオナに差し出してきた。
紙には鑑定使用同意書と書かれている。
「ゴードンさんの奥さんも言っていたが、魔法の使用には同意書や申請書も必要なんだ」
「ちょっと魔法を使って見るだけでもダメなんですね」
「ああ、むやみやたらと使われたり、あとになって無理やり見られたと言われたりしないために証拠を残すのは大事なんだよ」
「確かに、簡単に使えたら、先日のあの人みたいに魔法を都合の良いときに使って誰も止められなくなりますよね」
「そうなんだよ」
フィオナはすぐに書面に名前を記入する。
レナードも申請書に何か書き込んでいた。
フィオナが書き終えた書類をレナードに渡すと、彼は礼を口にして微笑む。
その優しそうな笑みを見たとき、またフィオナの胸が落ち着かなくなる。
恥ずかしいような、ずっと見ていたいけど、緊張して顔が熱くなるような謎な現象だ。
「そういえば、もう一つ礼を言うのを忘れていたな」
「なんですか?」
「さっきカサドラ嬢が言っていたガザフの奴のことだよ。あいつが人殺しの息子と言ったとき、カサドラ嬢は"誰の親がなんであろうと"と言ってくれただろう? あれ、すごく嬉しかったんだ。ありがとう。俺は母親が無実なのは知っているが、そう思わない奴もいるから……」
レナードの深い諦めのような笑みを見たとき、フィオナは思わず彼を抱きしめたくなった。
ぎゆっと抱きしめて、慰めたくなったのだ。
想像するだけで、胸が苦しくて悲しかったからだ。
肉親が人殺し呼ばわりされて平気な人なんていない。
でも、そんな中で彼は生きていかなくてはならなかったのだ。
誰しもが絶望するような辛い中で、彼は特級の魔法司書にまでなった。
その道は決して平坦なわけがない。
そんな彼が目をかけてくれたおかげで、フィオナは憧れの魔法司書の仕事に携わることができたのだ。
「……お礼を言うのは、私のほうですよ」
「おいっ、なんで泣くんだよ!?」
「だって、」
「ハンカチ、あっ今日のはすでにもう渡していたな」
「いいんです。自分のがありますから」
フィオナは慌てて自分のハンカチを取り出して顔を拭き始める。
「全く、カサドラ嬢の前にいると調子が狂うよ」
レナードはため息とともに頭を押さえる。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝る必要はない。俺の問題なだけだから。じゃあ、俺は書類を出してくる。カサドラ嬢は泣き止んだら帰っていいぞ。明日は休日だから、ゆっくり身体を休めてくれ」
「はい、そうします」
フィオナは気合を入れて答える。
これ以上涙を流して、彼の足を引っ張りたくなかった。
※
休日でもフィオナはのんびりしている場合ではなかった。
「あの、姉上。本日はお休みですよね? 図書館迷宮に付き合ってもらえませんか?」
朝から年子の弟アルフィオに頼まれたからである。
フィオナに雰囲気はよく似た顔をしている。髪と目の色は全く同じなので、小さい頃は後ろ姿はよく似ていると言われたことがある。
「いいわよ! アルは何個魔法を取得していたかしら?」
可愛い家族のためなら、フィオナは張り切って応じていた。
「二十個です。そのっ、姉上には及びませんが、これでも友人たちの中ではすごいほうなんですよ」
「生活魔法だけで六十個もあったら引かれていたから、アルも気をつけてね」
「そこまでやる気はないので大丈夫ですよ。ただ、姉上が持っている、"絶対滑舌"の魔法が欲しいんです」
名前どおり、スラスラと噛まずに話せるようになる魔法だ。
「そうなのね。それなら一緒に探しましょうね。メリルも一緒に行きましょう?」
「はーい、わかりました! 弁当を詰めるので待ってくださいね。今日はお嬢様の好物のゆで卵が入ってますよ」
「まぁ、メリル大好きよ!」
「はいはい」
メリルの塩対応も愛おしい。
こうして三人で図書館迷宮に向かう。
受付に到着すると、先着の来訪者でよく見知った人がいた。
レナードだ。
頭に小鳥を乗せているので、すぐに気づいた。
複数人のグループの中にいる彼の姿は、魔法司書として働いているときの畏まったスーツ姿ではない。
少し砕けたシャツと上着の組み合わせだ。
普段と印象が違うので、別人みたいに感じる。
グループの中に同い年ごろの女性がいて、レナードに親しげに話しかけている。
応じる彼も楽しそうで明るい。
その様子を見て、胸が小さく痛んだ。
レナードは美男子で優しいところがあるのだから、異性に好かれるのは当然だろう。
フィオナより少し歳が上に見えるレナードなら恋人、いや妻だっているばすだ。
十八歳のフィオナにすら婚約者がいるのだから。
当たり前の事実に気づいてショックを受けている自分にフィオナは驚く。
それでやっと気づいた。
フィオナはレナードに惹かれていたのだと。
馬鹿だ。
婚約者ではない男性を好きになるなんて。
婚約破棄を願っているとはいえ、今は他の男性と懇意になるわけにはいかない。
家族に迷惑をかけるからだ。
しかも、相手は世話になっている上司だ。
公私混同も甚だしい。
想いを寄せられても迷惑にしかならないだろう。
初めての恋は、誰にも知られる前に諦めるしかない。
そのせいで、その日の探索は、「やけ気味ですね」とメリルに突っ込まれるはめになった。
※
レナードは、親戚たちに頼まれて図書館迷宮に来ていた。
「身内に魔法司書がいるなんて鼻がたかいわねぇ」
濡れ衣とはいえ母親が罪を犯した。そんな子供であるレナードを世話してくれた身内だ。
忙しくても義理立ては欠かさなかった。
「出世も十分したんでしょ? あとは何か良いご縁でもないの?」
結婚してずいぶん経つ従姉は、結構明け透けなくプライベートに毎回踏み込んでくる。
彼女はレナードよりも十歳も年上なのに小顔のおかげで若く見られることを自慢にしている。
今日は彼女の子供の付き添いを頼まれていた。
すっかりレナードの背丈くらい大きくなった子供たちは、ワクワクして興奮気味だ。
「母の無実を晴らすまでは考えてないよ」
彼女の子供を見守りながら、そう答える。
でも、いつもとは違って一人の女性が一瞬だけ脳裏を掠めた。
「そういえば、職場によく泣き出す人が入ったんだが、どうしたらいいと思う?」
「あー、そういう子って、結局すぐに辞めちゃうと思うわよ。きっと向いてないのよ、職場が」
「向いてない」
少なからずショックで次の言葉が出ない。
「そうそう。辛いから泣くんだもの。それともレオの当たりが強いわけ?」
「……それもあるかもしれない」
なぜか彼女を壁際まで追い込んでしまったのは、レナード自身も驚きだった。
彼女に対する距離感がいつもの感覚と違って近すぎた。
彼女には裏がなく、レナードが普段他人に感じる壁を全く感じさせない。
自分の懐にいつの間にか入り込むような親しみを覚えるのだ。
怖いと思った。
ただの職場の同僚に抱く感想ではないからだ。
ずっと亡き母親を思い続けて努力してきたからこそ、他に想いを向けて、本来優先すべきことが疎かになるのが、何よりも避けたかった。
だから、いつものとおりに接しようと、レナードは強く自分に言い聞かせていた。
ところが、その決意は彼女の一言で脆くも崩れ去ることになる。




