第十話 無駄本撃破
「えっ、ちょっと待って。カサドラ嬢のその細腕で、本をぼこぼこにして破壊できるものなの?」
ハンスが戸惑いの目で見てくる。
先ほどまでの優しかった茶色の目が、不穏な気配を漂わせている。
「それは本当か……?」
レナードも赤い目を細めてじっと見つめてくる。
彼の小鳥も静かにフィオナを見ていた。
非常識だと思われたかもしれない。そうフィオナは不安に感じる。
本を破壊したことまで言わなければ良かったと後悔するが、後の祭りだ。
「えーと、すみません、ぼこぼこと殴ったら破壊可能ですが、同じ本がまた出てくるので問題ないと思ってました」
覚悟を決めて正直に話す。
相手の沈黙が怖かった。
「そうか。正直に言ってくれてありがとう」
レナードの良好な反応にフィオナは驚いて目を大きく見開いた。
「あの、怒らないんですか?」
「驚いたが、責任は持つと言っただろう。カサドラ嬢は気にしなくていい」
そうレナードは頼もしいことを言ってくれる。
「いや、僕こそ驚きすぎて申し訳ない。こんな年上に驚かれたら、若い子は言いづらくなっちゃうよね。検証の邪魔をしてしまったら付き添いの意味がないのにね」
「いえ、こちらこそ、ごめんなさい。私こそ顔色を窺うようなことをしてしまって」
ハンスの低姿勢にフィオナまで頭を下げ始める。
「それよりも、本はこのままにしていいのか? また動き出したりしないのか? 止めを刺せるなら早くしてくれ」
「はっ、はい!」
レナードの声で我に返る。慌てていつものように拳を連打して本を原型が留めていないくらい破壊すると、『おじさんのポエム集』がポンっと音を立てて消え去った。
その本の中身には、以前読んだ時にはおじさんが若い子との世代感に戸惑う哀愁漂うポエムが書き綴られていた。
『条件(同行者に若い子に謝るおじさんがいること)を満たしたので、加護「おじさん頑張る(精神耐性+10)」をプレゼントします』
突然聞こえた独特な甲高い声にフィオナは驚く。
古代語で話すその声には、何度も聞き覚えがあった。
しかし、無駄本の『おじさんのポエム集』を今まで倒したことはあっても、こんな反応が起きたのは初めてだったからだ。
「うそっ、”おじさんのポエム集”でも加護がもらえるの!?」
『なお、この取得条件を他人に漏らせば、加護は消え、再取得は不可能なのでご注意ください』
お告げはその声を最後に聞こえなくなった。
「カサドラ嬢、さっきの古代語での声はなんだったんだ? 一体誰が話しかけてきたんだ?」
レナードが困惑した顔をしている。
「たぶんですが、この迷宮を作った女神様かもしれません」
「知恵の女神フェルテナータか。確かに魔法まで取得できるなら、加護もあってもおかしくはないが、まさかカサドラ嬢一人でこんなに大発見するとは」
レナードが腕を組み、考え込んでいる。
一方で、ハンスは地面に膝をつき、「おじさん……」と落ち込んでいた。
女神直々におじさん認定されてショックを受けているようだ。
黒猫が彼の身体にすりすりして慰めていた。
「他にも加護があるような口ぶりだったが、そうか女神の禁忌で説明できないのか」
レナードは独り言をつぶやいたあと、すごい勢いでフィオナを振り向く。
「時間のある限り、まだ加護を取得していない無駄本を破壊しよう」
「はっ、はい」
それからレナードの指示どおりにフィオナはこそこそと他の人に見られないように本を見つけ次第攻撃して破壊していく。
彼は魔法司書の権限を使って封鎖まで行い、関係者以外立ち入り禁止までする。
一冊も本を逃さないような気合いの入れようで、本の破壊をひたすら指示する。
途中、お昼休憩とトイレ時間を挟んだが、それ以外は全部無言で作業である。
知らない人が見たら、新人ばかりこき使う無情な上司に映るかもしれない。
でも、フィオナは彼の母親の事情を知っているので、彼への協力を惜しむつもりはなかった。
すると、新たな発見があった。
『条件(同行者に鬼畜な上司がいること)を満たしたので、加護「ブラックな職場で生き抜く(精神耐性+10)」をプレゼントします』
無駄本とされていた『鬼畜上司との付き合い方』というビジネスエッセイ本を破壊したときに、また新たな加護を得たのだ。
今度はレナードが膝をついて落ち込んでいた。彼の頭の上にいた小鳥は、不思議そうに首を傾げている。
「……今日はここまでにしよう」
「はっ、はい!」
まだフィオナは元気いっぱいだったが、暗そうなレナードになんと声をかけてよいのか分からず、素直に従うことにした。
「それにしても、カサドラ嬢はすごいね。よく最初に本を殴ろうと思ったね。いや、これは嫌味ではなく、感心して言っているんだけど」
帰りながらハンスがしみじみとした声で話しかけてくる。
「ええ、私も最初から殴ろうと思っていたわけではないですよ。たまたま魔法を放とうとしていた本がいたので、その魔法を妨害したら、本がドカンと壊れて消えたんです。そのあと、その本が再び現れていたんで、問題ないと思ったんです」
フィオナが図書館迷宮に何度か行って慣れた頃、お金のかかる魔法司書の同行はもういらないだろうと、メイドのメリルだけをお供にこの図書館迷宮に来たところ、嫌に乱暴な本の魔物に出会ってしまったのだ。
やたらぶつかってくる魔物の本に苛立ったメイドが振り払うために持っていた鞄を振り回してしまったところ、なんと本に命中して吹っ飛んだ。
ところが、いきなり本の魔物は怒り狂ったように火の玉まで吐くようになったのだ。
『武器での本への攻撃は禁忌とされています。該当の本が狂本モードに入ります』
今日みたいに独特な甲高い声でお告げがあり、緊急事態を悟らざるをえなかった。
何かあっては大変だからと、用心棒でもつけるべきだと言う親の言葉を無視してメイドの二人だけで来ていたのだ。
フィオナは責任を感じて、なんとかメリルを助けなければと焦っていた。
本に狙われるメリルは、必死に火の玉から逃げていたが、追い詰められたメリルに本の魔物が開いて魔法を放とうとしていたとき、フィオナはそれを防ごうと本に咄嗟に近づいて、勢いよく閉じたのだ。
放とうとした魔法が本を閉じられたことで、本が内部で燃え尽きた結果、本がなんと消えたのだ。
『条件(若い乙女だけで本を撃破)を満たしたので、加護「勇敢なる乙女たち(全ステータス+50)」をプレゼントします』
『条件(素手で本を撃破)を満たしたので、加護「魔物を屠る者」をプレゼントします』
そのときに、フィオナは本をタコ殴りにできる能力を得て、本を撃破——つまり本自体を素手なら攻撃しても良いと知ったのだ。
「ちょっと待て。この一般開放の階層で、魔法を放つ本がいただと!?」
過去の回想に更けていたフィオナにレナードが顔色を変えて問いただしてくる。
「えっ、ちょっと、それは」
フィオナはメイドのメリルがうっかり禁忌を犯したなんて言えず、言葉を濁す。
「すみません、禁忌のせいで言えないです」
そう咄嗟に彼女をかばうために嘘をついたときだ。
「チチチチ!」
レナードの小鳥がいきなり鳴き出したのだ。
「カサドラ嬢」
レナードが赤い目を細めて、端正な顔をフィオナに近づけてくる。
そうでなくても整った顔が間近にきて、不謹慎な状況にもかかわらず、胸が落ち着かなくなる。
長い彼のまつ毛。理想な形の鼻筋。
じっとフィオナの目を見つめる真剣な赤い目が、嫌に情熱的で、否応なしにフィオナの体温が上昇したみたいに熱くなる。
「俺に嘘をついたな?」
いつもより低い男性らしい声が、フィオナの耳朶に響く。
背筋まで痺れるような感覚が伝わってくる。
無意識に後退りしていたのか、フィオナの背中が迷宮の壁に当たる。
レナードの腕が壁に伸ばされ、フィオナは逃げ場をなくす。
「正直に言え」
「ご、ごめんなさい!」
フィオナは離れて欲しくて、涙目になりながら、あっさりと白状した。
「こ、怖かったですー」
「大丈夫? レナード君に嘘は通用しないから気をつけてね」
黙って様子を見ていたハンスが優しく慰めてくれる。
「それにレナード君、嘘をつかれて不快だったとは言え、怖すぎだよ。女子を壁ドンとは君らしくないな」
「それは申し訳ない」
「いえ……」
ハンスに注意されたレナードは思い詰めたような顔をしている。
よほど嘘が嫌だったんだろう。
でも、なぜレナードにあんなにすぐに嘘だとバレたのか。
フィオナは不思議で仕方がない。
特殊な能力だとしても、加護を知らなかった彼が、今まで本から能力を得ていたとは考えられない。
「それにしても禁忌を犯したとはな。ゴードンさん、このことはどうか内密にお願いします」
「レナード君、分かってるよ。そもそも、新発見な情報が、そんなに簡単に見つかるわけがないと思っていたから、逆に納得だよ」
二人の会話を聞いて、やっとフィオナは安心できた。
「ありがとうございます。不問にしてくださって」
頭を深く下げていた。
「嘘をつかれたときはショックだったが、メイドを庇うためなら、仕方がないとしよう」
「ご、ごめんなさい。セレストさんは私のことで責任を持つと言ってくださったのに」
そもそも嘘は彼の信頼を裏切る行為だった。
申し訳なくて、再び涙が込み上げてくると、レナードがハンカチで顔を押さえてくる。ありがたく使わせてもらう。
「こちらこそ申し訳ない。君を泣かせてばかりな気がする」
「いえ、私が勝手に泣いているだけで、こちらこそ未熟ですみません」
「いや、素直なところは、君の美点だよ。謝る必要はない。これからも変わらないでいてほしい」
そう微笑みながら話すレナードの顔はとても優しくて、フィオナはその表情をとても好ましく感じた。
そんな顔もできるんだ。
意外な彼の一面に胸が落ち着かなくなり、何か楽しいことが起きるような、ドキドキした気持ち。
フィオナは、自分の変化にも驚いた。
そのあと、時間になり、元来た道を戻ることになる。
その道すがら、フィオナは前々から気になっていたことをレナードたちに尋ねていた。
「女神の禁忌で、”武器を持ち込み、本を攻撃するなかれ”とありますが、今までどうして私みたいに素手で攻撃する人がいなかったんでしょうか? 女神への信仰だけではないと思いますが。何かご存じですか?」
「中途半端な攻撃は、本を怒らすだけだからだよ。深く迷宮に進むほど魔法本は凶暴になり、我々も魔法で対処する必要がある。でも、うっかり本に手を出したら、武器を使った狂本の災いほどではないけど、本を怒らしてしまい、恐ろしい目に遭うからね。それで人々は攻撃そのものを封じたんだと思う」
すぐに答えてくれたのは、レナードだ。
「この図書館迷宮を作ったとされる知恵の女神フェルテナータは、悪戯な賢者とも呼ばれている。有名な逸話を知っているか?」
「酒樽のことですか?」
「ああ、よく知っているね。女神は他の神々に問題を出したんだ。目の前にある酒樽の中にある水を早く取り出す方法を答えろと。酒樽の前には、コップとスプーンとお椀があったそうだ。正解は、覚えているかい?」
「酒樽を倒したんですよね」
「そう。女神は正攻法を必ずしも求めていないんだ。裏をかくのが好きだと推測される。だから、無駄本の利点が長らく見つからなかったのも女神らしい」
「そうそう、カサドラ嬢は我々探究者の救世主だよ」
「まぁ、ゴードンさんったら褒め過ぎですわ。私の場合は、色々と偶然が重なっただけなんです」
「本をぼこぼこにしようと思うのは、カサドラ嬢くらいだろう」
「まぁ!」
そうレナードが茶化して笑うので、フィオナは頬を膨らます。
「本のぼこぼこが流行になるのも時間の問題ですわ」
「ハハハ、確かにそうだね。みんな本の新しい法則を知ったら、ここに一斉に押し寄せるだろうね」
「そうだね。それまでにしっかりと根回しをして準備しないと」
フィオナはレナードと交した約束を思い出して、彼に頷いていた。
※
魔法省に戻ると、受付で誰か押し問答をしていた。
「だーかーらー、僕の婚約者がここで働いているって聞いたんだよ。魔法司書として。呼び出してもらえないかな?」
「申し訳ございませんが、所属先を教えていただけますか?」
よく見かける受付嬢が困った顔で対応している。
「知らないよ、聞いてないし。でも、魔法司書としているはずなんだよ」
「ですが、魔法司書でフィオナ・カサドラという方は在籍していないのですが」
「まぁ! あの子ったら婚約破棄されるのが怖くて、嘘をついたのかしら?」
良く見知った親子がいて、フィオナの心臓が嫌な音を立てる。
目の前の二人は帽子をかぶっているが、見える赤毛に見覚えがありすぎた。
近づきたくない。このまま見なかったことにしたい。
でも、フィオナが放置すれば、受付嬢が迷惑を被ってしまう。
覚悟を決めるしかなかった。
「あの、すみません」
フィオナが受付に声をかけると、一斉に振り向かれる。
「ああ、フィオナじゃないか! 探したんだぞ!」
婚約者のダミアンが近づいてくる。
彼のスタイルは、いつも母親が選んだ格好だ。
ゆとりのある布地でフワッとした服は、母親世代のときの流行りだ。
細身のデザインが流行っている今では、時代遅れである。
目の前に来た彼はフィオナの側にいたレナードとハンスにも視線を向ける。
すると、ハンスの肩に乗っていた猫が、それまで大人しかったのに威嚇し始めたのだ。ダミアンに向かって。
でも、ダミアンには何も見えていないのか、無反応だ。
「初めてお目にかかるね。僕はダミアン・ドランだ。僕の婚約者のフィオナが世話になっているそうだね」
婚約者のせいで、フィオナは胃が掴まれたように苦しくなっていた。




